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(いまさら)日記らしい日記

0日目 
職場の冷房がやけにきついな、と思って帰宅したら発熱していた。とにかくベッドに入る。

1日目 38.9℃
熱が高く起き上がることができない。欠勤の連絡を入れて横になったと思ったら夕方だった。言いようのない倦怠感で身体が動かず、ちょっと病院にすら行けそうにない。咳の発作が酷くて呼吸ができず。

2日目 38.7℃
いつぞや処方された解熱剤が一錠だけ手元に残っており、それを飲んで37度台まで熱が下がったタイミングでなんとか病院へ。家から最も近い内科に予約を取ったが、病院までの徒歩5分が死ぬほど遠い。外気温は30度超。

診察室に入ると、医師は私の様子を見るなり「つらそうですね」というので、つらそうなんだ、と思った。何がとは言わず、「周りで流行ってます?」と医師は尋ねる。うっすら頭をよぎってはいたが、やっぱりそうなのかな、と落胆している間に鼻の穴をぐりぐりされる。驚くほど簡単に検査結果が出て、「コロナですね」と診断が下った。基本的に対処療法であること、発熱から5日間は外出を控えることが推奨されること、など基本的な説明を受ける。端的ではあったが、不安な気持ちに寄り添う診察をしてもらえた。

おかゆのレトルト、ヨーグルト、プリンなど腫れた喉でも食べられそうな流動食と、水、スポーツドリンクを買って帰宅。食べて薬を飲み、寝る。気管支拡張剤と吸引薬が処方されて呼吸がましになったのと、体調不良の原因が判明したことで、気分が少し落ち着いた。

予約していた明日開催の対話のワークショップ「ぷらっと対話」@plateau booksをキャンセル。たのしみにしていたので落胆がすごい。

3日目 38.8℃
何か食べる→薬を飲む→寝るのセットを4回繰り返す。高熱のわりには食欲がある。身体がウイルスとの戦いに集中できる状態になっている感じ。水をめちゃくちゃ飲む。汗もがんがんかいて、どんどん着替える。

コロナにかかったことを報告した際、励ましてくれないと治らないとボケで言ったつもりだったけど、励ましてもらったらほんとうにちょっと元気になった。

4日目 37.5℃
職場にコロナ陽性を報告。言い出しにくい内容でどうしようかと思ったが、電話口でみな本当にやさしかった。食べ物を買いに行けているのか、困ったら頼ること、仕事のことは心配しなくてよい、体調不良を謝らなくてよい、と言われてじーんと来てしまう。上司が、非常事態にあたって、こんなにはっきりとサポートする姿勢を示してくれる人であるのだということに感動し、電話を切り難い体調不良の連絡というのははじめてかも、と思う。

熱が下がってきたタイミングでシャワーを浴びたら、人間としての尊厳が回復した。

5日目 36.2℃→37.3℃
起きたら熱が平熱まで下がっていて、急に生きる欲望が湧いてきた。

杏仁豆腐が食べたい。6月の雨の日に新宿御苑に行きたい。夏の静岡で日記のワークショップが開催されるらしいからそれにも参加したいし、キャンセルした「ぷらっと対話」も来月開催がありそうだ。週末に予定していた山形行きを断って詫びたら、別の東京でのイベントに誘ってもらう。

発熱から5日目だったため今後の方針を相談しに病院へ。前回と違う医師が担当だった。仕事の復帰の話からしたら少し怒られて、体調がどうかがまずあって、話はそれからだろう、と。そりゃそうだ。中途半端にしている仕事が思い浮かび、復帰を焦ってしまったのを反省。追加分の薬を処方される。

杏仁豆腐の味が変だが、鼻が詰まっているのか、味覚がおかしいのか、そういう杏仁豆腐なのかわからなかった。

6日目 平熱
熱がやっと下がりきった。買い物に行き、ご飯、じゃがいもとたまねぎの味噌汁、つるむらさきのおひたしを作った。少し動けるようになって、身体を起こして座る練習から始める。

夜は、宇野港編集室のMTGにオンラインで参加。人と話したことで、輪郭を取り戻す。このあいだまで画面の向こう側にいたのに不思議な感じ。

7日目
最寄り駅まで歩く練習をした。暑くてフラフラするし、すぐ息が上がってしまう。熱が下がったあとの回復にこんなに段階があるのかと途方に暮れる。着実によくなってきてはいるのに。

8日目
職場と相談し、今週いっぱいはお休みをいただくことにした。声色が良くなったことに安心した、と言ってくれた。

あれだけ大きな影響を与えた「コロナ」というものの実態を身を以て体験したときに、「こんなにきついのか」という気持ちと「こういうもんなのか」という気持ちの両方が渦巻く。

ディメンター(ハリー・ポッターの吸魂鬼)にずっと吸われ続けるみたいな底なしの倦怠感が、あらゆる楽しい気持ちから遠ざけてくるし、体調不良のレベルが段違いで久々にやばいやばい、と思った一方で、これがこの数年停滞したり犠牲にしたり破綻したこととどういう釣り合い方をすることなのかは分からない。

