見出し画像

グラビアが好きな理由

最近撮影会でお会いしたカメラマンさんにnoteを読んでいると言っていただくことが何度かあり、年末に時間ができたのでずっと書いてみようと思っていたけどうまく書けないなと思ってたことを書いてみようと思いました。

グラビアが好きな理由は、「明るい・健康的・若さ・エロ・おめでたい感じ・生きている感じ」がするからです🌻

学生の頃に海外ロケを沢山していたような時代のグラビア黄金期を見て憧れたのと、元々かっこいい写真などのアート作品が好きというのもあるのですが、それ以外にグラビアっていいなと改めて思うきっかけがあったのでその出来事について書きたいと思います。

二人の祖母が出てくるのですが、わかりづらかったらごめんなさい…

父方の祖母…🧑🏻‍🦱
母方の祖母…👵🏻

2019年の年末に地方に一人で住んでいた父方の祖母🧑🏻‍🦱が急に倒れてしまいせん妄状態になってしまい入院したのですが、なぜかその1~2週間後に一緒に住んでいた元気だった母方の祖母も急に倒れて要介護になり入院し、そのまま急に亡くなってしまうということがありました。


まず2019年の年末の話なのですが、父方の祖母が倒れたという知らせを受けてから急遽新幹線で祖母が入院する病院に駆けつけました。

祖母はせん妄状態になってしまっていてご飯も食べられない状態。
(自分がなぜここにいるのかや、周りの人が誰なのか意識が朦朧としてわからない状態)

寝ていなければいけないのに起き上がり家に帰ろうとしてしまうので、軽くベッドに拘束されている状態でショックを受けました。

急に起き上がろうとしてしまったり、お手洗いの時には一緒に行ったりする必要があるので従姉妹や叔母と代わりばんこで付き添いをすることに。

最初祖母は私たちが誰なのかが全くわからなかったのですが、数日付き添っていると徐々に私たちのことを認識してくれました。
聞いたところによると、安静にしてもらうために割と強い安定剤を投与されていたのでは?という話があったり、元気な祖母しか知らなかった私は色々と混乱しました。

祖母の状態からもう長くないと思ったので最期まで付き添いたいと思っていたのですが、なんとなく症状や状況が段々と落ち着いてきたため親戚と話し合いの末私は一旦東京に帰ることに。
その時介護の方法で叔母と喧嘩してしまったりして、なんか全部悲しいな😭と思いながら泣きながら帰京しました…

そして家に戻り一緒に住んでいた母方の祖母👵🏻に一連の状況を報告。
あら大変だったわねぇ、なんて元気に何かをもぐもぐ食べながら聞いていた母方の祖母でしたが、なぜかその1週間後くらいに彼女も急に倒れて動けなくなってしまい、
食べ物もあまり食べれなくなり、父方の祖母と同じようにお手洗いに付き添いが必要になるという状態になってしまったのです。

高齢でしたが倒れるまで本当に元気だったので、なぜ急に二人の祖母の出来事の時期が重なってしまったのか本当に不思議でした。

ボタンを押すと呼び出し音が鳴る呼び出しチャイムセットをAmazonで購入し、祖母がお手洗いに行く時や何かあった時にボタンを押すと私と母が持っているチャイムが鳴るのですぐ祖母の元に駆けつけるという生活になりました。(1週間ぐらいでしたが)
夜中でもチャイムが鳴ると駆けつけるので常に気を張っている状態。

祖母はだんだんと何も食べれなくなってしまい、年明けに近くの病院に入院することになり私と母は在宅の介護をする必要がなくなりました。
年末から二人の祖母の介護が続いて疲労と心労が溜まっており、私と母はこんな感じの状態...

お見舞いに行くと母方の祖母は日に日に痩せて小さくなりだんだんと喋れなくなっていき、行って顔を見る度に
ああもう長くないのだな...と感じていました。

そして母方の祖母は入院してから3週間後にそのまま病院で亡くなってしまいました。

地方に住んでいる父方の祖母が倒れてもう長くないと思ったのでできるだけ付き添っていたかったのに、なぜか元気だった母方の祖母と先にお別れすることになってしまいました。

母方の祖母のお葬式が終わり、父方の祖母はその後施設に行くことが決まったのでとりあえず一連の状況は落ち着きました。(ちなみに父方の祖母はその2年後に亡くなりました)

一緒に住んでいた母方の祖母は倒れてから約1ヵ月で急にいなくなってしまったので、祖母の周りのものは何もかもそのままでした。
使いかけの調味料や冷蔵庫の食品、いつも使っていた椅子にかけていたエプロンなどは全部そのままで、祖母だけが急に消えてしまった感じ...

その出来事があって、私の人生の捉え方に変化が起きました。自分にもいつか確実に死がくること、そして私がいなくなってもこの世界は本当に何も変わらずに続くのだという実感がリアルに湧きました。

私はそれまで人生はこう生きるべき!という考えがあったのですが、それは例えば正社員でフルタイムで働かなきゃ、きちんと人生設計を考えてキャリアを積まなきゃ、とにかくとにかくちゃんと生きなきゃ!!!(強迫観念)というようなものでしたが、(実際に自分はそれをうまくできてなかったけど…)

祖母が亡くなってから自分にも必ず死が訪れることと、
(日本女性の平均寿命まで生きるならあと数十年後)
自分がいなくなっても何も世界は変わらないだという実感が湧いたことで、私がどう生きようがなんか別にどうでもいいんだなと考えるようになりました。良くいえば肩の力が抜けたのですが、気が抜けてしまったというか…

また、痩せてしまって動けなくなってしまった二人の祖母を病室で見ていて、人が人生の最後に行きつくところはこのような状態なのだから、体が動くうちに自分のやりたいことをやるべきなんだと本当に思いました。
(ちなみにこの時は被写体やグラビアをやろうとは全く思っていませんでした)

地方に住む父方の祖母が倒れた2019年の12月から母方の祖母が亡くなった2020年1月の約1ヵ月半の間、二人の祖母が何か食べれそうなものはないかと必死に調べたり、介護の道具を買い揃えたりして急に生活や頭の中が介護のことでいっぱいになりました。

病院の雰囲気、病室の匂い、介護用品、落ち着かない日々、病院の控え室で休憩してるときの何ともやるせない気持ち、痩せて小さくなってしまった祖母、悲しみ、そして死の気配。

たった1ヵ月半程度でしたが、本当に思い出すだけで辛くなります。

そしてタイトルのなぜグラビアが好きかという話につながるのですが、グラビアは

若さ、健康、エロ、欲望、元気、楽しい明るい世界

という介護や看病といった出来事とは正反対の世界なので、一連の苦しく悲しい出来事を経験して、元々好きだった正反対のグラビアの世界がよりいいな、ありがたいものだな😭と思うようになったのでした。

水着で撮影会や撮影に挑めるくらい健康ということですし…👙

次の記事に続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?