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母の日に花束を贈ったらめちゃくちゃ怒られた話

エキセントリックな母から生まれ、母との強烈な思い出は枚挙にいとまがない。その中でも30年以上たった今も時々思い出されるのは、私が小学校5年生の母の日のことだ。
母という人間を象徴する最も興味深くそして残念な思い出。

小学校5年生の5月。母の日。
当時両親は地元駅の高架下で商売をしており、その年私は両親のお店の従業員さんたちからたくさんのお年玉もらっていた。

母の日に、私は母のために2000円くらいの花束を買った。小5で2000円の花束はけっこう奮発した方だと思う。
多分お正月にもらったお年玉がたくさん残っていたのかもしれない。

私は母がものすごく喜んでくれると信じて疑わなかった。
母の嬉しそうな笑顔を想像しながらウキウキと花束を抱えて家へ帰った。

家に帰るとさっそく「お母さん、母の日のプレゼントだよ!」とか言いながら差し出した記憶がある。

花束を見た瞬間の母親の顔とその後に続いたセリフを30年以上経った今も私は忘れない。

花束を見るや否や母の顔はみるみる曇って眉間には皺がより、ものすごく不愉快そうに、

「なんでこんなもの買ってきたの?これいくらしたのよ?」

と言った。

私はびっくりしながら「え・・2000円くらいだけど・・」と返した。すると母はこう続けた。

「2000円もしたの!もったいない!なんでこんなもののために2000円も使うのよ。やめてよ。無駄遣いしないでちょうだい。こんなものもう二度と買ってこなくていいからね。わかった?もう二度と買ってこないでよ。全くもう!」

母は、私の母に対する愛情いっぱいの花束を「こんなもの、こんなもの」と何度も言い放った。そして二度と買わないようにと何度も念押しをした。

私はものすごくショックでものすごく残念でものすごく衝撃を受けた。

まさか喜んでもらえないとは思っていなかったし、喜んでもらえないどころか「こんなもの」二度と買ってくるなと叱られたのだ。

私の全身全霊が、細胞のとつひとつ全部が、ものすごく、ガッカリしていた。

私はとても虚しい気持ちで自分の部屋へ入った。そして夜ご飯の時間になるとつまらない気持ちで母の作った体に良い、だけどあまり美味しくないご飯を食べた。

母にしてみたら、自分のために貴重なお小遣いを使うな、もっと大事なことのために大切に貯金しておけ、という気持ちだったのかもしれない。よく分からない。だとしても言い方というものがある。

もし私が大人になって子供を産んで、その子供が私のために花束を買ってきてくれたら。
お金の無駄遣いをするな、なんて私は絶対に言わないと思う。言えないと思う。すごくすごく嬉しいと思う。小5の私はそう思った。

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こんな衝撃の母の日を経験したというのに。

翌年の母の日、なんと私はおんなじ過ちを犯してしまう。
またもや母親にプレゼントをしてしまうのだ。

花束で怒られたから、趣向を変えてハンカチをプレゼントしてみた記憶もある。どちらにせよ反応は同じようなものだった。またしても私は全身全霊でガッカリした。

どことなく期待していたのだと思う。
前回はたまたま喜んでくれなかったけど、今度は喜んでくれるかもしれない。
なんの根拠もない謎の期待。

その期待はもちろん打ち砕かれる。今の私なら容易に想像できる。でもあの頃の私はまだ幼くて母を理解できていなかった。

私はいつだって、母に喜んでもらいたかった。笑ってほしかった。
だからどうやったらお母さんを喜ばせられるのか、いつも無意識に考えていたと思う。
怒りっぽい、不機嫌な母親の顔色をうかがいながら。怖くてあまり好きじゃない母親なのにだ。

なんとこの愚かな過ちを私は40歳を過ぎても続けていた。
手を変え品を変え、どうしたらあの人が喜んでくれるのか、あの人を嫌いだ嫌いだと思いながら、買い物に行くたび、あの人が好きそうなものを見つけるたびに、これだったら喜んでくれるんじゃないか、と思ってしまうのだ。

淡い期待を抱いて何度も母にプレゼントを贈った。
昔と違って歳をとって人間が丸くなって、今度こそ喜んでくれるかも・・?と期待するも、やはりボロクソに言われて、ボロクソに言われるたびに「そうだった、お母さんてこういう人だった」と思い出した。

そういえばいつだったか父か、結婚記念日に母に素敵なネックレスを買ってきたことがある。ゴールドの華奢な作りのネックレスで、ヘッドの真ん中に小ぶりなルビーがちょこんとあしらわれた素敵な飾りがついていた。

当時私は中学生か高校生だった。結婚記念日にアクセサリーのサプライズなんてお父さんなかなか素敵なことするじゃん!と私たち姉妹は一瞬盛り上がったのだが、その後の母の対応はいつものものだった。

「こんなもの買ってこなくていいのに・・いらないし使わないわよ。」といつものように迷惑そうにピシャリと言い放った。

懲りずに衝撃を受けた私たち姉妹だったが、そんな酷い対応をされて父は怒るわけでもなく「そうか・・・いらないならいいよ。」と静かに部屋に引っ込んだ。

ここで怒らない父ってすごいなと思ったし、ある意味母のことを諦めているというか受け入れているというかとにかく父の器が大きいというかなんというか。怒らない父がまた印象的だった。父がそれ以降母に何か買ってきたのを見た記憶はない。

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私がようやく母に何もプレゼントしなくなったのはごく最近のことだ。
母に期待しないようになるまでに30年以上もかかってしまった。

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「無性の愛」という言葉がある。
母親の子供に対する愛は無性の愛だと言われる。

私は逆なんじゃないかと思う。
子供の親へ対する愛が無償なんじゃないかと。

子供って親にどんなに酷いことをされても、どうしても最後まで親を嫌いになりきれない。憎みきれない。

どこかでそんな親を可哀想だと思ってしまったり情をかけてしまう自分がいる。

私は娘たちにこんな残酷な思いを味わわせたくないと思っている。
母は私の反面教師だ。

私は娘たちに私のような思いを絶対にさせたくない。
いつもそう思いながら、たくさんの笑顔と安心と愛情を注いでいる。

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余談。
その後、母が二度ほど、珍しくプレゼントを喜んでくれたことがある。

一度目は父が亡くなってから最初の母の誕生日。
母が欲しがっていたHarrodsのショピングバックがあり、私と妹でプレゼントした。確か三越デパートで2500円くらいだったと思う。
父の死後で感情が昂っていたせいか、意外にも泣いて喜んでくれた。私は満足だった。

二度目は母の還暦の誕生日のこと。私と妹とで母の好きな日本茶の茶葉を買い、私の家族(旦那と娘二人)と妹の家族(妹の旦那と息子)から色紙にメッセージを寄せ書きしてもらい渡した。これも非常に喜んでくれて大成功だった。

私は母の中にプレゼントを喜ぶポイントがあることを学んだ。

一つは決して値段が高くないこと。高価なものを喜ぶ人は多いだろうが値段が高いと嫌がるという珍しい人。貧乏性なのかもしれない。かといって安かろう悪かろうは絶対NG。そして本当に欲しいものであること。欲しくないものはどんなに心がこもっていても迷惑なだけ。そしてその欲しいものの量が母にとっての適量であること。どんなに好きなものでも量が多過ぎてもN G、質がイマイチでもNG。

あとはその時の母のメンタル次第だ。

エキセントリックで、とても面倒な人である。






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