ほほえみデートについて


フォロワーさんのすてきなフォームに拙文を投稿しました。ほほえみデートについて、感想を募るというもの。
そのときハッとさせられたことがあったので、残しておきます。
以下フォームに投稿した文章まま。



もともと錦戸亮のオタクであるという自覚を持ったのがほほえみデート後だった私は、2015年末に初めて見て被爆し、何この2人、ヤッバ……と意識し、ほほえみまるりょ沼を転げ落ちるうえで1つの大きなきっかけとなったのがほほえみデートでした。
わたしにとってまるりょちゃんの魅力は、(ちっとも言語化できていないので申し訳ない限りなのですが……)何してるんだかよくわからない、気付くと2人でほほえみあっている(わりとほほえみという名付けは天才だと思ってます)、そこに2人の世界があるその事実です。丸山さんによってしか引き出されない錦戸さんの魅力と、錦戸さんによってしか引き出されない丸山さんの魅力の化学反応が最高だなと思っています。ほほえみデートという機会は、プランを達成していくかたちで2人の魅力・2人の世界を見せつけられ、2人の人間性が噛み合っている様に途方も無い魅力があふれていた罰ゲームでした。個人的に一番好きなのが、お互いに、お互いにしかできない部分のプレゼントを贈りあっているところ。2人とも、器用ながらも不器用であることには人後に落ちないように思いますが、その2人のお互いの一生懸命を贈り合う愛が、そしてこの後の贈り合いのある種の出発点となったところが、大好き以上の言葉でわたしには形容できませんし、このデートに本当に感謝したいです…。
錦戸さんがグループ・事務所を脱退したとはいえ同期入所かつデビュー後15年間を関ジャニ∞として共に過ごしてきたのに、ユニット曲のないまま「まるりょ」のこの先を見られないであろうことはあまりにもくやしいですが、1人が1人に贈った曲を、そして贈った場面を映像として残してもらえていることは1つの救いというか、それはそれでなかなか珍しいことだとも思うので、今となってそういう意味でもほほえみデートという罰ゲームに感謝したい気持ちもあります。


書いていて、やはり自分はどうしようもなくこのコンビが好きで、これからは2人の世界が更新されていく様を「見ること」は少なくとも不可能であろうことに改めて思い当たり、泣いてしまった。今ある事実にはくやしさと寂しさがすごいけれど、その一方でやはりこれからもこの2人を好きでいたいなと改めて思った。自分の中で大切にして生きていこうと小さな決意をした。すてきなフォームに感謝です。本当に。



「ほほえみ」にしても、錦戸さんが関ジャニ∞に、そしてNEWSに、ジャニーズにいた事実にしても、それら全てに今感じているどうしようもない寂しさからも、
それぞれがそれぞれの人生を全うして、わたしも「世間で言う立派な大人」になって、時間も経って、前に進めたとして。
前に進めたその時、わたしはこの今の寂しさを克明に、今の気持ちをありありと思い出せるのかな。
もし思い出せないなら前になんて進みたくないよと思うのは、前に進もうとする彼らの思いとは違ってしまうだろう、それでも。
この寂しさも、考えた時にふと湧いてくる苦さも、それ自体わたしにとっては彼がアイドルとして生きた証であるような気がしているのは、気のせいなのかな。


あの日のままに生きていけたら…そう願うのでした

まさにそうなんだよなぁ。
あの夏、いや、この夏に繋がっている扉の鍵、それだけはずっと持って生きていきたいな。映像には残っていなくても、ブリュレでずっと笑いあっていた9/2の東京ドームでのあの顔を、わたしはずっと忘れたくないな。

ずっとずっと大切にすると決めたので。

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