宮廷風恋愛について(貴婦人編)
おはようございます。今回は、大目玉とも言える「宮廷風恋愛」について紹介します。このテーマで有名なのは「Chanson d’amour 」と言う恋愛詩かと思われますが、今回取り上げるのは、現実に起こっていたと考えられる「恋愛」についてです。
前回取り上げました内容に、「特に長子相続制に於ける次男以降の騎士は領土を相続出来ないが、生きていく為に収入が必要であった」旨を紹介しました。この「宮廷風恋愛」と呼ばれる「騎士と貴婦人の不倫」には、この背景が強く影響しておりました。
本題へ入る前に、ハッキリと分けておかないといけないところがあります。「恋愛遊戯」とは別物である、という事です。差し詰め、「Chanson d’amour 」が流行る以前、と言うべきですかね。今回は、その違いと両者について紹介して行きます。
先ず「宮廷風恋愛」とは何かと申しますと、騎士と貴婦人間の不倫です。しかし、現代の不倫とは意味合いが大きく変わります。恋愛感情抜きで執り行われていた「政略結婚」の後、子供を産んだ後に、ようやく貴婦人は自由に愛を解き放つ事が許されていました。言い方を変えれば、相手にしてくれない亭主にではなく、不倫相手へ欲求不満を晴らしていたと言う事です。此処で大事なのは、彼らにとっては、不倫ではなく飽くまで「恋愛」だったと言う事です。
出産後の貴婦人は当たり前のように不倫しておりましたので、騎士と貴婦人間の不倫は大して珍しくはありません。しかし、だからこそ、その背景には目を背けられない問題が孕んでおりました。
貴婦人にとっての不倫とは、
・欲求不満の捌け口
・足を伸ばせる関係
・捨てられた後の保険
と言う側面がありました。
2つ目までは容易に想像出来るかと思いますが、最後が一番のポイントとなります。
当時は強烈な男権社会で、亭主が安心して遠征出来るよう、安心して軍事活動が出来るよう、貴婦人の発言権を認めておりませんでした。何か文句を言えば「折檻」に遭う貴婦人は、死ぬまで我慢し続けるしかありません。
しかし、こんな実例が残っているのです。
とある貴婦人は、長年連れ添っていた亭主から捨てられ、修道院へ送り込まれた。修道院へ行くと言う事は実質の財産没収であり、無一文となった貴婦人は修道院で過ごすこととなり、その亭主は違う若い女性と再婚した。と言う物です。
このような話が当たり前のようにチラホラと出て来ますので、当時は少なくなったケースかと思われます。従いまして、貴婦人はいつ捨てられるか分からない状況で過ごす必要があった訳です。
捨てられるかも知れない。財産没収を受けるかもしれない。でも、どんな目に遭っても、自分には引き受け手が居る。
そんな保険を欲して、信頼を置ける人物を探しておりました。その対象こそ、騎士が打ってつけだった訳です。
その理由は次の記事で紹介致します。
以上が貴婦人が騎士を求めた現実的な側面です。『恋愛礼讃』と言う分厚い本に様々な事が書いてありますので、興味が御座いましたら、一度読まれることをお勧めします。
次は騎士の目的です。が、かなーーり長くなってしまうので、次回にしたいと思います。
と言う事で、今回は此処までにしたいと思います。
今回も、御閲覧下さりありがとうございました。
拡散して頂けますと、大変幸いです。よろしくお願い致します。
それでは、また次回の『騎士の目的』でお会いしましょう!
失礼致します。
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