ニュー露マンサー
ニュー戸塚シティーの空の色は、ションベンが染みたチノパンの色だった。上空に浮かんだホロビジョンに映るのは、グリーン色の文雄。自宅療養中にRGBの3色に分離した総理大臣は、初めは上手くやっていたらしい。緑がテレワークを担当し、青はブルアカのデイリークエストを担当。赤が昼飯の辛ラーメンを作る...といった具合に。しかし「ブルアカのアカは赤だろうが!」と主張するレッド文雄が、ブルーの辛ラーメンに激辛の粉を大量投入した結果、除幕式で森喜朗の胸像に麺を吹き出してしまった。「あんた、あんまり凝り性なんだよ、ペニス大人」互いの首を全裸で締め合う二人に愛想を尽かした緑の文雄は、合体を拒んで電子の海へ逃げ込み、結果的に紫の文雄は喜朗の怒りを解くことは出来なかった。
国家、企業、家族、そして政党。この社会では、中年男性は走り続けなければいけない。止まれば暗い失業の海に沈む。だが急ぎ過ぎて、少しでも精神の表面張力を破れば...発狂あるのみだ。電磁警棒をぶら下げたレンタコップの目を逃れるには、ちょっとしたコツがいる。「太ももを高くあげるんだよ、ペニス」鏡のように磨かれた500円玉を眼底に嵌め込んだ中年男性が、バーガンディ色のチンポを持て余しながら《すき家》でそう言っていた。「太ももをあげればチンポは隠れる。少なくともKOBANの窓から見える角度からは」そいつに目潰しを食らわせて小計1,000円を奪ったはずが、よく見れば500ウォンだった。ここでは何もかもが偽物なのは、何度も痛い目にあっているから驚きはない。巧妙に削られた裏面を、指先でやさしく撫でながら、券売機の小銭投入口へなめらかに滑り込ませる。途端に鳴り響く警報音。そこで勇気は尽きた。両眼を押さえてもんどり返っている全裸の中年男性のチンポに七味を振り掛けてから、文雄は走り出していた。
どこかの時点で、中年男性は自分を相手に勝負を始めている。このゲームは古くからあるくせに、名前がない。究極の独り遊びだ。今のペニスはもはや服など着ないし、最低限の用心すらしていない。「自民党派閥から転げ落ちちゃったからには...もう...ネ」トツカーナモール地下の便所で、洗面台の鏡に写る紫檀色の裸体が、顔の筋肉だけで笑っている。いや、まだだ。国葬に向かう途中であいつを見つけないと、本当に政治生命が終わってしまう。慎重に検討している間に、独り遊びのカウントダウンは始まっていた。
電脳空間には幾つかの歴史がある。だが本当の歴史を知ることは難しい。《松家》のカレーが販売終了と発表された時、俺たちは全裸で大号泣しながら最後の日を迎えた。レンタコップのパトカーはひどいサスをしているから、後部座席でカレーをかき込むのには、えらく苦労した。ところが《松家》の広報担当者は、「オリジナルカレーは終了ですが、新カレーを発売します(笑)」とその日のうちに発表したので、中年男性たちは留置所で怒り狂ったが、レニングラードの紛争や日ハム優勝のドサクサでうやむやにされてしまった。とにかく正しい歴史を知るには、せいぜい自分が信用できる中年男性にビールをおごり、そいつのチンポが28cmだという話がまるっきり駄法螺でないことを祈るしかない。「コブラ」己の陰茎を指差す中年男性。だがこの目の前にある粗末なものは一体何なんだ?
