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忍殺TRPG小説風リプレイ【オーバークラウド・オーバーヒート(その3)】

アイサツ

ドーモ、海中劣と申します。こちらの記事はニンジャスレイヤーTRPGの小説風リプレイとなっております。ニンジャスレイヤーTRPGについては下記の記事をご覧ください。

なお本記事はニンジャスレイヤーの二次創作小説でありニンジャスレイヤー本編及び実在の人物・団体とは関係ございません。

こちらの記事は前回の続きとなっております。よろしければそちらから見てやってください。

※注意事項

本シナリオ及び本記事のリプレイ小説はダイハードテイルズ・KADOKAWAから発刊されている【スズメバチの黄色】を元にしており、当該作品のネタバレが存在します。【スズメバチの黄色】については下記の記事をご覧ください。

ではやっていきたいと思います!

本編

 『免費Wi-Fi熱点』『専科餃子』『인스타』『龍二五六第一控制論電脳公司』『実際安い』『タピ』……夜の龍256。虹色にグラデーション変化するネオンサインの海。人々の差す傘でストリートがひしめき合い、大型スクリーンで扇情的に歌う最新型オイランドロイドの顔に冷たい重金属酸性雨が降りしきる。

 違法サイバネ改造店で生身の網膜と別れを告げた女子高生のグループが楽し気に笑い、その横を揃いのサイバーサングラスをかけてLAN端子ケーブルで並列直結したサイバーカルト集団が通り過ぎる。ストリートの中ほどにまで座席をせり出させた屋台ではレインコートを着たままの客たちが香ばしく焼き上げた豚足に齧りついていた。

 アリの巣を逆さにしたような超過密集合住宅街とネオンスラムのドッキング。この龍256はあらゆる秩序と謙遜を人々が忘れ去った街でもある。ここでは無法こそが法であり、自己責任の名のもとにあらゆる犯罪行為が許容される。これも末法の世の一側面であろうか。

 そして今、その末法の世の空を駆ける影が二つ。一つは真っ赤な髪の青年。もう一つの小さな影は年齢15,6ほどの少女。火蛇とドラゴンチックであった。

「ほんっとに早えな! 自信無くすぜ!」

 『高級HOT金泉』のネオン看板を蹴りながら火蛇は思わず顔をしかめた。先程から全力で走っているにもかかわらず、先を行くドラゴンチックとの距離は一向に縮まる気配が無い。

『まずいよ火蛇。このまま行くと《デッドスカル》のシマに入りこんじゃう。そうなったら手出しできないよ』

「あの女、《デッドスカル》のアサシンか? いやどう見ても違うよな! あいつらは額に穴開けて全員区別のつかねえ格好してるって話だしな!」

 龍256のネオンスラム中心から北東に行けば、そこは《デッドスカル》の支配領域だ。《デッドスカル》は独自の教義を信仰する暗殺集団とヤクザ組織が合わさって出来たキメラ組織であり、《老頭》とは十年近く続く同盟関係にある。

 仮に相手のシマで揉め事を起こしたりして同盟関係にヒビを入れるようなことがあれば、よくてケジメ、最悪それ以上のこともありえる。流石の火蛇も少々焦り始めた。ドラゴンチックの背中はいまだ遠い。

ドラゴンチック連続側転:9d6>=4 = (4,2,3,4,1,4,2,3,3 :成功数:3) = 3
火蛇連続側転:4d6>=4 = (1,4,2,6 :成功数:2) = 2

 ドラゴンチックは先程からちらちらと背後の様子を窺いながらスピードを落とすことなく走り続ける。実際のところ、彼女の方も火蛇に対してある程度の驚きを感じていた。

(割と本気で引き離そうとしてるのにまだ付いてくる。多分、両足をサイバネ改造してるんだ。それにしたって凄いけど……)

 彼女は自惚れではなく、火蛇の実力を正当に認めた上でそう評価した。ドラゴンチックは次に自分を遠方から窺っている宅配ドローンを横目で見る。

(後ろの人を援護してるのがあのドローンだ。あたしの進む道を予測して見失わないようにしてる。後ろの人が操作してるようには思えないから、きっと仲間にハッカーが居るんだ)

