推し事の話 ♯2

どうも!バディおじです。前回から空いてしまいましたが櫻坂46(欅坂46)を好きになった経緯の続きを書いていきます。

ガラ割れのMV視聴を経て様々な関連動画を渡り歩いていたその時期は今振り返ると表題曲「アンビバレント」の期間でした。

アンビバレントのMVもめちゃくちゃ格好良くて、7枚目にして進化を続けているのだと一気にMVを遡った事でわかった事でした。

そして8枚目の表題曲「黒い羊」が発売されるとわかってどんな感じで来るのか楽しみにしていました。

圧巻でした。このダークな雰囲気をノーカットで撮りきった事をコメント欄で知って更に驚きました。アイドルが1mmも「自分たち」をアピールする素振りなく「世界観」だったり「歌詞」だったりを伝えようとする事に全振りした姿勢に完全に撃ち抜かれました。ここが沼の決定打だったかと思います。

おじさんになった今、恥ずかしながら自分で100%出しきった1日を送ったと思える日があまり無いのです。

一つの作品を仲間と同じベクトルで向かって行く感じが最高に眩しく、尊いものに思えました。

言うならば、文化祭の直前のクラスの雰囲気の極致版。

また秋元康の歌詞にも刺さっちゃいました。

「放課後の教室は苦手だ その場にいるだけで分かりあえてる様で話し合いにならないし白けてしまった僕は無口になる 言いたいこと言い合って解決しようなんて楽天的すぎるよ 誰かがため息をついた そう それが本当の声だろう」

この部分は10代の学生が見たら一見「集団」の輪に入れなかった「僕」の存在の対比として描かれていて歌詞になる事で「僕」側に救いがあると感じられるのかなと思います。

しかし、「誰かがため息をついた そう それが本当の声だろう」が加わる事で大人にも刺さる歌詞に昇華されてる様に感じました。

自分一人だけが達観したかの様に和に加われないのでなく、加わらないと言うスタンスでやり過ごした「僕」は実は他にも複数人いたと言う事ですね。

案外周りも白けていながらもその雰囲気に迎合している構図に気付く事で大人になっていく様が書かれている様に思いました。深い・・・。

個人的には転職を控えていた時期でまだ職場に通達が出来ない期間同僚に隠し事をしている後ろめたさを抱えていたので正に自分は黒い羊(集団の中の厄介者)と勝手にぶっ刺さってました。

こんな感じで30超えてドルオタデビューを果たしました。

読んで頂きありがとうございました。


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