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ブルーアーカイブ メインストーリー最終編第一章 シナリオ考察/妄想

〇はじめに

 2023年1月22日。ブルーアーカイブ公式による配信番組「ブルアカらいぶ!せかんどあにばSP!」にて、メインストーリー最終編の公開が発表されました。いったいどういうことなんだ?

 生放送の終了から一時間後という、イベント現地参戦の先生をぶっ殺すようなスピードで公開された、最終編第一章。その場にいた自分も、アキバでラーメン食って帰るというスケジュールを撤回し、ベルサール秋葉原から全速前進で飯も食わずに家へと直帰、ブルアカのストーリーの最終編、その幕開けに立ち合いました。
 まだ第一章、15話ぶんしか公開されていないにも関わらず、目が回るほど激動の展開。正直言ってまだまだ頭が追いついていませんが、ひとまず自分のなかでの情報の整理も兼ねて、シナリオ内で気になった描写や文章の考察をしていきたいと思います。ほんとうはシナリオの感想も語りたいんだけど、たぶんすげえ文章量になってしまうので、それは最終編が完結してからゆっくりと振り返ることにする。というわけで、始めていきましょう。

〇「色彩」とは

 最終編第一章を通じて印象的だった言葉は、やはりこの「色彩」でしょう。この存在について初めて触れられたのは、確かエデン条約の最終盤だったかと思います。その頃はほとんど情報が出てこず、「なんかキヴォトスにやってくるらしいヤバい災厄」程度の認識しかありませんでした。
 が、今回でかなり「色彩」に関する言及が増えたので、まずはこいつの情報の整理と、その考察から始めていこうかと思います。

色彩やばいのじゃ

 なんか強そうなのじゃロリことクズノハさんの言葉によれば、「色彩」とはキヴォトスの外から来る、災禍を引き起こす存在だそうです。それはキヴォトス人の本質を歪曲し、異物へと変質させてしまうのだとか。

色彩こわいのじゃ

 また、今回で完全にサークルから除名されてしまった哀れなおばさんと化したベアトリーチェによれば、「色彩」の影響を受けると「神秘」「恐怖」に反転してしまう、とも。

色彩こわいおば

 「神秘」と「恐怖」。ブルアカのストーリーではたびたび言及されている言葉ですが、未だにこれらの概念についてはよくわかっていません。しかしどうやら、ひとつの存在が持つふたつの側面、コインの裏表のような関係性を持っているようです。

表裏一体 指で弾くコインが 宙に舞う

 さらに「崇高」なんてワードまで出てきて混乱してしまいますが、これについてはとりあえず保留しておきます。重要なのは、「神秘」「恐怖」というふたつの概念の存在。そして、「神秘」というワードが、キヴォトスの生徒たちと深く関連している、ということです。

動いてないしヤバいよ~

 黒服はホシノを指して、「キヴォトス最高の神秘」と呼称しました。これは即ち、「神秘」という言葉が、そのままキヴォトスの生徒たちを示していることに他なりません。
 またホシノに関しては、黒服から「暁のホルス」と呼称されたこともありました。「ホルス」とは、エジプト神話における天空神。神話においては、空に浮かぶ太陽と月は、そのままホルスの両目であると解釈されているそうな。ホシノの目が黄色と青のオッドアイであることからして、彼女のキャラクター設定のモチーフに、ホルス神が採用されていることは明確だと思われます。

ほかにもおじさんの盾には「IRON HORUS」と書かれている

 また、ホシノのみならず、対策委員会の面々はみな、エジプト神話の神々がモチーフであると考察されています。猫耳であるセリカはセクメト神、キャラデザの随所にアビドスの企業「SAINT NEPHTHYS」社の文字が記されているノノミはネフティス神、など。詳細な解説に関してはブルアカWikiのキャラページが詳しいので、一度読んでみるのがいいと思います。

