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いのちを生きる んるん

朝っぱらに書こうと思いたったのでノチノブレス・ブーストチケット会での気づきとかとか

まず、参加者のみなさん本当にありがとうございました!
私のいのち行動への意見やら感想やら励ましをもらえたこと、みんなのいのち行動に参加できたことがとても楽しく味わい深かったです。

無職になってリアルで人と話す時間が極端に減ったせいか、肉体的に近い距離で話す有難さをめちゃくちゃ感じた日だった……


以下気づきの話

〇私にとって「表現すること」は楽しいこと
私のベースもベースには「楽しく生きていきたい!!」がある。

私にとってどうして絵や漫画を描くことが楽しいに繋がるかと言ったら、「表現すること」だからで、つまり表現活動をできる私を楽しんでいるんだな~~~と気づきがあった。
表現媒体はさておき、「表現すること」自体が好きなんだと思う。

だから誰かが表現活動しようかな~~て言っているとテンション上がってくるし、その”楽しい”活動絶対やるべきだよ!!!!!
と強く思う。

反対に筆を折りかけている人(この表現だと物書きに寄ってはいるが)には、
その”楽しい”を止めないでくれ~~~~~~~~~~~負荷量を減らしたら作れたりしません!!?今は作れなくても、将来作りたくなるかもしれないから筆はおらずに引き出しの奥にしまっておく程度にしときませんか…!?

とか思っているんだな~~~~~~
誰かに筆を折る宣言されたら、それがたとえ知らない人でも私の心がざわついて苦しくなるもんな…

なんでこんな共感?というか投影?というかをしてしまうのだろうと、長年謎だったんだけど、私にとって

「表現を諦める」=「楽しさを諦める」=「人生を諦める」=「いのちを諦める」
みたいな図式になっちゃうから嫌なんだ!!!!!

な、なるほど~~~~
”いのち”にかかわることならそら苦しいよな……
筆を折る宣言をされると、生きることを諦めちゃうようにみえてしまうんだな……屍になりきれない生きる屍はキツイデスヨ………

私のベースの一つに「私もあたなたも楽しんで生きましょう!」もあるんだよね
イノチノブレス講座で「楽しんで生きていきたい私」の存在には気づいていたけれど、自分だけではなくて他人にも人生を楽しみで満たして欲しいと考えているんだとはっきり自覚できた気がする。
ひとが楽しんだり喜んだり嬉しそうにしている空気感が好きなんだよな~~~て気づきもあった。


〇漫画表現へのこだわりはどこから来たか?
現在取り組んでいる漫画は、途中でコマワリを放棄しほとんど文字で埋められている。
それが私にとってはものすごく汚点のように見えていた。
だから文字が多いとかなんとか言い訳の一言を入れたがっていた。
その行動がなぜ起きるかといえば、漫画とは「できる限り絵で伝える」ことが重要だと私は思っているからだ。
それはスキルとしては全然間違いではないのだけれど、

「絵で伝える」ことを重要視し過ぎるせいで、その行為を放棄することは、努力を怠った怠惰な態度であり、漫画表現への侮辱である!!!とすら感じている……

ことに今しがた気づいたところだ。
お、重いよ……!ずっしり胸焼けする重さだよ……
おはぎの上にさらにうず高くとぐろを巻いた生クリームを山のように盛って食べるぐらいの重さがあるよ……

じゃ私は漫画表現について、「絵で伝える」ことを何が何でも遂行したいと考えているか?と問うてみると……

いいや、漫画は人生を楽しみたいから描いているんだ!!

という声が返ってくる。

ただ、楽しみたいからやり始めたことなのに、「漫画はこうあるべき」とか「読者から評価をもらえる漫画が正しい」とか「伝える努力をしない漫画に存在意義はあるのか」とか…そんなことをいつの間にか考え始めるようになっていて、その思考に雁字搦めにもなっていた。

どうしてイラストに対しては重い感情がないのだろう?と不思議だったが、私の中で一定のスキル値を満たしていると感じていて、「私がイイならそれでイーじゃん!線引くの楽しもうよ!」って思えられているから気持ちが軽いんだ
へ~~~~~~~~そういうことか


あ、あと
「漫画はこうあるべき」とか「読者から評価をもらえる漫画が正しい」とか「伝える努力をしない漫画に存在意義はあるのか」とか…
のあたり、ものすごく既視感があるぞ、と思って思考を巡らせてみたところ、、、

「漫画」に「(理想の)私」を代入できることに気づいた!

「(理想の)私はこうあるべき」
「他者から評価をもらえる(理想の)私が正しい」
「努力をしない私に存在意義はあるのか」


これは、仕事において理想の自分を追い求め自身に対して叱咤激励する「私」そのままじゃないですか……!!!

こ、、、、、、、、、、、、
こっっっっっっっっっっっっっっっっっっっわっっっっっっっっ

怖…フツーに怖いわ……どんだけ自分責めたがりなの……いやまぁそんだけ「私はありのままで受け入れられないはずなんだ」と思い続けていたせいなんだけど……
うわ~~~~~でもスゲーその気持ちは分かるし、今までの気づきとつながってくる。


私は「私の思う理想の漫画」を描いてみんなに認められるはずだったし、そうでない私に存在する価値などないと思っていた。
これは「私の思う理想の人生」とも言い換えられる。

理想を達成し周囲の人に認められることが私の人生の使命だと、爪が食い込むほど強く握りこんだ「そうあって欲しい現実」だったけど、もっと心の奥底、何枚もの重厚な扉を突き破ったその先にあるものは「楽しいことをして生きている私のままで居たい」という願いだった。

だから「私の楽しい」が優先されない漫画は作っていてどんどん辛くなってしんどくなって嫌になる。
つまり私は自分が「楽しい」と思う漫画しか描けないし、それがいのちを生きることそのものだというならソレで良いんだよ!むしろ、ソレが良いんだよ!

てことなのでは?


私のそのままで良いってことは私の漫画も私らしくて良い、この世界に私の描くような漫画もあってもいいじゃん!
てことか!
それを自分で認めらえると、これは心が楽になるな~~~~~

集団にいると所在ない感じになるのと同じ心理で「こんな漫画があって良いのか…もっと着飾らなくては…」と感じていたんだね~~~
私は私なりの魅力があると信じていいし、それは私自身が楽しいんでいるところから生まれるんだな!


私の行動すべてから「評価されねばならない」気持ちを手放すことで、漫画までも描きやすくなるなんて思ってもみなかった
全ては思い込みから始まっているというのは本当に……


そんな感じで、とりあえず漫画をブラッシュアップするぞ!
ものすごく珍しく、漫画を描くことに対してワクワクしている。
イイ感じだーーーーー




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