「豆腐の『腐』からの連想」
umidas耕作所のutakoです。
この間、旅の途中で豆腐工場を見学してきました!はじめてみる機械に興味しんしん。豆腐の木綿と絹の工程のちがい、湯葉がたえずうまれる温度と、あちらこちらで知らないことばかり。「フムフム...フムフムフム」とうなずきかけて、「ん⁉︎」と、またひとつ、ふしぎな気持ちが私の中で芽生えてきました。
だって、目の前の工程に私のイメージしている豆を腐らせるプロセスはないのですから!「なぜ?豆腐って呼ばれてるんだろう。」次の瞬間、工場長にきいていました。
「実は、、、」
ごくり。なんでしょう?なんでしょう?少し前のめりでこたえを待つ私に返ってきたのは意外なこたえ。笑ってしまいました。だってあまりに素直な返し口調だったものですから。
「実は、僕もわからないんです。」
そして、話は続きました。
「わからないんだけどね。僕がもし名づけるなら『豆富』ってつけますね。」とうふづくり21年の工場長はいいました。とても想いがこもったこたえです。
おそらく色々語源の諸説はあるかと思いますが、ほんとのところの由来を知ることはこのはにかみながらのご返答に一気にどうでもよくなってしまいました。
そして、私は工場長とのことばのやりとりに、その後の芽生えた自分の中の連想に、なにか新たな発想を得れた気がしています。
『腐』という文字に私はある種の固定概念があったようです。それは、腐る、朽ちる、腐敗、、、とある状態のひとつの限定されたイメージは特定の感情にも結びついてました。でも、ひょっとしたら単なる時間の重ね方をこのことば自体は表現しているのかもしれないと思えてきました。手間暇をかけた丁寧ないくつもの工程、職人の技。ゆっくりと時間をかけた道筋。
そして、自然界では『腐』のプロセスも、重要な創造のプロセスであることを思い出せました。これもまたじっくり時間を要します。そして、循環の中で『富』の役割を担うことば。
『腐』と『富』ということばが結びついてフフ。気さくでキュートな工場長との会話にフフフ。「豆腐の『腐』からの連想」その後の波紋にウフフ。
とうふを食べると、しばらくウフフになりそうです♪
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