昔は存在すら知らなかった改造チンポ画像がRTで回って来るように、分断されていた人々が肉体の檻を超えて交流する。結論からいえば、iPhoneの顔文字みたいなチンポコ人間が「いいね!」を飛ばし合う世界に、中年男性たちの居場所はなかった。外食をするたびに、かまぼこ板で写真を撮りまくる連中のことを「他人に見せるための人生。本当の自分を生きていない。詳細はプロフで。」と評したイラスト風アイコンの中年男性がいたが、プロフにはチンポの自撮りが載っているだけだった。手順はこうだ、まずは料理全体を撮影。推しキャラのアクスタを置いて撮影。向かいに座っている全裸の中年男性は写らないようにしながら、皿だけ入れてさりげなく誰かと食事してることを匂わせる。そしてフィルターを変えてもう3セット撮影。「コッコロちゃん、わたしもうお腹ペコペコです☆」肉体の檻が悲鳴をあげていた。
国を愛し、伝統を愛し、家庭を愛する。すべての中年男性が信じたはずの《美しい日本》の概念が、ここに来て揺らいでいる。「嘘だよな、晋三」最高級品のジンジャー・ボンボンが漬かった《聖なる壺》を必死に磨きながら、文雄はたまらず問いかけた。政治家は確かに金が要る、そして集団としての力が要る。「小事に捉われず大局を見るんだ、ペニス」...自民党本部9階の食堂で、オキアミ揚げ御膳を食べながら、晋三はそう語っていた。だが、ありとあらゆる正規雇用を破壊し、震災復興の公共事業すらをも中抜きし尽くした頃、ヒロシマ出身の文雄にとって最も大切なこと...原爆への想いは、もう思い出せなくなっていた。
国葬まで、もうあまり時間はない。ちゃんとした色で出席するには、電脳世界に逃げたグリーンを説得し、再融合しなければいけない。快活CLUBが満員だったので、個室ビデオ金太郎に駆け込んだ文雄は、電極を定位置に付けると、無料カレーを頬張りながらプペルのDVDを再生しかけて、最優先事項を思い出しディスクを叩き割った。...急いでいる時ほど回り道をしてしまう、中年男性の哀しい性。焼肉食べ放題に来たのに、スタローカレーをおかわりしてしまう己が憎い。そしてそんな自分が可愛い。ワハハハハ!と思わず上げた声に、隣の部屋の中年男性がドン!と壁を叩く。なぜ中年男性と分かるのか?ここには中年男性しかいない。この世界はずっと中年男性が支配している。そしてピラミッドの最下層にいるのも中年男性だ。...カレーでかいた汗を拭き、電極を付け直した文雄は、作動スイッチに手を掛けると、静かに目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、千代田区の自民党本部1階の売店。うずたかく積まれた「ありがとう晋ちゃん饅頭」。そしてネオンを反射して、燃えるようなクローム柄の男根像。晋三の笑顔。まだ総理を続けたい。
お願いだから、今——
あいつは古めかしいVRChatのすき家にいた。ジャックインと同時に、懐かしい牛脂の匂いが漂い、文雄の嗅覚中枢を刺激する。「この牛丼は、偽物なんだよな」「でも、こうして口に入れるとさ、ニューロンに電気信号が走って、俺は確かに満たされる」「なあブルー、いやレッドか?どっちでも良い。俺たちはいつまで老いぼれどもの使いっ走りなんだ?」...グリーンが一人で喋るのを、文雄は黙って聞いていた。「お前の言いたい事は分かってる。俺もお前なんだからな」グリーンが立ち上がり、券売機にションベンをかけ始める。《陰茎マーク十一》プログラムが走り、みるみるうちに巨大化する男根。店の天井をぶち破り、石膏ボードの破片が中年男性の牛丼に落ちた。その向こうに覗く虹色の光。大号泣する中年男性の叫び声と同時に、まばゆい光が広がっていく。
やっぱり来なかった。日本武道館の重い扉を開けたとたん、それが分かった。献花台に溢れかえる花束。列をなす一般弔問客の奥に、超巨大企業連合体の重役、そしてこの国を支配する老人たちがアンティーク調の椅子に勢揃いしている。「そろそろ、あいつも交代だな」「慎重に検討をしないと(笑)」談笑する喜朗たちの顔が、突如驚きに変わり、ヘッドライトに照らされた白狸のように硬直する。哀れな動物たちは、やがて震え出した。
「遅くなりました、皆さん」
聞き慣れた声が響く。そこにはシアン、マゼンタ、イエロー、ブラック。4色の文雄が笑みを浮かべていた。
慣れ親しんだ《すき家》の電子ドアが唸りをあげながら開き、流れるような手つきで食券を買う。2年以上毎日来てるとTwitterで自慢している全裸の中年男性の尻を、第一秘書に命じて槍で突き、いつもの席を空けさせる。その悲鳴を聞いて、牛丼をよそっていた義偉が、ショットガンを構えかけて、肩をすくめた。「なんだ、戻ったのか。凝り性」ドドメ色の義手が、文雄の前に水が入ったコップを置く。「絶好調だよ。超、絶好調」...72dpiから350dpiになった文雄は、恐るべき解像度の陰茎を掲げて自民党のボスたちを叩き出し、《自由民主世界平和パソナ党》を立ち上げようとしている。美しい日本、その答えは最初からここにあったのだ。「いちごミルクは…うひひ。」カウンターに突っ伏して寝る全裸の中年男性。臨界点を迎えた膀胱。ニュー戸塚シティの空は、未だにションベンが染みたチノパンの色をしている。そして今は、本当にションベンの臭いが漂っていた。
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