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結婚相談所を設立するという人に会った日の前後の事

結婚って一体なんなんだろう?ってのが

私の経験してきた人生では答えがよくわからない事だ。


最愛の人と生涯を共にするには結婚という形を取っていないと

その愛する人とは一緒にいることも会話することもできないので

この世の日本のルールに則っては

入籍という形態を取らなければ

愛し合ってはなりません。

それが結婚で夫婦という形でしか存在することはできないのです。

そういう意味で言っているのだろうか?と。


愛する事に制限制約をかける事自体がよく分からない

自由恋愛を推奨しているという意味では決して無い。


結婚相談所に登録しているけれど一向に巡り会えず

その人を求めるような人とマッチング出来にくいのでは?

結婚相談所では・・・・

という話を聞いた日

結婚相談所を設立することを決めた!という人に会った。

入ってくるなりこの人は相談所へのターゲットかな?と視線を投げられ

眼光鋭く見定められ「どう?」みたいな眼差しを受け

いえ、私パートナー居ますから。と答えたら

結婚してるの?あ、違うんだ

んじゃ結婚したくなったら声かけてと言われた(笑)

ん?私パートナー居ますって言ったよね?


その日、このやり取りの数時間前に

恋人とはパートナーではなく

結婚してないけど長く付き合っている男女の意味がわからない、と

人生の大先輩に結構エグく突っ込まれつつ

それの何が変で不自然で理解できないのかが理解できなかった。


結婚というのは経済的な協力体制のため?

いや、女性は自活できないから養ってもらわなければならない?

その為には家事万般全て請負い

子孫を残して生きていかなきゃならない?

そういう事なんだろうか?

人生の大先輩が言う君の言うことは理解しかねるを

分かりやすく具体例を挙げたら先のようになってみた。


愛 に対し純粋に利害関係で無く存在し合える存在と出会えたら

それは極上の宝物だと私は思う。


結婚したんだから夢を見てはいけないだとか

自由な発想でいろんな活動をアーティスティックにするのは独身の人のする事だとか


そんな感覚が常識というのなら

私は結婚相談所なんかには絶対登録してはいけない

特殊なタイプと言える。


相手の存在自体、存在そのものが愛おしくて

ただ生きて存在してくれているだけでも幸せで

会えるときも会えないときも

いつでも感覚的には繋がっていて

相手の笑顔や幸せや安らぎやワクワクを大事に思い

そう在って欲しいなと愛を向け続けている。


そうする事には

籍を入れているという状態が無ければ

法律的に罰せられるというのが結婚制度なのか?と

ついつい極論を言いたくなってしまうような日だった。


多分みんなそんな意味では言ってなかったと思うけど

私のことに対して発してくる感覚や言葉は

まさに極論的だったなって思い出し日記的に記しておく。


結婚 という概念に私はあまり好感を持てていないらしい。

結婚=愛 では無い体験をしたトラウマと言うよりは

飽くまで理想論の無いドライな感覚としてだ。


分かち合い協力して生きて行く事を

結婚で一切感じられなかったのは結婚という概念とは別物な気はするけど

愛 とは 利害関係では無い と言いたかっただけなのかもしれない。。。

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