 状況を広い視野で観察し、時に目となり時に鍵となってくれるハッカーが味方にいるだけでこうも違うものか。ドラゴンチックはハッカーという人材の持つ力を今初めて実際の知識として思い知った。もし、自分の過去にも頼りになるハッカーが居たならば。

 そこまで考えてドラゴンチックは思考を止めた。過ぎたことを悔やむのは全てが終わった後で良い。差し当たってまずは、この状況をどうするかだ。

(ドローンを落としちゃえば多分追跡は撒けると思うけど……)

 ドラゴンチックにはそれを可能とする手段がある。それも彼女にとってはさして難しいことでもない、そんな手段が。だが。

「イヤーッ!」

 彼女はその手段を取らず、更なる加速にて火蛇を引き離すという強引な手段を選んだ。ドラゴンチックは巨大ネオン看板を支える金具を両手で掴み、体操選手めいた大車輪を決めて大きく前に飛んだ。背後から火蛇の驚愕が伝わってくる。ドラゴンチックは火蛇からは見えないように、少しだけ得意気に微笑んだ。

ドラゴンチック連続側転:9d6>=5 = (4,1,6,1,3,6,2,5,3 :成功数:3) = 3
火蛇連続側転:4d6>=5 = (2,6,3,4 :成功数:1) = 1

(オイオイオイ。本当に何者だよあの女。ニンジャかなんかじゃねえのか?)

 さしもの火蛇も文句のひとつも言いたくなった。どのような手品かは分からないが、まるで動きが違う。こっちがせいぜい性能の良い自転車とすれば、向こうはまるで色付きの風だ。比べること自体が間違っている。

(とはいえ愚痴ってばかりもいられねえか!)

 《武田》のヤクザと敵対したが通りすがりの女子高生に助けられ、その女子高生には逃げられました……などと報告すれば上司である蟲毒がどれだけ怒り狂うか分かったものではない。(何としてでも目的か、もしあるなら所属組織の情報だけでも掴まねえと……!)火蛇は痛み始めてきた肺と脇腹からの抗議を無視し、なおもドラゴンチックの後を追いかけた。

 やがて前方に京都の五重塔めいた高層建築が見えてくる。《老頭》の管理下にあるサイバー楼閣、『老舗の味』だ。あそこを越えれば《デッドスカル》のシマへと入ってしまう。その前にどうにかしてあの少女に追いつかなくてはならない。しかし、そんな心配をすることすら火蛇には許されなかったのだ。

「イヤーッ!」

「オイ、マジか!?」火蛇はこの日一番の驚愕に目を見開いた。

 ドラゴンチックは『老舗の味』に向かって真っすぐ向かっていったかと思うと垂直に跳躍、重なった屋根を階段のように蹴り上げ、そのまま多段式ロケットのように遥か高くへ駆けていってしまったのだ。

 七階の屋根に到着したところで彼女は足を止め、後ろを振り返って火蛇の方を見た。もう諦めてくれないか、彼女の顔にはそう書いてあるようだった。その少し離れたところで大熊猫の操作する宅配ドローンがどうしていいか分からず、右往左往していた。

「参ったぜ……」

 火蛇はぜえぜえと肩で息をしながら顔の汗を袖で拭った。サイバネアイでズームして少女の顔を見れば、息切れ一つしておらず汗をかいてる様子もない。

「……参ったぜ」

 火蛇は繰り返した。だが、言葉とは裏腹にその口元には挑戦的な笑みが浮かんでいた。

『火蛇? ねえ、まさかとは思うんだけど……』

 大熊猫の言葉をよそに、火蛇は手頃なビルの屋上へと登り、『老舗の味』へ向き直った。火蛇は後ずさって助走の距離を取る。遥か上で彼を見下ろすドラゴンチックが訝しんだ。

 その時、横殴りの風がびゅうと吹いた。考え直せ、と火蛇に言っているようだった。それはもしかしたらブッダが気まぐれに見せた慈悲だったのかもしれない。火蛇は内心でヘルガと大熊猫に対して謝罪した。彼は走り出す。


「ウオオオーーッ!!」

 火蛇は屋上の縁を蹴って空中に身を躍らせた。ドクンと心臓が脈打ち、世界がスローモーションになった。自分の雄叫びに混ざって、通信越しに大熊猫が息を呑んだ音が聞こえた。何と馬鹿な真似をしたのだろうか。火蛇は自嘲した。だがしかし、ヤクザの商売ナメられたら終わりなのである。