 そのほかにも、大天使ミカエルがモチーフであると思われるミカ、名前からしてもうソロモン72柱の序列68番・ベリアルがモチーフであろう陸八魔アルちゃんなど、ブルアカの生徒の一部は、神話・伝説に登場する神や悪魔をモチーフとしています。これらを考えてみると、先ほど積み残した「崇高」という存在の正体が、うっすらと見えてくる。つまりは、これらの現実に語られる神・天使・悪魔こそが「崇高」なる存在であり、キヴォトスの生徒たちはそれらの存在が、「神秘」の側面を持って、少女として顕在化した姿なのではないか、ということです。

 こうした考察自体は、自分なんぞがまとめる前からいろんなところでささやかれていたのですが………しかし今回、それを裏付けるような描写が終盤で提示されました。「狼の神」の裏側、死の神「アヌビス」の登場です。

ん、黒服を襲う。

 ついにシナリオに登場した、シロコによく似た謎の女性(通称クロコ)。黒服は彼女を「アヌビス」だと明言しました(一応ホシノも「ホルス」と呼ばれてはいましたが)。これは明確に、ブルアカキャラの別側面として、歴史上の神が存在するという証拠だと思われます。この女性が、色彩と遭遇して「反転」してしまったシロコ本人なのかはまだ判断できませんが、何にせよ「神秘」が反転した「恐怖」が、明確に神の名を持って現れた。これは、ブルアカの世界観を語る上で、非常に重要な描写だと思っています。

 また、この女性のビジュアルを観察してみると、「色彩」がなぜ色彩という単語を使って表現されているのか、という点にも、少しだけ考察の余地が生まれました。

ゆめゆめ夢をわするるなかれ

 セイアの予知夢によれば、全ての色が抜け落ちたモノクロの世界で、あの黒い服装の少女が、先生に銃を向けていたといいます。そして、黒い光が天から舞い降り、世界は終焉に向かうのだと。
 描写から見るに、これは「色彩」がキヴォトスに来襲したあとの光景なのでしょう。しかし、ちょっと違和感を感じないでしょうか? 「色のないモノクロの世界」をもたらすものに、なぜ「色彩」なんて名前が付いているのか。
 また、第一章の劇中、おそらくは「色彩」に関する何かと接触したであろうシロコは、こんな発言を残しています。

レインボーロードかな?

 「黒」と「虹」。色のない光と、七色の光。同一のものを指してこの単語が並ぶのも、なんだか不自然です。「色彩」っていったい、どんな色なのさ?

 ここで少し話題を変えます。
 皆さんは、「色の三原色」というものをご存知でしょうか?

自分でつくったよ

 くわしくはこのサイトなんかで調べてほしいのですが、シアン、イエロー、マゼンタという三つの色のことです。これらの混合によって全ての色は作られており、すべての色が混ざると、そこは真っ黒になります。ええ、そうです。混ざると、真っ黒に。

 青色に。

 色彩が混ざると。

 黒に。

 ……はい、その、これに関しては考察っていうよりは完全に自分の妄想なんですが、わりと上手くできてる仮説じゃないかなあと思ってます。あと、根拠になる描写はまだあって。

 キヴォトスにて観測された高エネルギー体は、ぜんぶで6つ。また、公式生放送にて告知されたレイドイベントでも、ボスの数は6体でした。おそらくはこの6体を打倒すべく、キヴォトスの生徒たちが協力して立ち向かうのが第二章のあらすじなのだと推測できます。
 しかし、なぜわざわざ6体なのでしょうか。シナリオ的なまとまりを考えるなら、1章~4章のメインとなる生徒たちがそれぞれ集結して、4体のボスを倒す、という方が収まりがいい気がします。レイドイベントを開催する都合上、4体では少なかった、ということかもしれませんが、だとしてもなぜ6体なのか。
 生放送でのゲームプレイを見た方は覚えているかと思いますが、今回のイベントで登場するボスたちは、みな名前に「(色彩)」という字が付随していました。つまり、6体の「色彩」を相手取ることになりますね。
 そして、思い出していただきたい。シロコは「色彩」の光を、黒、あるいはと表現していました。

