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不登校児の母7月振り返り

梅雨明けしないまま8月を迎えるとは…夏、青空と照りつける太陽の下を歩くと毎年「あ、なんだか私には相応しくない天気だな、夏は似合わないな」などと思いながら過ごしていた。今年は雨だるいな。と思いつつも私の心境や状況にあまりにもお似合いすぎる7月だった。不謹慎だがコロナで皆が動揺しどんよりとした空気が流れている、それもまた私に似合いすぎている。これは今まで私に投石し続けてきた神様の唯一の計らいか?とまで思えてしまう。

7月結局1日も娘は登校しなかった。トマトを収穫に放課後先生と久しぶりに学校に行ったあと、私には少しだけ希望と欲が芽生えてしまった。今まではずっと学校の話題を避け、腫れ物に触るように、娘が生まれてかつて一度もなかったように良い母であるよう努めながら生活していた。しかし、身勝手な親の希望と欲によって私の学校へ行ってほしいという気持ちは抑えられなくなった。

物で釣るのは良くないと思いつつも7月最終週5日間学校に行けたら、自転車とブレボーとお花柄のワンピースとハイカットのスニーカーを買ってあげるなどと言ってみたりした。昨夜は休み前最後の一日は大掃除と全校朝会とお楽しみ会と夏休みの過ごし方のお話くらいだから行っておいでよと提案し、いつのまにか提案は無理強いになり、最後は私は怒鳴り散らし、娘は泣きわめくという何とも地獄絵図のような状況になり私はキッチンに逃げ冷蔵庫に寄りかかり、よしもとばななの「キッチン」さながら、ブーンという音に癒されお菓子を食べて夜を過ごした。今朝起きてすぐ娘はママのせいでたくさん泣いたら目が変になってこんな顔じゃみっともないから学校へは行けない。と言ってきた。理由なんてもうどうでもいい。「そうね、いつだってママが全部悪いんよね。いいんじゃないの行かなくて。」と言って、今日は仕事の休みを取った私は午前は病院に行き、午後は散歩をして一人の時間を堪能した。正確にはコロナのおかげで私の愛する漫画喫茶にも行けないし、一人カラオケにも行けないので、娘の夏休みの自由研究に使う材料を買いあさったりなどして仕事から帰るのと同じ時間に帰宅した。

そう、娘が不登校になるということは家に私の居場所がなくなるということなんだと痛感した。普段であれば、お仕事疲れたよーなんて言って布団にダイブして休みは休みでやっとお休みだねなんて2人で話ながら休みの日、休息の時間を共有できた。けれど今はいつも娘は休みで、私は家でも会社でも常に自分以外の誰かに気を遣いながら生活している。

スクールカウンセラーや担任の先生が話を聞いてくれたことに私はちょっと感動してたが、それ以来一切音沙汰もない。そうだ、スクールカウンセラーにとっては1/学校の生徒だし、担任にとっては娘は1/30人なのだ。私だけが娘と1/1で接している。皆忙しいのだ。結局は1/1で接する私がほぼ全責任をもってこの不登校問題と対峙しなくてはならない。

他人様からの娘の不登校に関する言葉にもだいぶ強くはなってきたが、とはいえ蓄積する負の感情は私を追い詰めている。不登校の親にかける言葉に正解はあるのか、模範解答はあるのか私にはわからない。もしかしたら今まで生きてきた中で私も同じように誰かを傷つけてしまっているかもしれない。「小学校2年?大丈夫でしょ。お勉強なんてそんなに難しいこともしてないし。そのうち行きたくなるんじゃない?」「コロナ怖いし、自宅待機してるって思えばいいよ」「一人でお留守番してるなんて、すごいね、立派だね、頑張ってるね」と大丈夫だよ何とかなるよ目線での声を多くかけてもらった。一方で「学校は行った方がいいよね」「一人で留守番なんて心配だね」「健康面でも心配だよね」「休み癖つく前に行ってほしいね」「結構長引いてるね困ったね」などとグサグサ心に突き刺さる言葉をかけてくる人たちもいた。私は甘えたくて安心したくて最初は前者の言葉に支えられていたが、本音では「学校いってほしいな、なんでうちの子が?」という気持ちももちろんあったので、徐々に心を閉ざすようになって「どうせ他人事だもんね、もし自分の子が不登校になったらどうする?どう思う?自分のこと責めちゃうよ?気安くそんなこと言わないでよ」と思うようになった。

後者に関してはわかってるわ、うるさい!って言われた瞬間は思うんだけど、思い返すとそうなの、行ってほしいし行った方がいいと思うの!なんてタイムラグを経てひどく共感して落ち込んだりしていた。

中庸の言葉をかけてくる人は少数派だった。きっと私が求めていた言葉は「無理強いは良くないし、行きたくない行けない理由があるんだろうね。でもずっとこのままっていうわけにもいかないし何か策を練らなくちゃね。難しいよね。大丈夫?復学にいいタイミングがくるといいよね。できれば早めに。そうじゃないとあいちゃんの気持ちも参ってしまうよね」というような傾聴と共感が感じられるようなものだったのだと思う。

なんとも身勝手な私の求める模範解答なのだが、とりあえず不登校の親というのは想像以上に精神的に追い詰められる。当事者にしかわからない論はあまり好まないが、こればかりは不登校の親御さんに関する想像力が欠如していたなと思っている。いつの日か娘が無事に学校に行けるようになる日が来たとしても絶対に「大丈夫だよ、うちの子も行かない時期あったよ」なんてことは言わないようにしようと今から思っている。

当事者が偉いわけではないし、病気でもなんでもそうだが乗り越えた者からの言葉って意外に辛辣だったりもする。受け取る側だって、学校行けるようになったんだ、なんでうちの子は行かないのかな、私のやり方が間違っているのかな…なんていう負のスパイラルにはまってしまうこともある。しないでいい苦労はしなくていい。

7月、1か月間不登校の親を完走し、感じたこと思ったことはこんな感じだが、一言にまとめると「辛い!」です。

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