 『老舗の味』の四階の屋根がぐんぐんと近付いてくる中、火蛇の身体にかかるベクトルが前方から下方へとその向きを徐々に変えていく。火蛇にとっても初めての距離だった。いよいよ重力が火蛇に牙を剥き始める。それでも彼は己のパルクールと吉田老人のサイバネを信じた。そして。

「……っし!」

 火蛇は心中でガッツポーズを決めた。この速度と角度ならばギリギリではあるが楼閣の屋根へと間違いなく届く。見たかこの野郎。ナメんじゃねえぞ。火蛇は誰ともなしにそう言ってやりたい気分になった。


 ……だが、ブッダは蜘蛛の糸を拒絶した者に厳しかった。

 大熊猫か、ドラゴンチックか、あるいは火蛇本人か。あっ、という声が上がった。どうやらサイバー楼閣の丁寧に磨かれた瓦屋根は火蛇のサバイバル・スニーカーと折り合いが悪かったらしく、両者はそっけなくすれ違った。結果、火蛇は屋根の端で引っ繰り返って頭と足の位置があべこべになった。そうなれば必然、その場で踏ん張ることなど出来る筈も無く。

「やっべ……!」

 今度こそ重力の巨大な手が火蛇の全身を掴み、地上に向かって引きずり込んだ。火蛇のニューロンがスパークし、この世に生を受けてから現在に至るまでの記憶が高速で脳裏にフラッシュバックした。走馬灯である。やがて火蛇は記憶の旅を終え、現在へと戻った。残念ながらここが終着駅のようだ。

 落下しながら空に向けて無意味に腕を伸ばす火蛇の目に髑髏めいた月が映った。月が何かを言ったような気がしたが、火蛇の耳には聞こえなかった。彼は意識を手放した。

◆◆◆

ドラゴンチック連続側転:9d6=6 = (6,6,4,2,1,5,1,3,4 :成功数:2) = 2
火蛇連続側転:4d6=6 = (1,4,2,4 :成功数:0) = 0

 ……嗅ぎ慣れたスパイスの芳香に鼻孔をくすぐられ、火蛇は磁石のように引っ付く瞼をどうにか抉じ開けた。まず視界に飛び込んでくるのは見慣れた天井を照らすタングステン灯。背中の感触は座り慣れたソファのくたびれたスプリング。大熊猫がUNIXのキーをタイプする音と皿にレンゲを擦らせる音が混じり合う。

 ここは火蛇と大熊猫が住む中華飯店の五階、彼らが”巣”と呼んでいる宅配ドローン格納庫奥の寝室兼作業部屋だ。火蛇は自分の身体にかかっていた毛布をのけて上半身を起こす。仕事から帰って来てビールでも飲んでそのままソファに寝てしまったのだろうか?火蛇はくらくらする頭を右手で押さえ、こめかみを揉んだ。

「あ、起きた。おはよう、火蛇」

「おはよ。火蛇=サン」

「あ? ……ああ、おはよう」

 声のした方向に顔を向けながらぼんやりする頭で返事をする。テーブルの上の作業用UNIXを用いておそらくドローンのプログラムの書き換え作業を行っている大熊猫が笑顔を返してきた。彼はあいも変わらず動きにくそうなパンダ型のフリースツナギを重ね着している。本人曰く、驚くほど機能的なのだそうだが。その隣ではドラゴンチックがチャーハンを美味そうに口へ運んでいる。

 火蛇はソファから立ち上がろうとして、もう一度テーブルの方へ振り向いた。ドラゴンチックはチャーハンを平らげ、デザートの杏仁豆腐へ取りかかっていた。「いやちょっと待てオイ」火蛇が言った。部屋に居る他の二人が火蛇の顔を見た。

「何でお前がここでメシ食ってんだ? コイツをどうやってここに連れてきたんだよ大熊猫。つうか俺、落ちたよな? 何で無事なんだ? ありゃ夢だったのか? 何があった?」

