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イクイノックスのこと.5(終)

五つ目、ラストになります。
もしここまで全て読んでくださった方がいらっしゃるのであれば、本当にありがとうございます。
いないとは思いますが。
これ以降も何かしら書くつもりです。

以下、本文

 宝塚記念を勝ち現役最強馬としての立場を固めたイクイノックスですが、凱旋門賞には向かわず、ジャパンカップを大目標とすることが発表されました。BCターフということも言われておりましたが、結果的に連覇のかかる天皇賞・秋からジャパンカップというローテーションが決定し、この二戦にはドウデュースも出走することになっておりましたので、ついにこの二頭の対決が実現することになったのです。
 ここで、イクイノックスとドウデュースという二頭について私が思っていることについて書いていきます。はじめに私が新馬戦を観戦し、競馬への入り口となり、家族一同が応援している馬がドウデュースであり、それに対抗するように私が目を付け、レースの日になると緊張と不安で体調不良を起こすほどに入れ込んでしまった馬がイクイノックスです。そんな二頭が、世間ではライバルとして扱われ、日本ダービー以来どちらが強いのか、としばし議論されていたのですから、私は因果というものの恐ろしさを感じるのですが、明らかにイクイノックス側に立っていた私は、この二頭が「同率のライバルである」という評価はともかくとして、天皇賞・秋や有馬記念のときにしばしば見られた、「ここにドウデュースがいれば」「この馬に勝ったドウデュースはどこまで強いのか」といったドウデュースに対する評価が不満でありました。ドウデュース自体は、(かわいそうではあるのですが)日本ダービー以降精彩を欠き、京都記念こそ快勝したものの、G1には出走すらしていない状況であり、その間にG1四連勝を達成していたイクイノックスと並び立つ、どうかするとそれよりも強いという評価が下るのは、あまりにもズルいと感じる気持ちが分かっていただけるでしょうか。実際に勝ち続けて世界一の評価を勝ち取ったのはイクイノックスであるのに、戦わずしてG1の勝利数でも半分である馬が、同率ならまだしも、出ていれば勝っていた、なんていう評価を受けるというのは納得がいかないのです。中でも最も私が否定したかった意見というのが、日本ダービーでのドウデュースはソラを使ったために、本来であればもっと差は開いていた、枠の差については、13番と18番では大して変わらない、という意見でした。ドウデュースはソラを使おうとしたが使わないように気合を入れたと武豊ジョッキーは言っていたので使おうとしただけで使ってはいませんし、13番と18番、どちらも外枠ではありますが、明確に不利であると言われる大外枠との違いは明白だと思います。
 とまあ私はドウデュース側に対する鬱憤(嫌いな訳では無いのですが)が溜まっておりましたので、天皇賞・秋では、どうしてもドウデュースにだけは負けてほしくなかったのです。もちろん勝って欲しいと思っておりましたし、勝つだろうとも思っていたのですが、またここで負けてしまった場合、ドウデュースはジャパンカップを使わないのではないか、もう勝利する機会は訪れないのではないか、勝ち逃げされてしまうのではないかというイメージがあったのです。ただ、同じくらい楽しみにしていたのも事実です。ドウデュースの新馬戦で目をつけていたガイアフォースも出走することになっていましたし、十一頭立てで紛れもなく、マッチレースが見れるのではないか、という期待もありました。
 天皇賞・秋の前日、私はRと、もし乗り替わりになった場合、誰が乗るのだろうという話をしたことを確かに覚えています。冗談のつもりで話していたのですが、スターズオンアースが回避になったこともあって、M.デムーロが最有力だろう、なんて話しておりました。なので、冗談のつもりだったとはいえ、武豊ジョッキーの乗り替わりについては、予測できていたはずだったのです。そんなこともあるだろうと。しかしあの乗り替わりに関しては、落馬事故からのものでもありませんでしたから、八レース終了後にモニターに映し出された騎手変更のお知らせの文字を見た私の心の動揺は本当に凄まじいものがありました。とんでもないどよめきが会場に起こりました。私はいつものように緊張と不安に苛まれていたのですが、Rのもとに駆け寄り、唖然として顔を見合わせるしかありませんでした。同時に沸き起こった感情が、また、ケチを付けられてしまうな、ということでした。いつの間にか不安は別のものに置き換わり、イクイノックスにはこの最悪な知らせを吹き飛ばすような、「武豊騎手が乗っていれば」とは言わせない圧倒的な勝利を求めておりました。
 レースが始まると、イクイノックスは好スタートを切り、その後ろをドウデュースがマークするような位置取りで走っていました。先頭のジャックドールからあまり差がありませんでしたので、ペースはそこまではやくないと思ったのですが、57.7秒という数字がターフビジョンに映り、辺りがどよめきます。そして四コーナーを曲がり切ると、イクイノックスは後続を突き放していきます。もう二百メートルを切った頃には勝ちを確信して私は両手を挙げました。隣で項垂れていたRには気が付きませんでした。そして掲示板に表示されたレコードの文字が私は今でも忘れられません。きっとこの先忘れることはないでしょう。胸を張って、武豊騎手が乗っていようと、イクイノックスが勝っていた、と言えると思うとともに、歴史的瞬間を見れたと思いました。天皇皇后両陛下に最敬礼をするイクイノックスを見て、私は本当に感動しました。
 