9日目
病院へ診断書を受け取りに行く。診断書って3,000円くらいの記憶だったが、5,500円も取られた。Too expensive ! 高すぎる。病気休暇の申請に必要であるため泣く泣く払う。追加の薬の処方はなく、ここからは体力の回復に務めるのみ。

道端でおじいさんが倒れた。チャリで通りかかったお兄さんにヘルプを出し、一緒に対応した。体調が悪いことを本人が自覚できておらず、端から見て動ける状態ではないのに無理やり立ち上がろうとするので、一旦座らせるのに苦労した。近所の人で、家族が在宅していそうだったので、家まで送る。自分の自転車を放りだして一緒にワンブロック歩いてくれる人がいてくれて助かった。

対人支援の資格を取ってから、街中で人を助けることに躊躇がなくなった気がする。自分は医療従事者ではないけれど、そこまでの橋渡しをすることはできるかもしれないし、自分の力だけで助けなくてもよいという発想があることは、勇気のいる行動のハードルを下げる。

宇野港編集室が巻頭記事になった雑誌、TURNSを買った。書店の検索システムでは和雑誌は検索できず、サービスカウンターで尋ねたら予想していたのと全然違う棚(なぜか建築雑誌の棚)だったので訊いてよかった。自分の知っている編集室の雰囲気を捉えたいい記事と写真。自分のよく知るみんなの名前が載っている媒体が東京で買えるということが嬉しくて、なんだか誇らしかった。いろんな人に読んでほしい。

二拠点生活している人が突如無念な死を遂げた場合、二拠点地縛霊になるのかな、などと思う。いまもし私が突然死したらどうだろう。東京で地縛霊になるほどの思い入れはまだないけど、死んだ場所に魂が縛られるとすれば、おそらく一階の銭湯の幽霊になるんだと思う。女湯の、サウナの横のシャワーのあたりか、脱衣所のソファに座っていそう。一方で、意識の大半はまだ岡山にあって、ただもう前の部屋には別の人が住んでいるようだから、魂は行き場をなくして玉野を徘徊し、宇野港編集室の階段の下の廊下あたりや二階の共有スペースあたりでうろちょろしたり、スリッパを出したり片付けたりするお化けになって、訪れる人を怖がらせるんじゃないかと思う。ちょっと楽しそう。

こういう妄想を繰り広げて、クスリとする元気が出てきた。

10日目
近所の安くて美味い蕎麦屋で穴子の天ぷらとそばを食べる。東京の蕎麦、とても美味しい。偶然大家さんと相席になり、本日開催のイヨシコーラの湯について教えてもらう。直島銭湯時代の話をしたら関心を示してくれた。

生きててよかった〜、と言われ、それを聞いて、生きててよかった〜と思う。

11日目
仕事復帰。休んでいる間にそれなりに大変な状況が起こっていたのに、それを微塵も感じさせずに休めと言ってくれたことを知り、感謝の気持ちでいっぱい。身体はなかなかついて来なかったけれど、社会に居場所を取り戻したことで元気が出た。

夜はオンラインで岡山キャリアコンサルタント勉強会に参加。今回は、解決思考型ブリーフセラピーの手法を使って「◯年後の私を現在形で語る」というロールプレイをした。ある状態が実現したと仮定して未来の時点に立って語ったり、そこに至るために何をしたのかを語ってみる方法。私は4月から始まった今の新生活について、過ぎ去った過去として語ったことで、意外な本音が出たりした。

12日目
昨日は状況の把握に一日を費やすような状況だったため、締切のある業務から手を付ける。頭がいまひとつ回らない感覚はあるが、やれば進むこともある。帰ってきて鮭を焼いた。

13日目
喉によく効くというプロポリスキャンディをもらう。連日やさしさを浴びれるだけ浴びている。

上司がライフイベント法を引き合いに出して、「このタイミングで休めてむしろよかったんじゃないか」と言ってくれた。ライフイベント法はストレス測定法のひとつで、人生のイベント毎に生じるストレスに対し、適応するためのエネルギー量を示したもの。ネガティブな出来事だけでなく一般的にポジティブだと考えられる出来事にも高い数値が割り当てられていて(例えば「結婚」「昇進」などもストレスが高い)、その合計値が一定を超えるとストレス関連疾患のリスクがあるとされる。今回私は転職、転居、生活条件の変化等々が重なっており、それら自体はマイナスな出来事ではなくても、適応するのに高いエネルギーが必要な項目がてんこ盛りの状況。クールダウンしながらでちょうどいいくらいだ、というのはその通りだと思った。ケアがどうとか日頃言っているわりに、自分のことはよく分かっていなかったかも。

体力もだいぶ戻ってきて、通常運転に近づいてきた。

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