 火蛇は堪え切れず、矢継ぎ早に質問した。大熊猫はその反応を予測していたらしく、小さな苦笑と共に火蛇の方へ身体を向けて諭すように言った。

「落ち着いて火蛇。順に説明するから。まずは火蛇も食事を注文したらどう? 十六夜を捕まえに行ってから何も食べてないでしょ」

「ん……そういやそうだな」

 今度こそ立ち上がった火蛇は軽く己の全身を点検する。どこにも怪我は無いし、仕込んだサイバネも問題なく動く。頭の方もようやくがはっきりしてきた。後の問題は大熊猫の言う通り空になった胃袋だけだ。

「んじゃ、そうさせてもらうわ。ドラゴンチック=サン、片付けるから終わった食器くれよ」

「あ、うん。ごちそうさまでした」

 火蛇は気持ちの切り替えが早い。それに楽観的だ。彼は既にドラゴンチックがこの部屋で食事をしていることに対して忌避感も危機感も感じていないようだった。

 火蛇は壁にある注文用IRCを操作して下の飯店から自分の分のタンメンを注文した。その横の運搬用リフトを操作し、ドラゴンチックから受け取った空の食器を中へと入れる。注文の品を待つ間、火蛇は部屋に備え付けられた冷蔵庫から缶ビールを取り出し、プルタブを開けてぐいと呷った。そのまま大熊猫とドラゴンチックのいるテーブルの横に胡坐をかいて座る。

「さて、それじゃあ話してもらおうか。そうだな……」

 火蛇はテーブルを人差し指でトントンと叩きながら何から尋ねるべきか思案する。正面に座る正座姿勢のドラゴンチックと目が合う。やはりと言うべきか、何処からどう見ても何処にでもいる女子高生としか思えない。虎景を相手に見せた超然たる迫力は錯覚だったのだろうか。

「まず……あの路地裏で起きたことから聞こうか。《武田》のヤクザを訳の分からねえうちに気絶させたよな。何をした?」

「カラテ」

 ドラゴンチックは端的に言った。そして火蛇が眉根を寄せたのを見て、悪戯気に微笑み説明を続ける。

「最初にあたしの素性を説明するね。あたしは……ここからずっと北に離れた山奥にある道場の門下生」

「道場?」火蛇は胡散臭そうに言った。

「そう、そこで厳しい訓練を受けたの。おかげでカラテも強いし、パルクールだって出来る」

 ドラゴンチックはシャツの袖をまくって力こぶを作った。微笑ましい光景ではあるが、火蛇はそれだけでは納得できぬ。事と次第によっては《老頭》の上層部へ彼女のことを危険存在であると報告しなくてはならないのだ。

「厳しい訓練ねえ……滝に打たれたり水の上に浮かべた紙を足場に走ったりしたのか」

「うん」

 ドラゴンチックは火蛇の冗談めいた質問に真顔で即答した。

「は……? マジかよ?」

「…………ふふっ」

 しかし、数秒後。彼女は口元に手を当てて可笑しそうに吹き出した。火蛇はしてやられた、と思った。

「なんだよ! 冗談かよ! 本当にそうかと思ったぜ!」

「あはは。まさかでしょ、火蛇」

 火蛇と大熊猫が釣られて笑い出した。ドラゴンチックはそのまま説明を続ける。

「あはは、ごめんね。まあ道場の門下生っていうのは本当だから。あたしはヤクザじゃないし、サイバネだって入れてないよ。ほら」

 ドラゴンチックはその場に立って両足をぱんぱんと叩いた。剥き出しの機械部品を隠すために使用するカーボン皮膚やシリコン脂肪は一切使われていない。生身の足だ。火蛇にはすぐに分かった。大熊猫はデニムのホットパンツから伸びる女子高生の生足を前にして頬を赤く染め、ツナギのフードを目深に被った。

「ってことはマジで道場の訓練だけであの動きかよ……とんでもねえな」

 火蛇はビールを飲み終え、空き缶を潰して部屋の隅のゴミ袋へ投げ入れた。火蛇自身も少年時代から道場に通い、カンフー・カラテの鍛錬を積んできている。だが、それだけでドラゴンチックのような動きが出来るとは到底思えない。

(さっきは冗談みたいに言ってたが、カトゥーンみたいな訓練をしてきたってのもあながち間違いじゃねえのかもな)

