日本の風習について

どうも、うにもちです。
メイン1本目からこれはどうなんだろうというタイトルですが、民俗学とか宗教とか、そういう難しい話ではないです。

身の回りにあるものの話なんですが、最近よく思うことなので、忘れないうちに書いておこうと思いました。

主にネットでよくいる場所がTwitterなのですが、最近こんな文章をよく目にします。

「日本の文化はよくない」

文章に限らず漫画にされていたりもしますよね。
二の句はこうです。

「海外の人達はこんなことを言っていた」

まぁそうなりますよねというか、多分海外のひらけた考えに感化されてこういう思考に至ったのではないかと思います。
締めの句は勿論、

「海外に習ってもっと日本をよくしよう」

別にそれが間違ってるとかそういう話ではないです。良いところを吸収して、より良い環境を作るっていうことは勿論大事だと思います。
ただ、忘れていることもあるんじゃないかということも思います。

それは、今ある文化も元々は現在の形を想定して作られたわけじゃないんじゃないの?ということです。

例えば「礼儀」について。
日本のマナーは変なところに気を使い過ぎだとか無駄が多いだとか、よく言われていますよね。

実際これ、間違ってはいないと思います。
現在の日本は変なルールが多過ぎて、ちょっと生きづらいですよね。
特に最近のだとノックは三回じゃなきゃいけないだとか、上司に了解は失礼だとか、ああ言ったものはマナー講師が勝手に作り出した文化ですし、無駄だとは思います。

ただ、その中でもなくす必要まではないんじゃないか、不必要ではないんじゃないかと思うものもあります。
一つ例にとってみれば「謙遜」。

そもそもどうしてこんな文化が生まれたんだろうかって考えた時に、思い至るのは結局相手への敬いだと思うんです。

でもここでの敬いっていうのは、相手の「方が」凄いってことではなくて、あなた「も」凄いということなんじゃないかと思います。
ここの観点が今は抜けてるからあなたの方が、いえいえあなたの方がと無限ループに陥るんじゃないかと。
そうなると無駄に感じますよね。

それから相手を敬うって言うことと自分を下げるって言うことは謙譲語的には同じことですけれど、微妙に違うのではないのかと僕は思います。
別に何かを下げる必要なんて本当はなくて、ただ相手を上げればいいのに。
下げた時に相手が上がっているように感じるのは、ただ相対的なものであって実際は上がっていない……みたいな。

うまく言葉で説明できませんがなんとなくわかってくれる人、いませんかね?

礼儀というとそんなものは必要ないって短絡的に反応してしまう人はもうすでに読んでいないと思うので話しますけれど、人と人が関わって生きている世の中では絶対に必要なものだと僕は思います。

相手に何かものを頼むときは「お願いします」。
何かしてもらったときは「ありがとう」。
何かしてしまったときは「ごめんなさい」。
初めて会った人には「よろしくお願いします」。

人間誰しもそんな簡単な言葉すら出てこないと、どうしてもそういう人とは付き合いたくないと思ってしまうものです。
それすら面倒に感じてしまい、どうしてもやりたくないというのであれば、人付き合いをしなくて済む森の中だとかに一人で住むしか無くなってしまいます。

でも人間は一人で全てをこなして生きていけるほど強くないので、ある種「必要だから」そういったことをしていく必要があるんだと思います(もちろんそんなことを考えずに人のことを大事にするということができれば一番ですが)。

これは今でも昔でも変わらないんじゃないかと。だからこそこういった文化が生まれ、現代まで引き継がれているんではないでしょうか。
必要がないものというのは、この世では淘汰されて無くなっていきます。
言葉がいい例ですよね。死語なんて言われるものがまさにそれです。

かなり回り道をしてしまいましたが、詰まる所必要だから残っているのであって、そうなるとこの日本で生きて行く上では習わなければならないものではあるんだと思います。

ただ例外ももちろんあって、最初に話したようなものはその典型です。おそらく二十年後には残ってないんじゃないでしょうか。
それ以外にもただ残ってしまっているもの、というものも少なからずあります。
一部の人だけが必要だと感じている場合でも、その人達の声が大きいと残りやすかったりします。

あとはケースバイケースのものを全体に適用しようとしたときは無駄に感じてしまうことも多いですよね。
年功序列などはそれが適している場合もありますし、逆に一切噛み合っていない場合も多くあります。

話がまたもや逸れた気もしますが、残っている文化というのは必要だから、というのが基本ではあると思います。

他の国で日本の文化がないというのは、単純に他の国では必要がなかったからだと思います。

他の国の文化が日本でないのは、他の国の文化が日本では必要がなかったからだと思います。

例外の話をしてしまうともうキリがなくなってしまうのでここでは一旦置いておきますが、恐らくこういうことなんだと思います。

つまり、何でもかんでも取り込めばいいという話でも、何でもかんでも排除すればいいという話でもないということです。

一つの側面だけを見て必要ない、必要あるということを判断するのはあまりいい考えではないんだろうなと思います。
結局大事なことはその場に適しているのかどうなのか、ということなので。

さて、一発目からめちゃくちゃ長くなってしまいましたが、多分なんだかんだ毎回このくらい長くなるんじゃないかと思います。
僕の話は寄り道も多いので、気楽に読んでいただければ幸いです。
それではまた。

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