こどもの一生 わたしの解釈


こどもの一生を見てきました。
松島聡くんがびっくりするほどかっこよくて、見惚れていて、それでいてお話がびっくりするほど面白かった。そして、びっくりするほどこわかった。

松島聡くんのことを、松島聡くんの表現を、松島聡くんの仕事をこんなに好きなのか、こんなにも愛しているのかと改めて思い知らされた話を含めて後日ちゃんと書きたいなと思っていますが、とりあえず今日初めて観劇していちばんモヤモヤした部分に一応の決着がわたしの中でついたので、まずここで。
マジで自分用のメモなのでそのうち色々ちゃんとして追記したいな〜〜〜〜〜できるかな。

以後、細かい描写などかなり省いていますが、
観劇していないができる限りブログを読みたい人の助けにはならないくらいきゅっとしぼった形のネタバレを含みます。まだ見ていない人にはいちばんタチの悪いネタバレだと思うので、ご注意くださいませ。







??なぜ、三友だけが溺れたままだったのか??

患者それぞれ自分のストレスからくる病気に打ち勝った、だから山田のおじさんはいなくなった。
でも「病気は治せるけど性質は治せな」い。
性質としてサイコパスだった三友はこの一件を経ても何も変わってない。から、戻ってこないのかな〜。
わたしの中では院長と井出ちゃんもまた、こどもになってないだけで、治療をしている立場なだけで、マジックマッシュルームを食べることで幻覚を見る力は強くなっている からこそ、山田のおじさんをいっしょにみれてしまったし、一回は死んでしまった(でもじゃあ最後に生きていた院長と井出ちゃんは誰なんだろうね…となる。となると、この物語のすべてが柿沼の頭の中の話という感じもしてくる。わたしには。柿沼が、自らの病気と戦う柿沼の中の物語。こうなってくると、最初の問いも、柿沼が病気に打ち勝ったことでその最大の原因だった三友はもう存在できなくなってしまったのでは?とも思う。)


観劇中、こんなにも面白い物語はどういう結末を迎えるのだろうとずっと思っていた。
こんなに面白いけれど、これは何を言いたい話なんだろう。展開がどんどん怖くなっていって恐怖に包まれながらも、同じことを考えていた。何が言いたいんだろう。

なぜ三友だけが溺れたままだったのか、という問いをいまみたいに整理してみると、結局、

1944年の中尉と兵卒の話も、こっくりさんも、2022年の柿沼のおはなしも、すべては各々の強い思い込みが「存在しないもの」を各々の認識の中に存在させてしまった話で、
ストレスにしろトラウマにしろ色々要因はあっても古今東西そういうことってあるよね〜ということなのかなという結論に落ち着いた。わたしの中では。中尉が三友で兵卒が山田のおじさん(と同じ演者さん)で…ということは案外どうでもよくて、結局人間の認識における「存在」ってすごくあやふやでふわふわしているところがありますよね!ということなのかなと解釈した。劇中にも、山田のおじさんが「存在していること」はだれかが横にいてその存在を言わない限り存在するということにはならないみたいな…セリフがあったよね…井出ちゃんにひとりで話してた時…(めちゃくちゃこわかった。頭取れるのよりよっぽどあれがこわかった。)


えーん。よくわかんないけどわたしの中ではとりあえずこんな感じで落ち着きました。もう一回見たいな…もう一回見たいしちゃんとまとめたいしもう一回あのキャスパレ?というらしいシーンを見たい。とりあえず今日はここまで、自分用メモでした。

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