 最も、こんな少女がそれほどに厳しい訓練を行う理由までは火蛇にも分からなかったが。

「この街に来たのは『得天黄龍大飯店』で人と待ち合わせをしてるから。あたしはその店で…………知り合いと待ち合わせをしてるの。それで店の場所を知りたくてその辺りに居る人達に場所を聞こうとしたら、あのバイクに乗った連中が近づいてきて……」

「なるほど。その場に俺が登場したってことか」

 後は火蛇の見ていた通りのことが起きたのだろう。つまり彼女の言葉を信じるならばドラゴンチックはどこぞのアサシンやヤクザ組織のエージェントという訳ではないようだ。火蛇は少しだけ彼女に対する警戒心を解いた。

「それじゃあ次だ。お前が今この場所……俺達の部屋にいるのはどうしてだ?」

「それは僕が説明するよ、火蛇」と大熊猫。

「まず火蛇は『サイバー楼閣』の屋根から落っこちたことは覚えてるみたいだけど、その時火蛇が地面に衝突する前に助けてくれたのがドラゴンチック=サンなんだよ」

「エ? そうなのか?」

「うん。危ないところだったけど」

 驚く火蛇に対してドラゴンチックはあっさりと答えた。火蛇の記憶では彼女の立っていた地点と落ち行く自分との間にはかなりの距離があったような気がするが……。

「カメラ越しに見てたけど、凄かったよ。僕がドローンを向かわせるよりずっと早く動き出してさ、雷みたいなスピードで火蛇の元へたどり着いて、空中でキャッチして地面に着地したんだ」大熊猫がジェスチャーを交え、興奮気味に言った。

「マジかよ……つくづくとんでもねえな」

「ふふん」

 ドラゴンチックは褒められたことが嬉しかったらしく、自慢げに笑みを浮かべた。こういったところは年相応の少女という感じがする。

「だけどあたしが火蛇=サンを抱えて着地した時の衝撃は抑えきれなくってさ。そのせいで火蛇=サン、気を失っちゃったみたいなの。そしたら大熊猫=サンのドローンがあたしをここに誘導してくれて。こうしてお邪魔させてもらったんだ」

「アー……そうか」

 火蛇はバツが悪くなって頭を掻いた。今の話が確かなら自分はヘマをやらかして年下の少女に助けられ、しかも呑気に気絶してその少女に運ばれていたということになる。『サイバー楼閣』のミルチャや他の知り合いに見られてやしないだろうか、火蛇は気が気ではなかった。

 ガゴン。ちょうどいいタイミングで下の店からタンメンが届き、火蛇は照れ臭さを誤魔化すために一度テーブルを離れた。ドラゴンチックは特に気にしなかったが、大熊猫はにこにこと笑顔を浮かべていた。火蛇は追加のビール缶を冷蔵庫からもう一本取りだしてテーブルに戻る。

「まあとにかく。あんたにやましいところは何もなくて、おまけに俺の命の恩人だってことが分かった。詰問するような真似して悪かったな。詫びってわけじゃねえが、俺に出来ることがあるなら何でも言ってくれよ」

 火蛇はサムズアップした手で自分の顔を指し示し、にかりと笑った。火蛇はもはやドラゴンチックのことを微塵も疑っていない。己のヤクザとしてのセンスに従い、彼女が信用に足る人物だと判断したのだ。

「ありがとう、火蛇=サン。それじゃあさっきも聞いたけど『得天黄龍大飯店』への道案内と……後は……」

 ドラゴンチックはややもったいぶった口調で言った。

「薬屋、ってあるかな。漢方? とかそういうので、病人によく効くような」

「漢方?」

 火蛇はその言葉にひっかかりを感じた。一般的な女子高生が求める情報とはあまりにもかけ離れている。病人、と口にしていたが、身内にそんな人間がいるのだろうか? ともあれ、そこのところには踏み込まない方がいいだろう。

「ああ、いくつも知ってるぜ。ここにはその手の店が胡散臭いのから評判の良いとこまで、ごまんとある。あんたにゃいい店を教えてやるよ。任せとけって」

「どうもありがとう」少女は頭を下げた。

「これくらい何でもねえって。それで、『得天黄龍大飯店』だったか? 大熊猫、悪いけどドローンの映像で店の場所を教えてやってくれよ。俺の説明じゃ逆に理解できなくなっちまうかもしれねえ」

