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匂いのある記憶

今、実家に帰ってきている。
大阪府四條畷市
未だに昭和を感じるゴチャゴチャとした町並みで、とてもノスタルジックな所だ。

昭和48年、僕はこの町で生まれた。今はほぼ見なくなった文化住宅(アパート)が当時はたくさん立ち並び、我が家もその一室だった。
我が家から、徒歩40秒のところには、お笑い芸人ぐっさんの実家がある。子どもの頃絶対に会っているはずだが、年齢が3個離れているせいか、僕にはぐっさんとの思い出は一切ない。でも、うちのおかんはテレビにぐっさんが出るたびに、「ぐっさんも有名になったなぁ」と感慨深そうに呟く。はたして当時からぐっさんと呼ばれていたのだろうか?確認はしていない。

この町は、なんだかいつも騒がしかった。

パープー・パープー
チリンチリン・チリンチリン
豆腐屋さんがやってきた合図だ。おかんにボールと小銭を握らされて、豆腐屋さんの車に走る。
「絹ごし一丁下さい」
すると、おじさんが豆腐とお釣りと別に「はい、お駄賃ね」と20円をくれる。ぼくのお目当てはそれでしかなかった。

近所のおかん達は、よく誰かのうちに集まってお茶をしていた。
もちろん子供達も集まる。でも赤ちゃんは自分ちに置き去りで寝かされている。なので時々「かーくん赤ちゃん見てきてー」と頼まれ、鍵のかかっていないひとんちにズカズカと入っていき、赤ちゃんの様子を確認「赤ちゃん泣いてたでー」とおばちゃんに報告する。そこで初めて赤ちゃんは連れてこられ、その集いに参加できる。

突然雨が降りだす。
すると外で誰かが我先にと「雨降ってきたでー」と叫ぶ。すると一斉に近所のおかん達が洗濯物を取り込みに出てくる。(当時は物干し台は道端に設置されていて、家の前の道路は、植木も車も自由に置けて敷地と道路の境界はとても曖昧だった。)
さらに呼び掛けに出てこないうちがあると「◯◯さーん雨やでー」と玄関の扉を開けようとする。開かないと留守だ。そうすると、ひとんちの洗濯物もうちに取り込み、たたんで後で渡す。

醤油や砂糖などの調味料がなくなる。
「かーくん借りてきてー」と隣のうちへ借りに行く。すると醤油と別に、「これ持ってき」とよくお菓子がもらえた。借りると言うけど正確には、醤油もお菓子も貰えるだ。でもその反対も当たり前のようにあるので、お互い様なのだろう。

ガシャーンと凄い音がする。
近所のうちで親子げんかがあったようで、玄関のガラス扉は粉々に割れていて、不良息子が家を飛び出したようだ。当時は家出がはやっていた。

そしてまた、おかんの集いが開催される。
「かーくん赤ちゃん見てきてー」

騒がしい毎日だ。


なんやろね。この感じ
この記憶には、匂いがついている。
不思議な感覚、でもなんかジーンと真ん中が温かくなる。

さて、愛知に帰ろう。

ありがと〜