モスクワ発戸塚経由ペトゥシキ行

 酒を飲む、酒を飲み続ける。だが酩酊の中で冷静な自分がこちらを見つめている。たまらず飛び乗った列車の優先席に転がり込む。クレムリンを探してモスクワ中を歩き回り、ようやくスギ薬局で見つけたバスクリンを、向かいのゆで太郎の寸胴にぶち込んで店員に張り倒され、這々の体で逃げてきた。冗談ではない、冗談じゃないんだよ。息継ぎ代わりに吐き出した言葉で、往年の漫才師が福富町に開いた焼肉屋でチンポを出した記憶がよみがえる。神はいない、いないがどうした。そこら中に神社があるんじゃーッ!!と叫びながらズボンを降ろす手が空を切る。既に全裸なのだ。

 心の平穏が重要だとどこかの会社員が言っていた。そいつは救急車に轢かれてしまったが、何者にもなれなかった中年男性の果てしない空洞は並大抵のことでは埋まらない。戦争が終わった後、フリーダンとやらが家事育児に勤しむことこそが幸せだという価値観から女性を解放しようとしたらしいが、こちとら竹中平蔵に正規雇用から解放されてチンポを開放するぐらいしかやりようがない。振り回した男根がベティッと音を立てて武蔵小杉のタワーマンションにぶち当たる。グラスは揺れたか? とにかくだ、求めているのは己がすがりつく存在、できればその大きな物語の一部になりたい。しかし金も仕事もない中年男性が必死に探し回ったところで薬局前の色褪せたサトちゃん人形ぐらいしか見つからないのだ。バスクリンはさっき買ったから要らない。

 全裸で夕暮れの路地をとぼとぼと歩く、ふと誰かの視線を感じ顔を上げる。また職質ですか?しかしそこには燦然と輝く晋三のポスター。そうだ、日本があった。私は日本人だった。たしか二千年だか五千年だか二億四千万だかの伝統と文化。ワハハハハ!これこそがすがるべき大きな存在。明治以降の美しい日本を取り戻す!...しかし大正・昭和初期から敗戦までだとほとんど歴史の重みがないのでは?と通り掛かった大学生の指摘が胸に刺さる。うるさい!お前はおかきでも食べてろ!とにかく信奉するものが欲しい。例え向こうが救う気など微塵もなくともだ。かつて腐敗が蔓延した教会に神の姿を見失った民衆は、自然の中に信仰を見出した。しかしここ戸塚にはシナシナのチンポみたいな植林樹ぐらいしか見当たらない。何ッ!誰のチンポが...!という言葉をグッと飲み込んで落ち着いて考える。このプラ板を上手に切ればラーメン二郎の食券になるのでは...?島忠の加工サービスコーナーの親父に頼みに頼み込んでカットして貰ったところで、去年も同じことを試して熱湯をぶっ掛けられたことを思い出した。何の話をしていたんだったか。多分チンポの話でしょう。違う。ロマン主義の話だ。また入浴剤買いに来たんですか?というスギ薬局の店員の引きつった顔。バスロマンの会計を済ませ、ゆで太郎の店員に見つからないよう急いで店を出て、私はペトゥシキ行きのエレクトリーチカに乗り込んだ。

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