「うん、分かったよ。でももうちょっと待ってくれるかな」

 大熊猫は再びUNIXのキーボードをタイプし始める。その速度は彼の柔らかな雰囲気からは想像できないほどに速い。

「何かあったのか?」

 火蛇はタンメンの丼を持ったまま大熊猫の後ろに回り、UNIXの画面を覗き込んだ。

「《武田》のヤクザが出たときに通信不良が起きたでしょ? どうもこの辺り一帯に広域ハッキングが仕掛けられたみたいなんだ」

「ア? おい大丈夫なのかよそりゃ」

 火蛇はタンメンのスープで咽そうになりながら身を乗り出した。大熊猫を挟んで反対側に座るドラゴンチックが顔をしかめたが、大熊猫の方は慣れているのか気にしていない様子だった。

「今ウイルスの有無とかコードを書き換えられていないかとか調べてたところだよ。とりあえず僕のドローンは大丈夫だった」

 大熊猫の言葉に火蛇はほっと胸をなでおろした。大事な相棒の身に何かあれば、彼は平静ではいられない。

「何かのデータを抜き取ることが目的だったみたいだね。それにしたってあの短時間でこれだけの範囲をハッキングするなんて並のハッカーじゃないけど……『YCNAN』みたいな凄腕のハッカーか、もしかしたら本人かも」


「『YCNAN』? ……ユカナン?」ドラゴンチックがその名前に反応した。

「うん? ああ、IRCで流れてる噂の一つだよ」と大熊猫。

「読み方は分からないけどね。分かってるのは『YCNAN』っていうハンドルネームと、凄腕のハッカーってことだけ。女性だって噂だけど、IRC上じゃあ簡単に情報を変えられるから、それも本当かは分からないんだ」

「女性…………」

 ドラゴンチックは顎に手を当て俯き、そのまま押し黙った。大熊猫と火蛇はUNIX画面に集中していたため、彼女の違和感に気付けなかった。

「それじゃあ外を飛んでるドローンのカメラ映像を映すよ。えーっと……『得天黄龍大飯店』は……あれ?」

 大熊猫はタイピングをする手を止めた。

「どうした?」

「これ見てよ火蛇。蟲毒だ」

「ア? 蟲毒?」

 火蛇は画面に顔を近づけ、大熊猫が細い指で示す男の姿を確認する。ドラゴンチックも顔を上げて画面を見る。ヤクザスーツを着た男(おそらくこの男が蟲毒だろう)が誰かを案内しているようだ。その誰かはすいすいと店の中へ歩いて行ってしまい、この場に居る三人には姿を確認することは出来なかった。

「飯店の近くにあるKTVの店に入ってった。もう一人居たみたいだけど……誰だろう?」

「ちぇっ、いい御身分だよな。さんざ人をこき使っておいて自分はカラオケかよ。ガキは大人しくしてろとか言っておきながらよ。自分は本当に事件の調査をしてんのか怪しいもんだぜ」

「今の男の人は誰? 事件って?」ドラゴンチックが尋ねた。

「ああ、ついさっき画面に映ってた奴は蟲毒っていう、まあ俺の兄貴分だよ。ちっとも尊敬なんかしてねえけどな。この辺り一帯を支配してる組織がチャイニーズ・ヤクザクランの《老頭》つって、俺はそこの下っ端で蟲毒の野郎にこき使われてんだ」

「ヤクザね……」

 ドラゴンチックは複雑な顔を作った。どうやらヤクザに対してあまり良い印象を持っていないらしい。(良い印象を持っている方が珍しいのだが)そしてそのことが火蛇たちにバレないように遠慮しているようだ。火蛇は苦笑した。

「それで事件っていうのは、《老頭》のシマで起きた、まあ、殺しだよ。被害者には傷一つ無いのにニューロンが切られちまってたっていう……」

 火蛇がそこまで話したその時、ドラゴンチックの肩がぴくりと跳ねた。彼女は間に居る大熊猫に構わず、火蛇の目の前にぐいと近付いた。急に身体を押し付けられた大熊猫は慌てふためいた。

「おい急にどうし……」「今の話」


「詳しく聞かせて」

 その時、火蛇は確かに見た。ドラゴンチックの瞳に赤い炎の熱が走る様を。

オーバークラウド・オーバーヒート(その4)へ続く