ひとさまのエモを言語化する企画《エモソムリエ06 FGO2部1章アナスタシア》

《エモソムリエ》は、みなさまから「言葉にできないけどエモい!」ものを教えていただき、カニが代わりに「なぜエモいのか?」を考えてみる企画です。

第6弾はレギさんに教えていただいた《FGO 2部1章「永久凍土帝国アナスタシア」》です。

FGO公式ページ↓

FGOとは

Fate Grand Orderは、Fateシリーズを手掛けるTYPE-MOONが贈るRPG。
スマホで楽しめてガチャ要素のある、いわゆる「ソシャゲ」。作り込まれたキャラクターたちと大部なシナリオの魅力もあって、現在1700万ダウンロードを突破しているそうです。首都や

筆者も3年くらい前にジークフリート好きの友人の影響で始めました。ちなみにキングハサンと始皇帝が好きです。

2部1章は、極寒のロシアが舞台。
人類唯一となったマスターを擁するカルデアは、汎人類史を取り戻すために戦うことになります。


※この先は2部1章のネタバレを含みます。


2部1章「永久凍土帝国アナスタシア」はなぜエモいのか

「アナスタシア」は自分でもプレイしましたが、今回お題をもらい、改めてシナリオを読み返しました。とてもいいですね……心にグサグサ刺さる……

自分では気づけなかったエモを教えてもらうと、この企画やってよかったなと思います。

「終わらなければならない世界で最後にきらきら星をサリエリが弾くシーン」が特にエモいと教えてもらったので、このブログでは当該シーンを含む第22節を中心に考えます。

①カルデアが教え、奪った星

シナリオを読んで最初に引っ掛かったのが、ヤガたちが星の海を見上げる場面の文章でした。

それは凍土で必死に生き延び続けた人間が見た、世界で一番美しいもの。
永遠に届かぬ、未来の輝きだった。

なぜ引っ掛かったかといえば、星の輝きは基本「過去」のものだから。例えば8光年先にある星は、8年前の星の光を地球にもたらしている。それをあえて「未来」と表現する意味は何か。


おそらくここでの「星」は、カルデアのマスターとサーヴァントが異聞帯のヤガたちに教え、奪ったものの象徴だと思う。

サリエリが「きらきら星」を弾く前のシーンに、こんな台詞がある。

「ピアノ、楽器の一種だ。」
「もう雷帝はいないからな。
 好き放題に使える。」
「……皇帝だけが、聴くことのできた芸術だ。」

皇帝が独占していた芸術が、民衆に解放されたことを暗示している。
2部3章の始皇帝も芸術や文化を独占していた。これはFGO2部の普遍的なテーマなのかもしれない。


カルデアが異聞帯を訪れなければ、イヴァン雷帝が打ち倒されることはなく、サリエリが召喚されることもなかった。

だから「きらきら星」は、カルデアのマスターとサーヴァントが教えたものだ。

カルデアが異聞帯を訪れなければ、空想樹が伐採されることはなく、空が晴れることもなかった。

だから星の海は、カルデアがこの世界にもたらしたものだ。

ヤガたちに幸福な世界の可能性を見せたのは、まぎれもなくカルデアだ。


でも、この世界を終わらせ、『無かったことにする』のもまた、カルデアなのだ。

ヤガたちの世界では生まれなかった美しいものを、幸福な世界を教え、同時に彼らは異聞帯の未来を奪った。


空想樹の名前「オロチ」は、実在の銀河から名付けられたという。

星々の「永遠に届かぬ、未来の輝き」は、
異聞帯にあり得たかもしれない美しい未来が、もはや永遠に訪れないことを示しているかのようだと感じた。


②強さのために切り捨ててきた美しいもの

マイナス100度の永久凍土の国で生き延びるために、ヤガたちは強さ以外のものを切り捨ててきた。
弱いものも。死にゆく者へのいたわりも。美しいものも。

そうせざるを得なかった。
厳しい自然を生きるには、無駄なものを切り捨てるしかなかった。


もうすぐ全てが『無かったことになる』世界のために、世界が終わるまで曲を奏で続けるのは、その価値観からすれば究極の無駄かもしれない。

もしかしたら何もかもが、いまさらなのかもしれない。


でも、きっと違う。

サリエリが世界の終わりに、その絶望に寄り添った意味は絶対にある。


世界の終わりがそこにあり、もはや生き延びるという目的を失くしたからこそ、彼らは失った美しさを取り戻すことができる。
「きらきら星」に耳を傾けていられる。星を眺めて、感嘆していられる。

取り戻せるなら、切り捨てるのではなく「諦める」こともできる。
サリエリが彼らにかけた言葉は、そういう意味じゃないかと思う。


死にゆく世界を見送る曲が、「きらきら星」というのも、すごい。

なかったことになるものでも、確かにそこにはあったのだ。星たちがそれを、見届けてくれているように感じた。


③相容れない者を信じて託す

第22節をじっくり読み返して気づいたのは、「究極的には理解しあえない立場の者を信じ、望みを託す」シーンが何度も現れること。


汎人類史のサーヴァントだったアタランテ・オルタは、ずっと共にいるうちにヤガたちを守りたいと願うようになった。

異聞帯の住人であるパツシィが、「強いだけの世界に負けるな」と、人類であるマスターに望みを懸けた。

人間であるカドックは、サーヴァントであるアナスタシアを信じて約束を果たそうとし、
アナスタシアは銃弾の前に身を投げ出して、カドックに生き残れと願った。


そしてアマデウスは宿敵サリエリに、「世界が平和になった暁には」と、きらきら星を託した。

しかもアマデウスの元ネタであるモーツァルトは、この曲をもとに『きらきら星変奏曲』を作曲している。
彼にとっても思い入れのある曲を、自らを倒した相手に預けたのだ。

そこには、音楽家としてのサリエリに対する深い敬意がある。

(上記のページからピアノ演奏を聴くことができます)


そして望みを託された者たちも、命懸けでその思いに応えようとした。

何よりサリエリのこの言葉に、アマデウスへの(少しひねくれた)敬意がよく表れていると思う。

「忌々しいが、かの天才の遺言なら従わなくてはな。」





お読みいただきありがとうございました。
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