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ふりかえりの前のふりかえり(笑)

周期がホント
ふりかえりミーティングのタイミングで
課題や問題、見落としてたものへの
解決に向かい
わかった‼️にたどり着く事が多い。
まさしく今回も😁

なので、今回はふりかえりの前に
言葉にしておいたほうが良い気がしたので
ふりかえり前のふりかえりと言うことで(笑)


以前にもブログには書いたので
読まれた方はご存知かと思いますが😊

どもり(今は差別用語)
言葉の発声に不自由がある
吃音症と3歳の頃から付き合っております。

あっ、近年の私をご存知で
吃りというのを知らない方は
「まさかや!」かと思います😁
話し出すと止まらないし
普通に喋れてるのでね……。

笑顔の裏側で
時々やってくる不安や恐怖とは
今も付き合っていたりもします😅


先日、現在通ってる学校の授業の中で
質問の流れでカミングアウトすることに……。

やっぱり障害だったんだ……と。

仮に障害者として生きていたら
どうなってだろうか🤔と。

カミングアウトを通して
2つの思いが出てきました。


前者のほうは
やはり、完全に
受け入れきれてない自分が居ました。

傷ついてきた分
自分をおざなりに生きてきたせいかな。

大丈夫じゃないのに大丈夫と思ったり
ひねくれて拗ねてしまったのも
痛みをダイレクトに受け入れない為。

かなり傷ついきたんだねと
改めて、当時の痛さを感じる事となりました😅
痛いね……今の私が感じても。
そうだよね……(。-ω-ヾ(>᎑<`*)ヨシヨシ

多分、ここを再び越えないと
痛さに蓋をしてしまう。
で、対象者さんを通して自分を見て
共依存してしまう……そうも思うのです。
今だからしっかり感じて
今だから出来る過去の思いの
昇華をしたいと思うのです。


後者のほうは
当時の私には障害者として生きる
選択肢はありませんでした。
今みたいに情報も、自分が選べる立場でもなく
色眼鏡で見てる大人が
机の上で話してるような感覚を覚えてます……
これは小学校へ入学するタイミングだったかと。


物心ついた時からの苦痛を考えると
普通の暮らしの中で
見えない障害を持って生きるより
障害者の中で守られながら
自分の出来る事に目を向けて生きていたほうが
元々の大好きなモノづくりに
純粋に向き合って
枠に縛られずに
伸び伸び出来たのではないかと……
そうも思うのです。

言葉は普通の生活の中で得られたけれど
見えない障害を抱えて
その何倍、何十倍も心が傷ついた時間。

言葉は今みたいに喋れなかったかもしれないけど
本来の自分のまま
障害者として受け入れて生きてきた時間。

今も、これからも
どっちが良かったのかは
今は正直、わかりません……。

でも、あの時、選択肢があったなら……と
思うのです。

あの時、選択肢がある事で
どちらを選んだとしても
障害を受け入れると言うことを
あの時点で覚悟を
決めれたような気がするのです。

そして多分……
今、ようやくその覚悟が
障害についての授業を通じて
45年越しの対峙をしてるのかなと
そうも思ってます😊

そして、どういう訳か
見えない障害を抱えてる方にご縁があるのも
早く、そこに気づけよ……だったり
無意識に同じ思い、辛さを抱いてる人を
引き寄せていたのかもとも🤔

普通の暮らしの中で
見えない障害を抱えて歩んで来た事に
良かったぁ~とは
正直、今は思えません。

でも何より、誰より
伝える事を大切さ
言葉にする思いの大切さは
様々な体験を通して知れたのは
プラスだなとは思うのです。

そして、どうして福祉の仕事をしたいのかも
見えない障害を抱えてる人達と
寄り添いつつも
個々の時間を尊重しつつ
選択肢を提供出来るような
サポートが出来たら……と

より具体的に言葉に出来るようになった
この2週間😁

今週いっぱいは障害についての授業はあるけど
まさか、授業の中で
自分の過去と向き合い
障害って事にも向き合い
対峙する時間になるとは……(笑)

仮に福祉の仕事に就かないにしても
本当に自分にとっては
これからの人生に
プラスに働くに違いはありません。

そして、福祉の核は
やっぱり『愛』なのですよ。

誰がどう思おうが
自分の中の『愛』を信じて
下手くそでも不格好でも
これからも邁進して行きます‼️

またまた、長くなりましたm(_ _)m

今週のふりかえりで発表出来るかは
当日の感覚次第ですが
書いて満足はしています🤣

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