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スローシャッター感傷【1】

私は、海外へ出たことがない。

冒頭からすまない。
パスポートを所有したこともない。

ひとつ上に兄貴がいたので幼少期は、戦隊レンジャーもの、マジンガーZ、ヤッターマンが好きだった。春はヨモギを採り、夏は日が暮れるまで木登りや畑を走り回り、秋はトンボを追いかけ、冬は雪の要塞を造ってそり遊びをして健全に育った田舎農家の娘だ。

両親は朝早く夜が遅い、今のように機械化がなく全て手作業でしていた時代だった、自分も畑仕事は手伝うし、母の代わりにご飯支度をしたり、歳の離れた妹の面倒を見ていた。癒しといえば、本好きの父が購入した「学習辞典セット」はじめ絵本や本だった。

しかし、猛烈な反抗期が来て、
家の何もかもが嫌になったのが17歳の夏休み。
「ヒッチハイクで旅に出たい」と両親に告げたがこっぴどく反対された。

理由は、「女だから」

女の一人旅など危険だと言うのである。連れ込まれたりしたら、力で敵わないと。返せる言葉がなかった、女に生まれた自分ごと嫌いになった時期でもある。ネットも携帯電話もない時代、情報もなく女は一人旅ができないと、悟ったのだった。旅への渇望が原始にあって私を形成している。


発売日に直販サイトから届く!開封の儀!!

夢ほど待った!本が届いた!!

こんなに待ち望んだ本は、人生初と言って過言ではない。敦嗣さんのnoteを読むに至った理由については、待ちきれず発売前備忘録として前回noteした通りであります。

ひろのぶと株式会社を応援しよう、株主になろうとした理由は、ひろのぶさんのファンだから!という恋は盲目よ的な理由もあります。ですが大きな理由が、あります。

紙の本が、本屋が、意味を持って生き残る世界の住人でありたい、生きた作家を応援することへの拘り。です。

私が応援した作家、ジャーナリストは本を遺してこの世にはいません(いつかこの辺りも折に触れて備忘録できたらとはおもいます、大切な本です)

敦嗣さんのnoteを読みはじめた時期は、仕事も、趣味として絵を描くことも本を読むことすら気力なく。「3分間のカップラーメンができるまで」(当時のスローガンだったような…記憶違いでしたらすみません)だったので、敦嗣さんのnoteを読むことで徐々に読む気力に火を灯し、「旅することは、生きること。」が、、

「生きることが旅すること」になっていった。

装幀デザイン、プロモーションも全て「スローシャッター、田所敦嗣」の叙情的なイメージが伝わるのである。開封の儀、真珠をゆっくり伸して紙にしたようなカバーの艶めき綺麗な色と黒。帯のマット黒い厚紙に浮かぶ箔押し銀。匂いを嗅いだ(決して変態ではない紙の匂いが好き)重さも全てが、紙の本の醍醐味だった。

サインと特典と…ありがとうございます。

目次構成も見事で、編集者の凄まじさを感じる。「フェイの仕事」が掲載されたことに、安堵した。どの旅も好きだが、私はフェイが大好きだ。しかし「アプーは小屋から世界へ旅をする」はnoteを読んだ筈なのに冒頭から涙してしまった。気がついたら、アプーが世界地図を広げて調べたように、Googleマップで敦嗣さんが実際に辿った旅路定点を確認したくなった。

既に地球規模で一枚画に収まらないぞ

頁を開いては止まり、パラパラと戻り、また読み進み…紙の本ならではの、良さを確かめている。本書は仕事の鬼・編集者つーさんによって「田所編集までしたが泣く泣く見送る作品」があったようである。それはそれで、旅が続くという喜びと期待がある。

旅を続けましょう。に泣いた。

まさか、発売日に旅の更新があるとは、想像していなかった供給過多だと誰かが叫んだ、私は泣いた。もう、ひろのぶとファミリーと同じ時代に生きるの間に合って、よかったとすら思うよ。

今日時点で「メコンデルタの花嫁」まで。ゆっくり、読んでいます。
ひろのぶさんの後書き「二人のアツシ」も読了後に読む。

「スローシャッター感傷」はまだまだ続きそう



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