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こんなお母さんだったらよかった

実家の玄関のドアを開けるとき。私のテンションが最も低くなる瞬間だ。
ドアを開けるとなんとも言えない実家の匂いがしてくる。この匂いがもうだめ。萎える。

臭いとかではない。神経質な母親が一人で住む実家は殺風景なほど片付いていて生ゴミが溜まっているなんてことは皆無。それでも嫌な匂いがする。多分、お母さんのにおい。

私が来ると母親はものすごく喜ぶ。喜ばれるほど私は萎える。多分私は能面のような顔をしている。笑顔で母の顔を見ることができない。もう何年も前から目を合わせるのも苦痛になってしまっている。

だけど先日とうとう「どうして目を見て話さないの?無視されている気分。」と言われてしまったので仕方なく2〜3秒は目を合わせることにしている。苦痛だ。

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私が短大に通っていた頃や会社勤めをしていた頃、地方から東京に出てきている友人たちは皆、お盆とお正月が来るたびに実家に帰省することを楽しみにしていた。

「実家は楽だよね〜!」「上げ膳据え膳だしね!」
そんな会話を耳にするたびに、信じられない思いで聞いていた。実家というものがそんなにも気楽な場所だとは!そして羨ましかった。

取引先の社長さんたちも、年末年始に娘や息子さんたちが帰省するのをいつも楽しみにしているようだった。

「娘や孫たちと一緒に買い物に行くと、欲しいものをポンポンカゴに入れてくるんだよ!全く、困っちゃうよなぁ〜」なんて言いながら嬉しそうだ。

想像するだけでなんて眩しい光景だ。
母の持つ買い物カゴに、これ買って〜!なんて、遠慮なくほしいものをポンポン入れるだなんて一度もしたことがない。

私は実家が楽だと感じたことは一度もない。上げ膳据え膳なんてもってのほか!(お手伝いもできないほど幼い頃はのぞいて。)

私にとって実家とは最も気を遣う場所。母の機嫌が悪くならないように。母が急に常識はずれなヘンなことを言い出して周りにいるお客さんたちをおかしな空気に巻き込まないように。

母はめちゃくちゃ自己肯定感が低く、人付き合いが死ぬほど苦手で他人との関わりを避けて生きてきた。友達なんて一人もいない。母の家を訪ねてくるのは私と私の妹くらいだ。

そして母は私が訪ねてくることを毎日のように望んでいる。話し相手のいない母。唯一気を使わずに話せるのは娘だけ。私が週に1度か2度尋ねてくるのを今か今かと待ち構えている。

実家の玄関のドアを開けると、待ち構えていた母がそれはそれは喜んで出迎えてくる。具合が悪くて出迎えができない時もある。

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私には6歳と12歳の娘がいる。実家に行く時は6歳の次女ズーを連れて行くことが多い。ズーはおばあちゃんがとても変わり者だということにまだ気がついていないから無邪気になついている。それが救いだ。

そんな次女ズーにも母はうるさい。
幼いズーがお菓子の食べかすを1粒こぼしただけで「ああああああ!ズーちゃんこぼしてる!おばあちゃんね、体が弱いから掃除機かけるだけで一苦労なの、大変だから、絶対に絶対にこぼさないでね。ああああ!お菓子を食べた手で椅子を触らないでね。ああああ!それはおばあちゃんの大事なものだから絶対に触らないで!その机の上のものは何も触っちゃダメよ!!!!」

そして母は私に、前回私が訪れてから今日また私が訪れてくるまでの数日間、たった一人ぼっちでいかに孤独であったかを延々と語り始める。

「前回UMIが来たのが火曜日でしょ。水、木、金、土、・・・4日も一人ぼっちでいたから、誰とも会話がなくて気が狂うかと思った。一人だから食欲もないし、全然食べたくないのに、でも食べないとまた体重が減っちゃうし病気も治らないから無理やり食べてね・・・全然美味しくないのよ・・・薬のせいで味覚がおかしくなってるのね。ほら、薬って毒でしょ。正常な細胞もやっつけちゃうからね、薬のせいで私の正常な細胞がどんどん死んでいってるから・・・ああ、今日はUMIが来てくれたからご飯が食べられる・・・やっぱり人と会って会話しながらじゃないとご飯って食べられないのよね。UMIが来てくれて本当によかった」

