不幸の抱き合わせ〜ライトサイド編〜

人生には「わざわざこのタイミングじゃなくても」という事が誰にでも訪れる。

家から水着を着てプールに行ったらパンツを忘れ、そんな日に限ってスカートだったとか。受験に失敗しただでさえ落ち込んでいるにも関わらず、追い打ちをかけるように彼女にフラれたとか。大きな事から小さな事まで様々だが、とにかくそういった類のものだ。

今回の私に起こった二つの出来事も、正にそれだったと思う。
どちらも起こるべくして起こり、また防ぎようのない事であるが、かといって同時に起こる事もそうそうないと思う。
そのため、一連の出来事をnoteに書き記したいと思う。いつにも増して私自身のための記事のため、何の面白みもない内容になっている。
細々と書き続けると膨大な記事数になってしまうため、“ライトサイド”と“ダークサイド”に分けてまとめる事とした。

“ライトサイド”には、私の人間として真っ当な部分の感情、平たく言えば人様に見せられる感情の機微を記す。“ダークサイド”はその逆であり、実は私の感情の7割程度を占めているのではないかという感情である。

『スターウォーズ』シリーズファンには「“ライトサイド”と“ダークサイド”の使い方が違う!」などとお叱りを受けそうだが、病人に免じで許してほしい。ともかく今回は“ライトサイド”である。

その伯母は私にとって、遠く長崎で暮らす祖父母よりも、ずっと身近な存在であった。私の母は7人姉妹の末っ子、伯母は次女のため、親子ほどは言いすぎでも、姉妹というにはかなり年が離れていた。

伯母夫婦には子供がなかったため、私をとても可愛がってくれ、得意な書道などを教えてくれたりした。私には他にも沢山伯母がいたが、私が「おばちゃん」と言うと、決まってこの伯母の事を指していた。

そんな伯母は、若いうちから沢山病気をしていた。心臓、リウマチなど、挙げればきりがないし、大きな手術も何度も経験している。しかし、いつだって奇跡的に生還するのだった。
だから今回の入院も、そのうちの一回に過ぎないと思っていた。

夫である伯父は、七年ほど前に他界していたので、近くに住む親族である母と私で、主に病室に通った。術後の経過が悪く、一時は本当にこのままダメになってしまうんだろうと周りが諦めかけていたものの、またも奇跡的に復活。半年ほど経つと、会話ができるまでになった。

年齢もあってか、せん妄の症状が見られ、時に扱いにくく困り果てる事もあったが、それでも全然構わないと思っていた。今まで私が伯母に聞いてもらったお願いの数に比べたらこんなこと、全然大したことではない。何度だって枕の位置を変えるし、遅い時間で帰りたくたって「もう10分居て。」のリクエストには応える。

ところがここ二週間ほど、いやに意識がはっきりしていて、全くと言っていいほどワガママを言わなくなった。
母から電話が入ったのは、そんなある日の早朝だった。「おばちゃん亡くなったから。」

え?あぁ?うん、わかった。
あまりに淡々と言われたので、私もあっさりと返事をした。通夜や告別式の日程は未定だったため、いつも通り支度をし、そのまま職場へと向かった。

急に死んだと言われても、中々ピンと来ない。今日は私が面会に行く日だったんだけどなぁ…

ところで、私は現在件の伯母の家に住んでいる。伯母の入院が長引くにあたり、空き家になるのは良くないということで、私が宿守をしている。
そんなわけで、仕事を終え伯母の家に帰ると、既に長崎などの遠方から親戚達が集合していた。

狭い居間は、既に腰を下ろす場所もない。世間話をする親戚達を見ていると、その中に伯母はもういないなんて、まるで信じられなかった。

通夜当日。急に沢山の人達が来たせいか、朝から喉の痛みと身体の痛さがあった。風邪でもひいてしまったかもしれない。でも「明日は午前中だけ来ますので!」と上司に宣言してしまった以上、今更行きませんとは言い辛い。とても優しく理解ある上司ではあるが、なんとなく無理して出勤した。

午前中だけ、という短時間労働にも関わらず、非常に長く感じる。それは叔母の死に落ち込んでいるからかもしれないし、市販薬が効かない身体のせいかもしれない。長い午前中を終え、職場を出る頃にはぐったりとしていた。

再び家に戻ると、既に両親も到着していた。どうやら今回の喪主は母が務めるようだ。「お母さんは早めに行って湯灌から立ち会うけど、一緒に来る?」と聞かれたので、わたしは頷いた。

斎場に到着し伯母の遺体に対面すると、あぁやっぱり亡くなったのだなと実感した。苦しかったり痛いことが多い人生だった伯母だが、そんな物とは無縁と言わんばかりの、非常に穏やかな表情をしており、少しホッとした。母の顔をチラと見遣ると、母もホッとした表情を浮かべていた。

湯灌というのものに初めて立ち会ったが、プロフェッショナルに感動せずにはいられなかった。手際良く、かつ丁寧に、身体や頭を洗ってくれる。入院中ほとんどお風呂に入れなかった伯母を思うと、最後に綺麗にしてもらえて本当に良かったと思う。立会人の我々にも、頭を洗わせてくれた。伯母の頭はひんやりしていたが、その表情は今にも起きそうなくらい生き生きとしている。不思議な気分だった。

