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雑記: 老害、ポンコツへの恐怖

歳を取り、経験年数が上がるにつれて思うこと。

ある程度経験値が貯まると、その経験を活かして物事をやりくりすることができるようになっていきます。

それはとても良いことです。
しかしいつの日か低きに流れ、自己研鑽を忘れて、過去の経験でこなしていこうとすることを増やしていき、いずれは大抵のことは経験済みだと思い込み全てに過去を当てはめようとしたとき、人はポンコツになり、老害化していくのだろうなと。

よく使わせてもらってる喩えや言葉は
毎日歩いてたって競歩の選手にはならない。
仕事でも趣味でも同じ。ただ「やっている」だけではある程度のライン以上は成長しない。負荷が無いといけない、つまり訓練が必要

・芸人さんの「芸歴何年」は実力のエビデンスにはなってない。
社歴や仕事の歴も同じ。経験から何を学んで経験値とするかで2-3年で新人とベテランがひっくり返るまではいかなくても大きな違いを生む。

・オーガニックグロースを超えて成長していないのなら自分は成長したとは言えない。
会社の同僚、同期はみんな大なり小なり成長していくわけです。その波に乗れてなければスタートは優秀でもすぐにポンコツになります。維持してるだけなら周りからはマイナスに見られるのはそのせいです。

・当社比(自分比)で成長や成功を自覚することが大事。
半年前、一年前の自分と比較して何ができるようになったか、成し遂げられたのか、小さいことでもいいから成長したと思えるように過ごすの大事。

こんなことを考えながら日々過ごしてきました。
が、ある程度の年齢 所謂おばさんおじさんになってから、これらはさらに重要になってくるんじゃないかと考えています。

・新しいことを憶えるのが億劫になってくる
・大抵のことはこれまでの経験で何とかなる
・いまの若い人に言いたいことがある


老いていけば当然そんな風に思っていくのでしょう。想像です。
こう思い始めたらポンコツへの最短距離か…それなら考え方を変えて、これらを克服すればアンチエージングになるんじゃね?というのが本題です。

新しいことを憶えるのが億劫

「新しい何かを始める」は慣れ。おっさんになってから初心者はみっともない? そうでしょうか。初心に立ち帰ることで新鮮な気持ちになるし、おっさんとはいえ10年後は全く初心者ではないっしょ。
またおっさんは最初からその経験がある訳では無かったことを忘れがちなので、後輩や歳下の気持ちも少しは理解できるようになるかも。生まれた年の差による情報の非対称性とか先行していることと優秀とか実力とかは無関係。

新しいもの、とはいえ若い世代の流行を追うことに費やす必要は必ずしも無いと思います。アレジドリーな拒否や否定をしなければいいし、例えば音楽なら今はサブスクのお陰で、検索して右上の「+」ボタン押すだけで触れることができます。

そして、新しいことを取り入れる過程で必ずしも全部続ける必要はないかなと。私も毎年何かチャレンジしつつ挫折したものが山程あります。DTMの直前は、在宅だしダビンチリゾルブで動画編集を勉強しよう!とか言って始めてました。カラーコレクションのところでオワタ。

新しいことというのはNewだけではありません。
Updateも、おっさんにとっては新しいことと言えます。

特に、倫理観のアップデート(パワハラセクハラなどなど)をしないことは社会生活においてはクリティカルな問題の当事者になるリスクがあります。過去の経験と今では世界が全く異なっていることを自覚してアップデートしないと、老害の最前線に自らを送り込むことになりますね。

大抵のことはこれまでの経験で何とかなる

そう、これです。何とかなる(2021年現在に満足できるクオリティの成果を得られる)と思ってるのは本人だけ、なんてことになりかねません。

ましてや、New Normalで先行きがアンプリディクタブルな現状で、これまでのノウハウや慣習が通用しなくなっています。今は、これまでなら「無理だろう」「慣習的に厳しい」と出てこなかった、却下(して)されていたようなアイデアに脳みそフル回転しないといけない。

経験や実績は新しいアイデアを生み出すために活用しないと、もったいない。おっさんはその点有利なはず。

若い人に言いたいことがある、伝えたいことがある、アドバイスできるものがある

少し前にこういう話をする機会があって言語化したことはあったんだけど、文章に起こしてみました。
個人的には、自分は変わらず対自分比で少しでも成長しつつ、自分の経験や知識でシェアできるものは何でもシェアしていければなと思っています。
人は、追い抜かれる恐怖とかがあると情報を隠す方向に向かうと聞いたことがあります。
私はダメな自分も大好き、な自己肯定感が異常に高い人間なので、自分が苦労したことを必ずしも他の人が経験しなくていいと思うし、それをスキップすることで何か別の新しいことができるようになればいいなと思う。シェアしたところで自分の存在価値が目減りすると感じることもない。ここまで書いたところで最後に、

良かれと思って聞かれてもいない、的外れなアドバイスをするウザイおっさん マンスプレーニング

の罠がありますね。クソリプ注意。これめちゃくちゃ大事。めちゃくちゃ良いこと書いてる感じで突然の落とし穴。おっさんの経験談は別に世の中に必要とされていないという自覚を持たなければならない。

自分語りをするならブログやここでやらないといけない。読む側に選ぶ権利がある場所。クソリプは通り魔的。
なので、断定した物言いとか、俺のときはこうだった的なストリーテリング、マンスプレーションはくれぐれも注意しないといけない。"一見アドバイスを求められた"ように聞こえた"ときにこそ注意

相手に悩みがあるならまずはそれを反復して受け止めてから。話聞いて欲しいだけ、共感して欲しいだけ、雑談のネタくらいのことは幾らでもある。

最近眠れないんすよー に 
・健康面のアドバイスしても
・俺の若いときは〜みたいな話しても
・精神論説いても
・みんなそうだよと言っても

は? てなるわいな。

眠れないのかー 

でいいらしい。小手先だけど、老害予防の第一歩に反復受け止めの術を身につけます。

というわけで、7つの習慣を踏まえて老害にならないよう気をつけながら日々過ごしていきたいものです、というお話でした。

おやすみなさい。

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