スポーツのアニメを見ていた。体で生きようとしているひとたちの話は、いつもたいてい爽やかで、とてもおもしろい。体で生きようと思ったことなんてない。頭だけつかって生きていきたかった。そのほうが綺麗だと思っていた。小さなころ、父の真似をしてやっていた剣道のことを思い出す。古い体育館のにおいになじめなかった。汗をかくことや、息が切れることが苦手だった。父の愛したスポーツ。五年つづけたそれに最後まで打ちこむことのできなかったわたしは、想像力でどこかへ行こうとした。だけどこんな風におもしろいと感じるものに出会うと、わたしはすぐに、自分の感覚がうたがわしくなる。

「心技体一致」という言葉がある。スポーツの信条だ。これはたしか、道場に貼ってあった手ぬぐいの文字を読んで、覚えていたのだと思う。稽古のあとの、先生方のお話のなかに、よく出た言葉でもある。父が言ったのかもしれない。あの人は、剣道は勝ち負け以上に、うつくしさが大事だとよく言っていた。礼儀と剣さばきと体勢、そういうものが一致してはじめて、一本とったと言える。ワザがうつくしく決まると、うれしい。そんなこと、いつも話半分に聞いていた。どうして今、そんなことを思い出すのだろう。

美術大学に入って、同級生の踊りや演劇を見る機会が増えた。彼女達の体系のシルエット、表情、四肢のバランス、そしてそれを動かす仕草のなめらかさ。つまさきから開いていくような心地がした。体の作品を見ていると、自分の手足でさえ、かけがえのないもののように見えてくることがある。うしろの腰のあたりから首筋にかけて、ちいさな光の群れが駆けあがる。もちろん、わたしはただ、足を畳んで見ているだけで、彼らと同じように体を動かせるわけでは、決してないのだけど。

たまに体のことを思い出したくなる。わたしの体だけが覚えている、春のにおい、夏の味、秋の音楽。そういうものがわたしに向かって吹きつけてきているときは、パソコンやエスキース帳の手触りがよそよそしい。すべてを部屋の真ん中に投げ出して、大きな声をはりあげて、走りだしたくなる。部屋の空気が、おいしくて。


→「3 心」



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