見出し画像

そばにいて黙るとき

私の住んでいる仙台において、「あの日」以降行われた多くのクラシックの演奏会では、プログラムの最初に黙祷が捧げられてきた。それは「復興チャリティーコンサート」的なものに限ったことではない。音楽を楽しむこと自体が不謹慎なのではと多くの人が迷っていたあの頃、その罪を贖うためにやらねばならない儀式として置かれていたのだと思う。

先日行ったオーケストラのコンサートは黙祷があった。ただし、座ったままでの黙祷。そのあと、「拍手はご遠慮ください」とのアナウンスのあと、プログラムには載せられていない追悼曲の演奏が行われていた。

「起立して行う黙祷」と「座ったまま行う黙祷」の違いはなんだろう。3年3カ月という時間が経ったことによる、「あの日」との関わり方の変化、立ち位置の取り方の変化なのか。「座ったままでもいいかな」という許容は、何を表しているんだろう。

「あの日」から約二年が経ったころ、自分は演奏会を企画する側にいた。その演奏会では、黙祷をプログラムに組み込まなかった。この地に住む人間だって、純粋に音楽を楽しむ日があったっていいと思ったからだ。コンサートに来ているのに、辛い記憶に引き戻されてしまうのは、酷なことでもある。だから黙祷はしなかった。

その一方で、今でも黙祷を続ける演奏会があってもいいと思う。それは「私たちの団体は今もあなたの悲しみを忘れていません」というメッセージになるし、普段は忘れている人が思いを馳せるきっかけにもなる。何より、祈りの場としての音楽の可能性も、私は信じている。

どちらにせよ「昨年やったから今年も黙祷やっとこう」とか、そういう思考停止した慣習だけで続けていいことではないと思う。線なきところに線を引かねばならないから難しいことだけれど。

今でも、企業のホームページや店先のポスターなど、引っ込みがつかなくなった「がんばろう日本」を見かける。今まで継続的に「がんばろう日本」的な何かを続けてきた訳ではなく、「あの日」の直後に掲げられそのまま一度も更新されていない…そんな時が止まってしまったかのような、「がんばろう日本」の数々。忘れてしまってはいけないし、忘れることもできないけれど、あの時起こったことをちょっとずつ咀嚼して、関わり方を変化させていかなければいけない時期にきていると感じる。

あなたが何かしらの形で掲げていた「がんばろう日本」の旗は、現在、空っぽになってしまってはいないだろうか。もし違和感があるなら、旗をしまってもいいと思う。中身が空っぽの、形だけの祈りほど虚しいものはない。勇気がいることかもしれないけど、それは不謹慎なことではないし、非難の対象になるべきではないんじゃないだろうか。

誰もが「がんばろう」なんて言わなくて済むときが、早く来たらいいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?