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謙遜とクリエイター

こんにちは、うにもちです。
前回のnoteで謙遜は悪い文化ではないという話をしましたが、今回はその例外について話したいと思います。

まずは僕自身の話から。
今年から社会人になりまして、大学時代から行なっている作曲の時間が取りづらくなったものの、なんとか先日のイベントにはCDを出すことができました。
結構ギリギリで、無理をしたりもしたんですけれど、それでも完成させられたので非常に満足しています。
なんの話だと思った方、(多分)ちゃんと繋がるので大丈夫です。

大学以前は小説を書いていた時期もあります。
とはいえ完全にこれは身内用でしたけれど。
小学生の頃は工作の授業が好きでした。
椅子を作ったり、写真たてを作ったり……。
まぁ基本的に不器用なので、足の長さがそれぞれ若干違ってガタガタだったりはしたんですけどね。

とまぁ昔から何か作るっていうことが好きでした。現在でもそれは続いていて、曲という媒体にはなりましたが、作り続けています。

さて本題はここからですが、そうして作品を作って行く上で、ありがたい事に作品を褒められる事も時にはあります。
そういう時に僕は素直にありがとうございますというようにしています。

何か新しく作品を投稿するときには「めちゃくちゃいいものが出来ました」と宣伝をします。

下手ですが、やこんな作品ですみません、と言った言葉はある時期から使わなくなりました。
理由はつまらないと思うなら、納得いくまで作れば良いじゃないかと思うようになったからです。

自分を下げて相手に上げてもらうということは、こと作品作りにおいては汚い手法だと僕は思います。
見せる価値のないものを見せるな、ということと、人に見せなきゃ成長しない、ということは矛盾しないと思います。

今の限界値を出したものなら、それは絶対にその人にとっては「良いもの」の筈です。
他と比べてしまうから劣って見えるのであって、自分の中では最高傑作ですよね?
そうであるならば、つまらないものですが、なんて言葉は言ってはいけないと思います。
それは作ったもの自体に対しても、その作品を好きだといってくれた人に対しても失礼に当たると僕は思います。

もちろんこれを読んで下さった方がどう思うかはまた別問題なので、各々考えて頂ければ良いですが、下手ですが……っていう文を見てしまうと、どうしてもやるせなくなってしまうのです。

もし何か引っかかれば嬉しいです。
それではまた。

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