と毎度毎度同じ話を繰り返しながら、4日間も家を訪ねてこなかった私のことを暗に責めている。

そんな母の長い愚痴を遮るように、ズーが
「ねぇねぇこれみてー!聞いて聞いて!」と話に割り込んでくるのもいつものことだし、割り込んでくるズーにイラついた母が言うセリフも同じ。

「ねぇズーちゃん?ちょっとママをおばあちゃんに貸してくれる?ズーちゃんは毎日毎日ママを独り占めしてるでしょ?おばあちゃんの家に来た時くらい、ママのこと少しでいいからおばあちゃんに貸してくれない?ズーちゃんはママとおばあちゃんがお話するのが嫌なのかしらぁ?」

6歳相手に嫌味たっぷりだ。
ズーにしてみたら、せっかくおばあちゃんの家に遊びに来たのだから自分だって会話に混ざりたいと思うのは当然だし私もそうさせてあげたい。だけど母には通じない。

そんなふうに1時間を過ごして、私とズーは夕飯時には家に帰る。本当はもっと長くいてあげるべきかもしれないが、私にとって実家の滞在時間は1時間が限界だ。

帰り際には毎回必ず

「次はいつくるの?」
「また来てね」

と何度も言う母の言葉が私の体にまとわりつく。
実家の玄関のドアをあけ外に出て新鮮な空気を吸い込むと、私は必ず長く深〜いため息を吐く。言葉にならないいろんな気持ちと共に吐き出す。

今日の任務、終了。

私にとって母の家を週に1〜2回訪れるのは義務だ。
仕事だと思って割り切っている。

本当は行きたくない。行くたびにエネルギーを吸い取られる。
だけど、行かないという選択肢が私にはどうしても持てない。

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私は今、それなりに自分の人生に満足している。愛しい娘が2人いる。長年勤めた商社を3年前に退職して、いまはフリーランスで文章を書く仕事とサイト制作をしている。まだまだ駆け出しだけれど毎日は刺激的で面白い。

そんな生き生きとした私の日常に、時折暗い影を刺してくる存在。
母のことだけが、唯一私の中にある薄黒いおもりだ。

うちのお母さんはよそのお母さんとなんか違う。すごく変わってるな。
かなり幼い頃から気づいていたけれど。

私を産んでくれたこと。体を健康に育ててくれたこと。(心には少しだけ良くない影響を及ぼした)
娘たちが生まれた後は、母がまだ元気な時は娘の面倒も見てくれたこと。

そのことに対しては恩があるので、最低限の恩は返すつもりでいる。
週1〜2回の実家訪問を欠かさないのはそのためだ。

最近、いろんなSNSや本などで、いろんな人たちが言う。

「合わない人や自分を傷つけてくる人と無理に付き合う必要はない。距離を置いて良いのだ」と。

でも、それが家族だったら?自分を産んだ親で、しかも病気で、距離を取るに取れない間柄だったらどうしたらいいの?

厄介なのは、どんなに嫌いでも、病気の親をほったらかすほどには憎めていないと言うこと。そこまで冷徹に突き放してしまうには、可哀想だと思う気持ちが残っていること。

母は母なりに、母のやり方で、私たち娘を愛してきた。
この「母のやり方」が問題なのだけど。

友人たちの、よく笑う明るいお母さんたちが羨ましかった。
別に理想の母じゃなくてもいい。そんなものは存在しないかもしれない。

だけど、もっと、笑っているお母さんだったらよかった。

私はお母さんの楽しそうな笑顔をほとんど見たことがない。
笑い慣れなすぎて、母の笑顔はいつもぎこちなかったし般若のようにすら見えていた。

私はよく笑えているだろうか?
子供達にはたくさんの笑顔を見せてあげたいと思って日々子育てしている。母が笑顔なだけで子供は安心だ。

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母親への気持ちをうまく整理できなくて
長年悶々としてきた思いを
このNoteで少しずつ整理していきたいなと思っている。

誰かの共感を得て「自分だけじゃないんだ」と思ってもらえたらそれも嬉しいし

少し変わった母親を持ちながらも文章にすることで
自分の中で落とし所を探っていけたらそれもいい。

何も解決しなくて
どんな落とし所を見つけられなかったとしても
それでもいい。

自分の気持ちをホロッと吐露できる場所が1つあるだけで
私は少しだけ癒されるかもしれない。



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