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マフィンとチワワ/太くなりたい重くなりたい

AIと法に関するシンポジウムに参加してから、私たちが人間としてやるべきことは、ブルーベリーマフィンとチワワを判別していくこと以外に、なにがあるんだろうか?なにか、あるんだろうか?と考えたりしている。

ChatGPTに日記を書かせてみた。午前中は公園へ散歩に行き、お昼は友人とカフェでランチ、午後は家で映画を一本見て、夕方にジムへ行った、という日記が書き上がる。いくつか条件を与えて日記を書かせてみたが、すべて文末は「おやすみなさい」で締められており、この人工知能によれば「日記は寝る前に一日の出来事を振り返って書くもの」と定義されているらしかった。「明日はもーっとたのしくなるよね」というハム太郎とロコちゃんの影響を少なからず受けた文体である。私は寝る前に日記を書いていないので、その定義からはみ出している点で、私の日記はまだ私のものだ、とちょっとほっとする。

「日記を書く意味は?」という質問にも人工知能は応じる。これも何パターンか出力させてみて、この知能が日記を書く意味をどう解釈しているのかわかってきた。自己理解、精神的な健康、創造性と思考の整理、記憶と記録、など日記を書くことの意味を述べた後、「日記を書くことは多くの人にとって有益な習慣です」「大いに役立ちます」と結論を出してきた。ふーん、そうですか、と思う。人は有益だから日記を書くのか、役立つから日記を書くのか、いいやちょっと違うんじゃないかと思う。確かにそういう側面はあるけど、日記を続けている人の日記を続けている理由って、そういうことじゃないような。

人間でないものを考えることは、人間を考えることにつながる。伊藤亜紗氏は「利他的であることは私たちに人間であることを要請する」と言っているけれど、それは利他が合理的・生産的なあり方からはみ出したところに発生するもので、理由付けができない、それでもやってしまうことだから。日記を書くなどというそんな面倒なことをわざわざ続けてしまう、そこに説明できないわからなさが残っているのであれば、まだまだやってみてもいいんじゃないかと思う。


ある日、通勤時間帯の女性専用車両にたまたま乗ってみたら、思いのほかほっとしている自分に気づいて驚いた。無意識の緊張スイッチが働いているかどうかは、切ってみなければ分からないみたいだ。同性なら不快じゃないのかといわれるとまたそれは違うのだけれど、なんとなく利用することが増えた。どちらの車両にも同じようなリラックスモードで乗れる日はいつか来るんだろうか。

椎名林檎が新しいアルバムを出していて、今回は女性アーティストたちとコラボレーションしているらしく何となく聴いていたら、パフュームののっちとの曲があった。生歌ののっち、推せる。

ボクシングをモチーフにした楽曲のなかで「強くなりたい/速くなりたい」「太くなりたい/重くなりたい」とボクシングのパンチに掛けて歌われていたのだけど、ああなんか私も最近は太くなりたいし重くなりたいみたいな感じだなと思った。「忙しくても美しく華やかに頑張る私たち」みたいな女性像にはほんとうんざり、かといってフェミニズムみたいな流れにもあまり共感できず、ただただ人間として扱われたい、人間として太くなりたい、そういう感じに行き着いているなと。「強い女たち」像に寄っている椎名林檎的なものも既にちょい時代より古いのかもしれないけど、「太くなりたい/重くなりたい」はなんかいいフレーズだなと思った。

男子校を共学化した初年度の女子生徒として高校に入学し、入学式の校門に入る手前で、同窓会員の老いた男性から「共学化反対!」のチラシを受け取ったときから、私はずっと怒り続けている。男性には男性で、ホモソーシャルの苦しさやマチズモのしんどさがあることも知っているから、二項対立の問題ではない。どうかみんながただただ人間として扱われますように、と思う。


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