 そして、ジャパンカップの日になりました。イクイノックスはジャパンカップがラストランになると噂程度に言われておりましたので、私もそのつもりで観に行きました。もうこの段階になってまいりますと、イクイノックスの戦績に傷がつくのが怖くもなっていましたから、個人的には寂しさもあれど賛成の気持ちでした。リバティアイランドさえ下せば、もうやり残したことも殆どありませんでしたので、ジャパンカップに勝利すれば、最高の最後を飾る事ができると思っておりました。
 ジャパンカップの日は非常に寒く、私もいつものように気が気でなかったので、ジャパンカップの馬券だけを購入し、レースに備えておりました。馬券についてなのですが、私はイクイノックスの出走するレースは全て一着に固定して購入しておりましたので、すべて的中していてもおかしくないのですが、どういうわけか全て外しておりまして、ここまで来ると自分が外したことでイクイノックスが勝利しているのではないかというオカルトも出てきておりましたので、少し難しい買い方をするようにしておりました。具体的にはイクイノックスを一着に、リバティアイランドを三着に固定した三連単でした。
 結果はイクイノックスの圧勝でした。三冠牝馬だろうと、四キロの斤量差があろうと、二冠牝馬だろうとフランスからの刺客だろうと、全く相手にしませんでした。私は飛び跳ねて喜びました。
 
 数日後、イクイノックスの引退が発表されました。覚悟はしていたので、そこまで衝撃も悲しみもなかったのですが、なんというか、非常に寂しいきもちになりました。同時に安心もしました。三歳時より虚弱体質が取り沙汰されてきた馬でしたので、大きな怪我も病気もなく無事に競争生活を終えたことは、何よりも素晴らしいことだと思っております。
 
 当然、引退式には足を運びました。十二月の後半だと言うのに暖かく、厳かな雰囲気に包まれておりました。何度も見てきた馬ではあるのですが、暗がりの中光に照らされた彼の身体は本当に神々しく映りました。私的には、引退式を終えてターフを去っていく時が最も寂しさを覚えました。
 年末には有馬記念が行われ、ドウデュースが勝ちまして、私も足を運んでおりましたので、少し泣いていたRと最高のレースを称えました。
 年が明けると、イクイノックスがニ年連続の年度代表馬となり、日本馬最高のレーティングを獲得してワールドベストレースホースに選出されました。このような馬になるとは到底、信じてはいたのですが思わなかったものですから、当然の評価ではあるのですが、信じがたいもので、むしろこのような存在を応援してよかったとまで思うのです。
 以上、私がイクイノックスと出会い、心奪われ、追いかけてきた日々の日記のようなものでした。特に伝えたいこともなにもないのですが、なにか一つ言うとするならば、記事に載せている画像の通り、ありがとう、ということです。本当に楽しかったし、これからも応援し続けることになるでしょう。競争生活は終わりましたが、サラブレッドの仕事は、まだこの先も続いていくのですから。


少しだけ雑になってしまったようにも思えますが、これにて終了となります。
見てくださった方はありがとうございました。
あと一つ、感想のようなものがあると思います。
それでは。

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