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偶然 Eテレの おとなりさんはなやんでる。 子どもに「美容整形したい」と言われたら を見ていて思った事思い出した事

自分の場合は母親が物凄く器量、容姿にコンプレックスのあるタイプだったので
物心つくかつかないかくらいの頃から外で他者に私が容姿で褒められたりすると
貴女は良いわね〜
貴女には分からないわよね〜
こういう気持ちは〜など……

なんて言えばいいんだろ

容姿のことで赤の他人に褒められる度に
母のこの嫉妬と言うのだろうか?
コンプレックスとはこういう物と提示される度に
逆に貶(けな)されているような気持ちになってしまう自分が居た……

特に赤の他人が私を褒めてくれたのに対し
母『えぇ、私に似なくてホント良かったです〜』などと言われると
似なくて嬉しかったという意味を
似てないから喜ばれてる???
なんか何をどう言ったらいいのか本当に分からないけれど……
なんだか自分の事がとっても情けない
存在してはいけない存在に思えた私が居た。

その度に言葉が話せるようになってからは
私『何でそんな風に思うの?
お母さんにはお母さんの良さがあって素敵だと思うし
私のお母さんなんだから私は大好きだよ。』って話していた。

だから今日偶然この番組を観た時に
やっぱりそんな話しを聞いたり相談されたら
先ずはなんでそう思うようになったか?を聞いてみたらいいのじゃないかな?と改めて思った。

番組で親は意見を言うんじゃなくって 
ただ寄り添えば良いんですね〜と終わっていたけど、

意見なんて1番いらない事だと思う。

うちの母に私が子供の頃
母が容姿でコンプレックスを持つ理由を聞いたら
自分の母親(私の祖母)が少し差別的な思考があり
生まれつきのちょっと人と違うカタチの部分などをわざわざ取り上げて
あんた(母)はこんななんだから誰よりも努力してよく見られる様にならなくてはいけないなどと注意をことごとく祖母にされ続けていたからだそうだった。。。
産まれてきた私は母に似てなくて(祖母に指摘されないから)本当に良かったと生まれて直ぐに
祖母から言われていた事は相殺されて自分自身の手柄みたく思えたらしいが
私が成長するにつれ可愛がられる事に
有り難うございますという気持ちよりも
妬ましいという気持ちが芽生えたのだそう……。

私には私なりに容姿の一般的で無いコンプレックスが芽生えた最初の出来事は
母がキッカケだったな。

でも容姿の事で学校でイジメられたり
マウント取られたり仲間外れにされたけど
見た目の事で線引きされてしまうこと
線引してしまうこと自体が凄く解せなかった為
結果どーでもいい事へと昇華したのは幸いだったかもしれない。

整形についてはしたかったら安全な方法でしたら良いと思う。
その人にとっての本当に求めるものならする事で満たされると思うし
迷いの中で整形してもし後悔したとしても
その人の自由だからだ。
やってみないとわからない事もあるし
やってみて結果としてわかる事もあるし
もともとの自然なものを壊すのはタブーみたいな考え自体がタブーにも思える。

容姿の悩みはその人その人で本当に全く異なるから
縮毛矯正や歯並びも踏まえて
したかったらしたらいいと思うんだ。

その時に成長段階でまだ細胞の変化の過渡期だからリスクがある場合は時期尚早だし
小さなうちにやる方が良いものは親の判断采配が要るし
それは物理的な理由の面だから
精神的な理由とは分けるのが妥当だし

特に容姿の事での相談や話しはとてもセンシティブな内面と深く繫がっているし
概ね他者からの目や意見や揶揄等が原因になっているから
その出来事自体をケア出来たら
更に良いのではないかな〜と改めて思った。

でもね、
もって生まれたものはそのままでも美しいとも思うんだ。

だからこそ両方を踏まえて『どうしてそう思うに至ったのか聞いてもいい?』って
そんな風に私は話しをしたいな、と改めて思った日曜日の午後だった。


自分への #備忘録
#コンプレックス
#容姿
#整形
#Eテレの番組を見て

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