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志は無理に立てなくていい

志は、「之(ゆき)+心」が組み合わさった文字で、心がゆく方向を意味する。

心が自ずと向かう道を歩む事、それが本来の志の在り方かもしれない。

吉田松陰や坂本龍馬のような幕末の志士達も、立ち上がりたくて立ち上がったのではなく、黒船を目の当たりにして、植民地にされるかもしれないという、已むに已まれぬ想いで立ち上がったのかと思う。

叔父の松下村塾を引き継いだ吉田松陰はたった一年で投獄され、海援隊に引き継がれるものの亀山社中も2年間だけ存在し、いずれも革命のための教育と経済活動であった。

志は、自らと社会が体験する逆境や不条理を克服せんとする強い意志。

一見、志を掲げているような人々も、「何者かになりたい病」に罹っており、「何者でもない」自他を許す事が出来ていない場合も多くあった。

僕達は本来何者でもないし、人間だけが世界中に名前を付けているが、名前も歴史も宇宙で永続する事は無く、結果も実績も全てプロセスの一瞬間を名付けたもの。

世界中の人々に夢を聞くと、「世界中の人々が笑顔であって欲しい」という回答が一番多いと言う。

でも、笑顔になるのは本当はとても簡単な事で、あるものに気づき、在る事の「有難さ」に気づく事かと思う。

僕達はしばしば自分が空虚で、自分に足りないもの、持っていないものを探し求めるが、それではいつまでも幸せを感じる事ができない。

先日、息子が通う小学校で課外授業を頼まれたので、自分、友達、家族、先生、学校のよい所、あるものを沢山探すゲームを開催した。

そうしたら、子供達、ご家族、先生や校長先生みんなが笑顔になれた。

もう幸せはそこにある。

足りないと思うから他から奪おうとする。

みんなが笑顔で、日々幸せを感じられているならそれはもう世界平和。

満ち足りない心、希少性や成長意欲が資本主義の原動力と言われるけど、

僕達は一体いつ幸せになれるのだろうか?

より長く、より健康的で、より速く、よりおいしく、より楽に、

”発展”、”成長”してきた日本人や米国人の多くは幸せを感じているだろうか?

田舎には何も無いと言う人がいる。

しかし、人間が本質的な愛や豊かさを感じられるのは、命そのものにあると思う。

田舎ほど命の多様性やダイナミックな豊かさを感じられる場は無い。

人間は人間だけの間で生きているのではないが、人間同士の社会的役割だけで成り立つ都会では、構造上必ずや必要とされない人々が生まれてしまい、自分は生きている意味が無いと錯覚してしまう。

満たされない心の持ち主を笑顔にし続ける事は出来ないが、今あるものに気づく事が出来れば人はいつでも笑顔になれる。

無理に夢や志は持たなくていい。

この宇宙で奇跡的に存在する地球、その中で奇跡的に生まれた人類と自分。

その存在をただ無条件に愛し、大切にしていて欲しい。

もし宜しければ是非サポートして下さい。人類の本質的な豊かさや幸せ、世界の平和のために貢献させて頂きます。