Wait & See

今年の夏の終わり、福岡に一人旅をしてきた。

とは言っても、完全な一人旅をしたのではない。父と共に長崎の祖母の家に行った帰り、一人で福岡に立ち寄った次第である。

そもそもなぜ福岡に馳せ参じたかというと、福岡に住む友人に会うためであった。
しかしその友人が出産し、実家に帰っている時期に重なってしまったという大変めでたくも切ない理由で、結局福岡に滞在した二泊三日間、ずっと一人で過ごす事となった。

交通費を抑えるため、かなり早い段階で航空チケットを確保していた私は、福岡に行く目的をすっかり失っていた。しかし、今更キャンセルをする事もなんだか悔しかったので、「一人でできるもん!」と強がって計画を強行したのであった。

博多駅に到着し、最初に感じた事は“深い安堵”であった。

それまで数日を過ごした祖母の住む町は、文字通りのど田舎であり、近くに電車などは通っておらず、バスも2時間に一本あるかどうか。コンビニは徒歩圏内になく、祖母の家から浜辺まで、歩いて15秒。(ちなみに近くの海に野生のイルカが出る。)

これだけ聞くと皆「なんだ良いところじゃないか」と口を揃えて言うが、生まれも育ちも神奈川県の私が何日も滞在するには、閉塞感以外の何者でもない。誰もが顔見知り同士なのに、私は誰も知らない。私は誰も知らないのに、私が他所者である事を誰もが知っているのだ。

町のどこへ行っても3Gしか繋がらない状況は、益々私を不安にさせた。ちなみに普段は言うほどネット利用をしない。なくてもそんなに困らないけど、なかったらなかったで何となく嫌だ、という話だ。

一方博多。ファッションビルや居酒屋が立ち並び、沢山の人が行き交う。もちろん通信速度は4G。

博多は、私が普段住んでいる場所よりもずっと都会なので、安心感を得るのは少しおかしいのかもしれない。
しかし、長崎の田舎よりも沢山の「一人の人」が居る博多駅に、親近感を覚えた。海外でマクドナルドを見つけた時の感覚に近い。あっ、マックだー!なんかよくわかんないけどよかったー!みたいな。

福岡では中洲の屋台で飲み歩き、とんこつラーメンを狂ったように食べまくった。福岡のそれぞれの都市は、東京のそれに少し似ている。歌舞伎町や池袋駅前に似ているなぁと感じるスポットが所々にあった。
生憎空は雨模様で足下が悪かったが、全く気にならない。なぜなら私はどこに行っても大抵雨が降る、強烈な雨女だからだ。本日も通常運転、どこへ行っても私は私でしかない。

何時に、何回ごはんを食べようと、無闇矢鱈と神社ばかり巡ろうと、雨が降ろうとも(私の雨女ぶりをよく知る友人たちは雨が降ると口を揃えて私のせいにする)、誰にも責められない。自由気ままに、すいすい歩いた。
でも、「美味しいね」「綺麗だね」「さっきのはちょっとあり得ないよね」などと感想を分かち合う人がいない旅というものは、やはり少し寂しさもあるのだった。

ちなみに「自分探しの旅」と称して一人旅をする人がいると聞くが、残念ながら今回の旅で「本当の自分」はかけらも見つからなかった。どこへ行っても私は私でしかない事を思い知ったのみだ。

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