実家に引っ越しました。

娘がこの4月から都内に就職し一人暮らしを始めたので、私も娘と住んでた3Kのアパートを出て、
ワンルームに越して、ミニマリストになりたかったのですが、コロナの影響で仕事を外し、近所ではありますが5月9日から80超えの母一人で暮らす実家に来てます。

直接ワンルームに行けずちょっとがっかりしたのと同時に、いつか片付けをお仕事にしたい私にとって、これはチャンスだと思っていました。
実家を片付けることで練習ができると思ったからです。
一緒に暮らす前に、母とも一緒に片付けようと話していました。
実家があり、その隣に昔、実家は縫製の仕事をしていたので仕事場があります。その下は車庫です。
その仕事場と車庫には、近くに暮らす弟家族がいらない物をたくさん押し込んでいました。
私も離婚したときに持ち込んだものもありました。
母もそれを嫌とも言わずに受け入れています。

昔から母も今亡き父も、捨てない人でしたから、ものすごいです。

だから片付けたい!!
一緒に暮らす前にそう思っていました。でも実際に母と暮らし始めて、いろいろな気づきがありました。

もうすでにいらない物は決まってて、だけど重すぎて集積所に運べないもの、捨て方がわからないもの、ゴミに出せるけど多すぎるので遠慮して、少しづつしか捨てにいけないという母の性格、、、、。
また細々したものがあちこちに散らばっていると、ゴミですらゴミ箱に入れに行く気力さえ失くすこともわかりました。

じゃあお金出すから2トントラックに来てもらおうか?というと、そうじゃないんだってことも、わかってきました。

台所には訳のわからないペットボトルがあちこちにあります。それは水を水道から入れてなぜか取って置いてるんですね。
ヨーグルトやプリンを買ってきたから食べよう!って言って食べ終えると、洗ってカップを取っておきます。
お菓子の箱も、綺麗な包装紙、紙袋、プレゼントについてたリボン、クリーニング戻りの針金ハンガー、私たちが使っていた学習机の本棚だけの部分、椅子だけ・・・・。

私にとって、なんで?思うものでも、母にとっては全部に意味があるんですね。
水はもしものために!カップはちょっとした収納、綺麗な紙や袋は誰かに何かをあげるとき・・・。
私は最近までご近所付き合いが皆無のアパートで暮らしていました。


ですが、ここ実家は、亡くなった父は、私たち子どもが大人になってからも子ども会、町内会、消防、民生委員、地域の太鼓、あとは近所の学校では空手の師範、ついでに縫製の仕事をしていたときも近所のパートさんたちを雇い、ついでに言うなら父は11人兄弟で親戚もたくさん近くにいます。
故にご近所付き合いは、かなり盛んでした。仕事や役員会、出たり入ったりバタバタな毎日の父。
なので、よく人は家に集まり、ご馳走を作る母、皿がたくさんあっても足りなくて引き出物を時々引っ張り出してくるけど、数回使っただけでまたしまいこむ、そして人の出入りに伴うように、ものの出入りも比例します。
そりゃあ紙袋や包装紙は綺麗ならとっておいて、再利用したいものです。

ケーキとかお菓子についてきたたくさんの保冷剤、タオルが冷凍庫。

それもわかります。もしもの熱を出したときのため!          来客が帰りがけ、余ったチーズケーキを持たせるため。タッパーだって盛りだくさんです。

仕事場で埃をかぶったたくさんのガラクタのような古い板やガラスは捨てないの?カビだらけで体にもよくないよと言っても、
お風呂に入るのに、これとこれをどかさないと入れないじゃんと言っても、
食器棚3個は危ないし多すぎるし、使わないしと言っても、
そう簡単には捨てられないんですね。

それらはもう、体の一部になっているから。
一気に捨てられないのも、
執着心でもあるし、
私には、想像できないような価値観を持っていたりします。

だから、ゆっくりになってしまう。
捨てるごとに心を癒す時間が必要だから。

私たちは、誰か大切な人が亡くなった時、その心が癒されて元に戻るためにはたくさんの時間が必要です。いっぱい泣いて、心のデトックスをして。

妹から結婚祝いとしてもらったタンスとドレッサーのセット、
もうガタガタで禿げていて、ギシギシいうのに捨てられないのは
可愛い妹の気持ちを捨てられない。それもそうだと思いますが、
何十年も一緒に暮らしてきた、誰かさんだと思うからなのかもしれませんね。

たとえカビだらけで体に良くなくても、                まだその人に必要な心のかさぶたを、無理やりはがすようなことはできないのだなと思いました。


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