 虹は七色。
 そして、虹から「青」を引くと、六色になります。

 つまり6体の「色彩」との戦闘とは、「青」である生徒たちが、黒に染められないために他の六色と戦う、ということを指しているのではないか。6という数字を選んだのは、こういった暗喩があったからなのではないかと、個人的にはそう考えています。
 で、これだけではまだ終わりません。生放送にて公開された、二周年記念のイラスト。ツクヨの頑張りによって集まった6人の生徒が、先生に撮ってもらった、あの写真。その背景に。

 架かっています。虹が。

 単なる雨上がりの表現と言われてしまえば、まあそれまでなんですが。しかし、この最終編が公開される直前で、このイラストを出してきたということに、何らかの意味を見出さずにはいられません。
 この虹は吉兆なのか、凶兆なのか。今から起こる事件を鑑みるに、自分は後者なのではないかと思っています。

〇「青春の物語」という「記号」

 この時点でもう3000字超えてるんですが、もうちょっとだけ書かせて。
 第一章最終話となる第15話、突如として現れた、美少女ゲーで出してはいけないくらい怖い見た目のフランシスさん。彼はこんなことを言いました。

 これをはじめて見たとき、かなりゾッとしました。「これからはもう、全く違う『ブルーアーカイブ』が展開されていくのではないか」と。

 ブルアカのシナリオについて、自分は以前から「しっかりと王道を突き詰めるシナリオ」であると思っています。主人公たちが困難に出会い、挫折し、けれど仲間との絆によって立ち上がり、輝く未来をつかみ取る。そんな、ともすれば陳腐とも言えそうな物語を、作品全体の世界観と、シナリオそのもののクオリティを高めることで、名作として昇華させるその姿勢こそ、ブルアカのストーリーが評価されている一因なのではないかと。
 この「王道」というのは、「典型」と読み換えることもできるでしょう。ある一定の「話型」があって、基本的にはそのレールに沿って話が進む。悪役は打ち倒され、主人公たちは日常を取り戻す。そういった話の筋が、明確に引かれている。最後にはハッピーエンドを迎える物語。それを指して、ヒフミは「青春の物語」と呼びました。そう、「ブルーアーカイブ」は、「青春の物語」です。

青い空 青い春

 さて。このように、あるひとつの事柄を、解釈しやすい別の言葉に置き換えて表現する手法を、「記号化」と呼ぶことがあります。当たりの強い女の子を指して「ツンデレ」と表現したり、性格が暗い人物を指して「陰キャ」と表現したり。理解を簡単にするために、情報を削ぎ落とした、わかりやすい言葉=「記号」で、物事を簡易化しているんですね。
 「記号」。実はこの言葉も、ブルアカのシナリオ内で触れられたことがあります。他でもない、フランシスさんの別垢であるゴルゴンダさんによって。

 ゴルゴンダさん曰く、この都市───おそらくはキヴォトス───も、一種の「記号」を適用されているそう。「記号はそのなかに解釈される『テクスト』を含んでいる」───というのは、少し理解が難しいですが、「記号は解釈を通してテクスト=文脈が生まれる」というふうに言い換えましょうか。
 たとえば「ツンデレ」という記号で表現されている女の子に対して、その子の様子を実際に見て解釈してみたら、「廃校を防ぐためにバイトに勤しむ健気な女の子だった」、という理解=文脈=テクストが生まれる。簡易化された「記号」は、解釈によってその情報を展開され、複雑な文脈が生成される───そういったことを言いたいのではないか、と思います。記号には解釈の余地があるよ、と。

 では、ゴルゴンダさんの言う「この都市」は、どういった「記号」で表現されているのでしょうか? おそらく答えは単純。「キヴォトス」、ひいては「学園都市」でしょう。
 先ほども言った通り、物事を簡易化したのが「記号」です。キヴォトスという都市を説明するとき、「多くの学園が内在する巨大都市で、都市内の学園はそれぞれ学生による自治を行っていて、学生たちが中心となって生活を………」という文章で語るよりも、「学園都市です」と一言言ってしまった方が、細部の情報は省かれるにせよ、理解はしやすいでしょう。

