出土した私信
小〜高校生までの間に友達からもらった手紙や年賀状がタンスのちっちゃい引き出しの一つをまるまる占領している。
家を出て自立するとき、「この人たちはいつ離婚するか分かったもんじゃないからここに私物を置いて行くのは心許ない」と思ってぜんぶ軽トラに詰め込んで持ってきて、タンスの一角に詰め込んだままもう4年半経つ。
特に読み返して楽しいもんでもなく、しかしながらとても捨てる気にはならない大切な物なのでそこに閉じ込めておくしかない。
ピンクと水色と、うさぎさんとネコと、あとヘタリアとディーグレイマンのキャラが書いてある大量の紙切れ。
それらの全てに、私の名前が書いてある。
細っこいボールペンで書かれた女子特有の文字で、うんざりするほど私の名前が書いてある。
余すことなく全部だ。
これ全部、誰かが私に宛てた手紙なのだ。
名前だけでなく、封筒を開けたその先の文章も全部私宛だ。
子供の頃の友達たちが、子供の私のことを考えて書いてくれた文章がこんなに大量に残っている。
しかも内容全部楽しいことしか書いてない。
・学校であったこと
・好きな子の話
・アニメの話
・これからもともだちでいようね
これで全部。
なんだそれ。そんなことあっていいのか。
今、細々とあんまり友達のいない大人として暮らしている中で、自分に宛てて誰かが書く文章はどれもこれも大人の責任と金銭が絡む話ばかりだ。
MSゴシックの細くも太くもない文字に、雑にcolor=blackとか指定した、ただ黒いだけの文章。
分かりやすく、簡潔に、自分の意図が100%伝わるように、自分が不利にならないように、そんなことばかり考えてキーボードを叩いていると、なんだかもうすっかり心がそれに慣れてしまって困る。
自分はこのただ白いだけの蛍光灯の下で、神経をすり減らしながら生きて行くために生まれてきたのだ、それだけ考えていればいいのだ、と最悪の方向に逃げそうになる。
書きたい文章を、というか、自分の気持ちがのった文章を書くことを忘れてはならないと思う。
今日も正直言うとこの日記を書かないまま読書をして寝てしまおうかとさっきまで思っていた。
しかし電池を探すためにタンスを漁ったら手紙が出土して、それでやっと日記を書かないと死ぬことを思い出して今スマホで書いていて指が痛い。
スマホで文章を書くと、指がだんだん湿ってきてその水分のせいで液晶と指の間にキモい摩擦が発生してキモい。
でもキーボードを叩くために椅子に座ると足がヒエヒエになってつらい。
昼頃に、「そういえばこたつ靴下?みたいなバズってたやつ下の薬局にあったな」と思って買いに行ったけどもう3月だからなくなってた。
ヒートテック靴下でどうにか凌ぐ。
明日は出社なので、わざわざ煮物と2食そぼろ丼をこしらえてパック詰めしたので起きるのが楽しみ。
この前蒔いたレタスの種も発芽しかけているようでなにより。
文フリの準備をそろそろ始めます。
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