伯母の大好きな着物を着せ、家から持ってきた趣味の茶筅や筆、私が集めてきた御朱印帳を一緒にお棺に納めた。化粧を施された伯母は、生きて病院にいた時よりもずっと元気そうだった。

無事通夜が終わり、出されたお寿司で夕食を摂るも、すし酢が喉に染みてあまり食が進まない。大好きな鯵がないせいかもしれない。早々に食事を切り上げた。

家に戻ると、斎場から合流した親族も一緒に戻ってきたため更に人数が増え、いよいよ足の踏み場もない状況になった。

早く寝ないと寝場所はないと脅されたため、亡くなった伯母には申し訳なかったが、体調の悪い私は先に横になった。しかし慣れない雑魚寝に全く寝付けず、ほとんど一睡もすることなく朝を迎えた。

朝になると身体のしんどさは増しており、意識もぼんやりとしだした。しかしなんとか支度をし、告別式へと向かうべく車に乗り込む。

斎場に到着したが、まだ開始まで時間があるということで、椅子を並べて横になっていた。すると、斎場の方が心配して畳の部屋に布団を敷き、寝かせてくれた。言われるがまま熱を測ると、体温計は37.6度を表示した。平熱の高い私の中では大したことには思わなかったが、斎場の方の「無理はしないほうが良いです」という強い薦めにより、斎場まで来ておいて告別式に出席しないという、よくわからない状態になった。

一人畳の部屋で漏れ聞こえるお経に耳をすませていると、涙が溢れてきた。苦しいという気持ちと、まともにお別れもできない情けなさから来たものだと思う。

出棺のとき。「お花だけでも入れてあげなさい」と母に呼ばれた。沢山の花に囲まれた伯母は、とても力強く美しく、これからの長い旅路も心配しないでよさそうだった。
もう一度伯母の頬に触れると、やはり冷たかった。本当にお別れなんだと実感した。どうしようもない寂しさと悲しさで、涙が溢れた。病院の面会だって、仕方なしにではなく私が彼女に会いたくて行っていたのだ。でももう病院に行ったって伯母はいない。今回伯母のために初めて泣いた瞬間だった。

火葬場へと向かう車内でも、私は一人だけメソメソと泣いていた。珍しく会話にも参加せず、声を殺して泣き続ける私に母が気を使い「あそこの焼鳥屋さん美味しんだよね、今日買って帰ろうか?」などと話を振ってくれるが、黙って頷くことでしか返せなかった。

それでも火葬場に到着してしまえば、もう黙って見送るしかない。最後のお焼香が終わると、伯母はゆっくりと火葬スペースへと入っていった。

その火葬場では火葬中食事をしながら待つのだが、出された料理はどれも喉をすんなり通りそうもなかったため、吸い物だけ頂き、他は従兄弟にあげてしまった。吸い物すらえらく喉に染みたので、食べたことを後悔した。

一時間後、伯母はとても小さく、白くなって帰ってきた。私が今まで見てきた限りでは、人間はどんな人生を送ろうと、皆最後は小さく白くなる。その事実は私を安心させる。安心して、自分の人生を歩もうと思える。

無事全てを済ませ、家に戻る途中病院に寄ろうとするも、まさかの休診日であった。仕方なく市販薬を飲み、ソファーで横になった。前日一睡もしていなかったこともあり、短い間だったが熟睡した。

翌日になっても依然具合が悪かった。今日はさすがに仕事に行けそうもなかったため、職場に連絡を入れ病院に行った結果、まさかのインフルエンザであった。人生初であったので驚いたが、「どうりで」と納得する気持ちが大きかった。正直、近年稀に見る体調の悪さであったのだ。

帰って結果を伝えると、早急に隔離された。伯母の件で数日仕事の休みを取っていた母がいたため、有難いことに食べ物などは運んできて貰えた。

そこまで高熱は出ないが、喉の痛みと身体の痛さであまり長時間寝られず、すぐに目が覚めてしまう。目は覚めるが身体を起こしている状態を維持するのはキツいのでテレビを見るのもしんどい。身体が辛く何も出来ないのに寝れもしない。伯母もずっと病院で一人、こんな思いをしていたのかもしれない。

この記事はそんな生活を始めて3日目に書いている。依然身体の痛さはあるが、他は限りなく普通の風邪程度に近づいて来た。

伯母の死とインフルエンザ、何も同時に起こらないでもという気持ちと、同時だったから伯母についてゆっくり考える時間が持てたし、母や親戚が滞在しているうちだったので充分な介抱を受けられたという気持ちもある。

良いのか悪いのか判然としないが、良かろうが悪かろうが、生きている人間はいずれ通常の生活に戻らねばならない。驚いたことに、一人の人間が亡くなっても、いつも通り朝がくるからだ。朝は大嫌いだが、こういう時に限って朝の有り難みを感じる。

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