 では、裏を返せば。「学園都市」という記号が提示された瞬間に、その内部に格納されるべき文脈も、同時に生成される───とは言えないでしょうか? 即ち、「学生が暮らす都市・キヴォトス」という文脈があって「学園都市」という記号が生まれたのではなく、「学園都市」という記号を付与された故に、キヴォトスのなかに「学生が暮らす都市」が生成された、と。
 もちろん、世界観としてかなりめちゃくちゃなことを言っているのはわかっています。しかし、そういった、外部からの「記号化」によって変質する世界、というものを考えてみれば、ゴルゴンダさんが「世界」の在り方に関して、「記号と象徴の地獄」と表現したのも頷ける。

 そして、それを考えれば、本項の冒頭に示したフランシスの言葉が、どれだけ深刻な事態を表現しているのか、少し理解できます。

ベアおば退場5秒前

 キヴォトスが「学園都市」という概念=記号で存在する限り、「先生」である先生は、ほぼ無敵の存在でした。ブルーアーカイブという物語が、生徒と先生によって紡がれる青春の物語、というジャンル=記号を付与されている限り、そのルールには抗えない。

 しかし、その物語は覆されました。解釈もジャンルもすべて破壊され、今まで展開していた「青春の物語」が、「叛乱の物語」へと変貌する。
 つまり完全に、今までの「ブルーアーカイブ」の文脈とは外れた物語が、これからは進行していくことになります。先生は無敵ではないし、生徒は守られないかもしれない。もしかしたら、4thPVで示されたと思われる「先生がいなかった世界」のようなことが、起きていくのかもしれません。

 何よりも恐ろしいのが、今までのブルアカの根底にあった「青春の物語」という性質が、すべてこの最終編のシナリオを創り出すための伏線だった、という可能性です。王道で爽やかな物語を紡いでいたのは、この世界がそういったジャンルに「記号化」されていたからなのではないか。「物語」や「ジャンル」というもの、それそのものに対するメタとアンチテーゼが含まれているのではないか。それ以前に、この物語は簡易的な記号によって物語を解釈する読み手、即ち我々に対する警鐘を鳴らしているのではないか。そんなことすら思えてきます。

 ブルーアーカイブは、「青春の物語」ではなかったのかもしれない。
 フランシスの発言からそんなことを思い、少し怖くなってしまいました。というのも、自分は本当にブルアカの世界観とストーリー、透き通るような世界のなかで紡がれる生徒たちの青春、というものを心底愛していて、まじで本当にそれが壊されてほしくなかったからです。これまじで、なんかもうジャンル変わっちゃったらどうしよう。ピカおじがそれぐらい壮大な計画を描いてて、おれたちを苦しめるつもりだったらどうしよう。

 ただ、今回発表されたサントラを聴いているとき、その考えが覆りました。

 4thPVで流れている音楽。聴き覚えのある方もいるかもしれませんが、これはプロローグで流れたBGM「Aoharu」のアレンジ楽曲です。

 ブルアカの開幕を彩る楽曲は、「青春」の名を冠していた。
 では、ブルアカの最終編、幕引きを飾る楽曲。その名前は──────

 
 ──────「RE Aoharu」。

 やっぱりブルアカは、青春の物語かもしれない。


〇おわりに

 長すぎる!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 いやこれでも書きたいことある程度削ったんですけど………こんな長さになっちゃった………読んでいただいた方はありがとうございます。まじで。
 途中からはもう考察とかじゃなくて妄想と感想の垂れ流しみたいになっちゃってたんですけど、どうしても筆が止まらなかった。ブルアカふぇすと4thPVのあとからもうほんと、ブルアカに対しての感情が限界だったので。吐き出す場所がないともう、もう、ね………。

 もう今夜にはミカガチャと第二章が配信されるわけです。なんかもう、ヤバい。この密度はいったいなんなんだ。ほんとうに二周年のゲームなのか? もうサービス終わるのか?

 楽しみでもあるし怖くもありますが、とりあえずは次回の更新を待ちたいと思います。なにかあったらまた記事書くかも。次はこんなに長くしません。たぶん。きっと。

 というわけでほんと、ここまで長い駄文にお付き合いいただきありがとうございました。もう眠いので寝ます。ありがとうございました。まじ。

 ブルーアーカイブ、最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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