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茶鹿さんの小説感想、ネタバレ

この本のお話です。

第二話冒頭。Vtuberの説明。
「狐娘とかサキュバスとかただの犬がいる」と私が平然と説明している。
私自身の説明は作中にも、そして現実世界にもない。
私は私である、以上の説明はない。
その関係で定期的に「ボディ」が変わる。

72ページあたり。
歴史の授業をする私。
「FGOに登場するギリシア神話」のくだりはだいぶ解像度が高い。
これは元の原稿からで手は加えていない。
この後の展開上ギリシア神話の話が必要だったこともあり、ここはスルー。
ただ私らしさを追求するならオデュッセウスの話の方が自然だったかもしれない。
その後のトロイの木馬の下りから考えても。

私の配信を見ている人は知っているだろうが、私はこういう「講義」をよくやる。
小説内ではダンガンロンパのパロディ、学生パロディの範疇なので、
私は在野の研究者ではなく、まだ高校生である。
なので劇中の私の「能力」は自ずと限定される。
ただ普段の私を写し取るなら、やはり本流の話はそこそこに
くだらない-だからこそ面白い-話を多く取り上げていただろう。
トロイの木馬もだいぶあっさりやるか、漫画『マスターキートン』で取り上げられたという風に脇にそれるか、
ギリシア神話における馬の信仰、すなわち宗教学の方向にそれていたかもしれない。
劇中での私はだいぶ王道の授業をしているようだ。
もちろん必要があればそういうこともある。

なお授業風景に「寝ている岩手さん」が出てくるが、
ここは私の周りの指導教官がそうであったように
「眠たいなら教室の外で寝ていいですよ🤗」という助言(強制効果)を行っていだろう。場所がないなら仕方ないが。

劇中では「戦争の理由と争いの原因」について語られている。
これはもちろん、この小説が「コロシアイ」の場であり、その前フリということになる。
また、劇中では風邪が流行っている。医者の亜酔昏さんが対応にあたっているが、私もだいぶ過剰に反応しそうな部分。
太平洋戦争と熱帯地方の行軍の話を聞けば、この手の病気は実に恐ろしく思える。プルタルコスもアレクサンドロス2世の死因を風邪と記している。

そういえば劇中の私は人が死ぬ夢の話を聞いている。
私の興味分野のユング心理学は妙に夢診断に強い。
この夢は展開上重要な訳だが、夢の話を”はぐらかす”のに、十分な知識を私は持っている。

劇中は罪の話に入る(84ページあたり)。
この辺、私がいたなら、あるいは私が書いたならやたら分量が増えただろう。
ドストエフスキーの『罪と罰』、あるいはキリスト教が描く罪と許し、
あるいは近代的な世界における現実的な罪の現れやその対応、
世間的に言われる戦争犯罪はひとしく私の手の届く分野である。
実際の所、本編のようにきれいにまとめた方が作品としてはいいのだろうが。
そして、死人が出る。

死因は本来焼死と言いたい所を、燃え殻から見つかったのに刺し傷が見つかる。
かなり早い段階で推理が長くなることを暗示している。
この段階では容疑者は人を殺した夢を見たという人ぐらいで、
当然真面目な容疑者ではない。

推理シーンではアリバイが問題になる。
被害者とドア越しに会話したというものだ。
この辺の話次第で死亡推定時刻が大きくずれる。
トリックとしてはタネが比較的新しい技術なこともあり、
たぶんホームズでは使われていない。
「蓄音機」いや、「射影機」はホームズよりだいぶ時代を待たないといけない。

第一話の推理シーンと異なりわかりやすい犯人がいないのは特徴。
探偵と犯人が鍔迫り合いをするというスタイルではない訳だ。
なので構造としては当然味方とされる人物の中に殺人者が潜んでいるということになる。
ホームズではあまりこういうまどろっこしいことはしない。
アガサ・クリスティなら『そして誰もいなくなった』でも使われた形式で、
たぶん新しいミステリ系統ならさほど珍しくもないのだろう。
今風のミステリであるコナンや金田一少年の事件簿あたりなら似た例は無限に出てきそうではある。

なおこの推理シーンで登場人物たちにキツネがいるかが問題になるのだが、
私は人間扱いになっている。まあ実際、私は「変わった外見」をしている人間なのだから仕方ない。
「ウンフェルス」を「”ウルフ”ェンス」に間違われて狼扱いされることが多いぐらいである。

キツネの下り以降、だいぶ気合の入った言葉遊びが出てくる。
こういう趣向は好み。

さて推理パートの終盤、「私が犯人役を買ってでる」。
探偵役と鍔迫り合いしているのだから、犯人役というのは正しい表現だろう。
私は強いて推理を中断させようとする。
羅列している情報は間違えていないが、ミスリードさせる手法である。
「事実と嘘を混ぜる」のは事実を誤認させる基本的手法だが、
劇中の私はかなり忠実にこの手順を踏む。

さて、紆余曲折あり私は犯行を「自白」するのだが、
この時聖句まで唱えていたら私をよく知る人をこそ確実に騙せただろう。
すなわち「天に召します我らが父よ、我らの罪を許し給え」のような定型句である。
しかしミスリードをすると「個人」の名誉は守られるにしても、
参加者の多数が死ぬ。劇中の私はだいぶ思い切ったことをする。
気持ちは大切だが、命には代えられない。
現実には私は真犯人を-たとえ心が傷もうとも-指摘する側に回るだろう。