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ひとりごと


 好きだったゲイアイドルがいた。四人組のグループで、自分の人生の中でその四人が、初めての推しになった。

 彼らの表現力、それ以上に歌詞に心打たれた。
 まるで、心の傷を塞ぐような。そっと傍に寄り添ってくれるような。優しく肩を叩いてくれるような。一緒に笑ったり、泣いたりしてくれるような。
 当時、自分の性をまだはっきりと把握していなかった曖昧な自分には、彼らしかいないと感じた。

 一生推す。死ぬまで、墓に入るまでついて行く。

 本当にそう固く心に決めていたし、本人達にそのようなことを言ったこともあった。
 不幸なことに体がやや弱い自分は、東京を中心に活動するアイドルのライブに行くことが出来なかった。初めてライブに行けたのは推し始めてから丸半年が経った、関西出身メンバーが地元で行った聖誕ライブだった。

 その数ヶ月後コロナ禍になり、対面でのライブが開催されなくなった。そしてオンラインライブやビデオ通話が開催されていた。
 会いに行けなかったからこれ幸いにと、オンラインでのそのイベントを楽しんだ。初めて、メンバーを、近くに感じた。

   “ねえ神様”

 勝手に、そう。自分の思い込みで。


 初めから分かりきってたことだったのに。
 当時は自分が誰にも恋愛感情を抱かないアセクシャルかもと、薄々、感づいていた頃だったのに。
 無意識のうちに、目を背けていたのかもしれない。


 頭を殴られたような衝撃、とはこのことか、と。
 何度も何度も。これがテープなら文字通り擦り切れるほど。学校に行く時もバイトに行く時も、もちろんそれらの帰り道でも。毎日毎日毎日、何度も繰り返し聴いた、その曲の意味を、ふと、考えてしまった時。

   “愛に形はないなんて言うけれど実感できなくて”

 彼らは、俺とは違う。なにもかもが違う。同じところなんてひとつもない。
 だって彼らは、誰かを好きになることが出来る。愛することが出来る。添い遂げることが出来る。それを社会が許しているかどうかは別として。
 俺には、なにもない。人を好きになれない。恋愛が分からない。 伝わらない。

 心の傷を塞ぐような。そっと傍に寄り添ってくれるような。優しく肩を叩いてくれるような。一緒に笑ったり、泣いたりしてくれるような。
 そんな優しい錯覚が全て、偽りの幻覚だと、思い知った。

 それも、自分が勝手に思い込んだだけなんだけれど。


 それから彼らの顔も、声も、姿も、見るのが辛くなった。
 自分とは違って、しっかりと地に足をつけて自分を表現して生きている彼らが、眩しくて痛くて苦しくて。
 終いには日本語の曲を聴くのが辛くなった。耳に入る店内BGMでさえ。

 だから、海外のアーティストに逃げた。
 見た目の好みから、韓国のアイドルを好きになった。
 数年が経って、その韓国のアイドルがグループ活動を休止した頃。ふと懐かしくなって、昔テレビで聴いたことのある九十年代のアーティストを探して、曲を聴いた。
 奇抜な格好とずば抜けた歌唱力に添えられた歌詞は彼の言葉じゃなかったから、案外すんなり聴けて。正直しんどくなることを覚悟していただけに、拍子抜けした。

 それを取っ掛りに、聴ける範囲の曲を手探り状態で探っていった。最終的には、誰かの心を打つよりも自己表現に全力を降り注いでいる(と感じてるだけで多分違うけれど、深追いするのはもう怖い)V系バンドに走っている。

 そして最近またたまに、気が向いた時に、あのゲイアイドルの曲を聴き始めた。それにフィクションのような、劇的なきっかけなんかない。

 ただ、ふと気になっただけ。

 ファンの人とSNSで数人繋がっており、また彼らのアカウントのフォローを解除していなかったから、時々情報は得ていた。新曲リリースや、新衣装や、ワンマンライブ。
 もうビデオ通話イベントはしていないようで、寂しい気もしたが、この距離感が良いのかもしれない。
 近付きすぎない方がいい。決して。さもなくは自分の身を壊してしまうから。イカロスの翼みたいに。

 声が好き。言葉が好き。曲が好き。
 そしてなにより、彼ら自身が好き。

 聴ける曲を一曲ずつ手探りしながら。
 やっぱりまだ、聴けなくなるきっかけになった曲は聴けないけれど。それでもいつかまた、会いに行きたいから。

   “病める時も笑顔の時も涙の時も”

 そっと背中を押してくれるような、彼らに。

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