頑張らないことを頑張ることを頑張らない

つまり頑張らないということだ。

「なにもしない自分を赦す」
「なにを生み出さなくても自分にはそのままで価値がある」


ぎーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあ~~~~~~~~~~~~~~~……この根深いブロックね……

私が頑張らずに自然となんのストレスなくできること探しと、何もしなくてもいい。今日は寝ていただけだったな~~~~の日をもっと作ってもいいということである。

何もしないことへの罪悪感からすぐに何かしはじめてしまうので……「しないでいる」ってことも結構難しいんだぜ


なんてことを考えながら夕飯を作っていたらふと

「頑張って縁をつなぐのではなく、向こうからやってくるのを待っていい」

という言葉が浮かんだ。
何かしらの得をしたかったら自分から動くべきだ、という固定概念も強くあるなぁと思った。
これは完全に勘だけど、私って声をかける側ではなくかけられる側なのではないか?
(どーーしても声をかけたい人にはかけるけど。それはノーストレスでやれる)


人にはそれぞれ得手不得手があって、私は複数人で行うことを企画したりたくさんの人に声掛けをするのは苦手である。
そんな私のような人と反対に、気づけば声をかけていたとか、むしろ声をかけないことの方がストレスという人もいる。フリースタイル声掛け人(フリースタイル…?)


お金を生み出すにはそのような気質がのぞましい、むしろそうであるべきだ
と私は強く感じていたが、それがその人にとって「思わずやってしまうこと」なだけなんだよな

誰かが誰かに声かをして色々な段取りをしている間に、ほかの仕事をする人ももちろん必要


……うーーーーん、いやまてまて、私はそうやってすぐに「賃労働につながるかどうか?」ひいては「金をもらうだけの価値があるのか??」を考えてしまうが、そもそもそこを考える必要がないんだよ~~~~


「価値なし」と言われると不安なんだよ
頑張ってないこと=価値なし
って感じているんだよな~~~~

あぁ……そうだよね、振り向いてもらうだけの価値を出せない私が悪いから振り向いてもらえないんだ、と感じ続けてきたんだよな
だから「なにもしない」という価値を生み出さない選択は怖いんだ

なにもしない私にも”私”は振り向いているからね
安心してください……(”私”の承認が信じられないんだ~~って言ってるやつがいる。まぁ分かるわ……課題です)


極力「なにもしない」の期間を作為的に作ってもいいのかも

でも「面白いこと思いついた!今やりたい!!」はやってよしとする。
なぜならその気持ちを抑えることは「なにもしないことを頑張っていること」だからだ。


私が労せず行っていることや思わずやっちゃっていること探しと「なにもしない自分」を赦すのどっちもゆるりやってこう


あ、ひとまず「なんか頑張らないといけないやつだ」な~と思っている
・コーチングの積極的な継続は行わなくていい。やりたいときにやる。
・スクールの資格は取る気がないうちは無理してやらない。やらないことへの罪悪感ももたなくていい。

これはもうそうと決めた!
てことにしよう。
やれないもんはやれません。自分を追い詰めるのをやめるための無職期間ですよ……




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