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HPP 3ヶ月経過

最初の違和感と身体の変化は、すっかり形を潜め。
「元々こうだったもんね」
と言わんばかりにHPPにシレッっと適応している。
身体って、ちゃんと変わっていく。

で。だ。
1か月あたりまでの、怒涛の変化を受け入れた身体がどうなったかというと。

HPP加工をしていない靴でも、姿勢が崩れにくくなった。
が。しかし。
異様に疲れる。
足単独ではなく、身体全体が。
とにかく疲れるのだ。

HPP加工していない靴を1日あたりで長時間履くのはバレーボールシューズ(トレーナー業務)だ。
普段の理学療法業務とは動きが変わるからなのかと、一瞬思った。
が。いやいや。そんなわけない。
それこそトレーナー業務を何年やってると思うのか。同じチームで12年だぞ?
むしろ、今の方が手数が減っているくらいだ。
ということは。
疲れる場所が、以前と変わっているのだ。

ふくらはぎではなく、スネ。
腰ではなく、背中。
肩ではなく、頚。

ここでポイントになるのは、「疲れるだけ」なのだ。
姿勢が崩れても「痛み」にならない。
これはどういうことなのか。

これまでは、特定の可動範囲でパターン化した動きをしていたことで、痛みにつながっていた。

これまで使われなかった部分を使い始めたことにより可動範囲が拡大し、負担がこれまでよりも多くの筋群に分散された。

これまで使われなかった筋群の筋力(筋持久力)が追いつかず疲労が出現。

疲労感を覚えたところで、これまで過剰に使われていた筋群のストレスは減少していることから、パターン化した動きからバリエーションが増えた。

疼痛が出現する前にリカバリーできるだけの猶予ができた。

という仮説がひとつ成り立つ。
そしてもうひとつは。

身体が発するエラーに気づけるようになった。
ということだ。
これは、症状をいかに軽く済ませるか、
ひいては傷害の予防には非常に重要なファクターであると、
個人的には認識している。

症状が出始めるまでには、大抵の場合予兆がある。
特に慢性痛の場合はそこがポイントになる。
要するに、違和感を覚えた時点で自覚してケアできるかどうか。なのだ。
ケアできれば、その時点で軽く済ませることができる。

しかし。
身体と言うものは健気なもので。
「代償」という機能を使ってその症状をカバーしてしまうのだ。
そうでなければ、動くたびに何らかの症状を頭でキャッチしてしまい、
日常生活に支障が出てくるだろう。
だからこそ、代償という代わりの機能を使って違和感を訴えた場所の修復に
猶予を与えてくれるのだ。
私はそれを「細胞間のお互い様」と呼んでいる。
そう。
細胞は必死にリカバリーしようとしているのだ。

ではどこが裏切っているのか。
それは「意識」。「考えの癖」とも言う。
身体が発した信号をまんまと無視して、
「気のせい」とか「このくらいなら大丈夫」とか「そのうち慣れる」とか。
言い聞かせていませんか?!(若干キレ気味)
気のせいとか大丈夫とか。
全然大丈夫じゃないし!
そして、それを自分じゃなくて他人に言われたりするんですよ。
自分ではない他人が。下手すれば家族が。
大袈裟とかいうわけだ。子供は特に言われがち。
子供って驚いても怖くても痛くても泣く。
とにかくすごい勢いで泣く。地球が割れんばかりに。
なぜか?言語化できないから泣くのだが。
泣き止ませるために周りの大人に怒られた人、多いと思う。
そのまま大人になるから、我慢しなきゃいけないと思い込んでいる。
でも、我慢するところ違うでしょ。
そういう根性論、もうやめましょうよ。

痛いもんは痛いし、辛いもんは辛い。
嫌なものは嫌だし、めんどくさいものはめんどくさいのだ。
…後半はちょっと違う感じもするが。
とにかく
自分が感じたことは、自分のものなのだからちゃんと受け止めようよって話だ。
そしてそこからどう対処するの?ということなのだから。
いちいち泣く事にエネルギーと時間を使わんでも解決できる手段を持っているはずなのだ。
なぜなら大人だから。

話はだいぶずれたが。
1ヶ月間はそんなことと靴下のことをつらつら考えながら過ごしていたが。
2ヶ月中盤くらいから、違和感がほぼなくなり元々あった症状(右股関節)が明確になった。
そして3ヶ月経った現在。
右股関節の症状は落ち着いている。
完全に身体の使い方が変わったのだ。

やはり。身体の変化の定着は最低でも3ヶ月(12週)は掛かる。
人間の身体と意識は、そう簡単には変わらない。
けれど、変わるきっかけがあれば。
年齢関係なく、変われるのだ。

最近はヒールを上げるか下げるかで結構アイディアが出てきているが、
まだまだ研究の余地あり。

一人でも多くの人がもっと楽に地球で過ごせるように。
もっと勉強して提案できるようにしたい。

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