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【コップのふちからヨガアケル。】

コップのきわきわの際の縁からよじ登るようにひょっこり顔を出すのは、ン?土偶⁉︎

やっほー!

地平線から夜明けを知らせるお日さまのような土偶。

妄想の物語がまたひとつうまれるようななんともユーモラスなこの1枚の写真はumidas耕作所の米澤 友美さん(ほんわかハンペルマン作家)が撮影されたもの。

すっかり気に入ってリクエストして今回のuzu×uzuコラムの写真としてつかわせていただくことに〜♪よねざわさん、ありがとう♡

今日は、この写真をみて思い浮かべてしまった人、umidas耕作所の発起人(理事長)の衣笠 収さん(きっかけ探求家)との出会いを回想しながらその印象を「umidas-episode1 」として綴ってみようと思います。

かなり妄想はいってます(笑)が、よかったらお付き合いください。

衣笠さん、土偶にたとえちゃいますよー。笑ってヨロシクであります。

umidas- episode1
きっかけ探求家:衣笠 収

……

出会う度に謎の煙がふくらむ。時が経つほど、だんだん不思議がふえていく。10年前くらいに参加したとある都市×デザインのフォーラムであるパネリストが「まちには〝はらっぱ″が必要だ。」という一言。この人絶対気があう‼︎と会場で聴いてた私からその勢いでお声かけしたのが出会いのはじまり。まさか、月日がながれて、umidas耕作所を一緒に耕すことになるとは!なんとも不思議である。

そう。衣笠さんは私にとって不思議な存在。例えるなら、はじめは頭に大きな壺をのせている人間の様。壺の中にはなにが入っているのか?なにかを運んでいるのか?と最初はその人となりに疑問をもって次になにがでてくるかその煙を追いかけて驚いたりしてみたけれど、どんどん煙は増えてきて充満したのでいつしか謎のまま放っておくことにした。

煙の中に漂う浮上感を持ちながら地に足つけて歩いている不思議さをあわせもつ人。もしかしたら、わずかに地上から浮いてるのかもしれない。謎めいた存在である。

ただ、たとえ話が突拍子もないことだとしても拍子がぬけることはなく、わからないなりに腑に落ちる感覚でなぜだか最後には安らぎすら感じてしまう。それはきっとひらめく妄想もまたいつか面白い現実となる創造的な可能性の世界の中で生きているような人だからだ。

umidas耕作所でやりとりが増えてからは、土偶のような存在で、もはや人ではないのかもしれない(笑)。からだ全体が土器のようで、中身の空洞に妄想がつまって動いてるみたいにみえてきて…!ほんとのところ一体なにで動いているんだろう? ねぇ。と時々ぼんやりみつめたりする。

煙のようなとらえどころのない不思議さとあいまいさで、煙のようなやわらかさで出会う人と人、人と場を包んで繋げてなにかがどこかからうまれてる、その周辺の日常と非日常がするりと繋がっていく架け橋のような人。

この春から新しいステージに降りたつ衣笠さん。皆さん、ぜひ、土偶のような目で目を凝らして、きっかけ探求家の新たな探求にさりげなくご注目あれ。

よねざわさんの1枚の写真と門出を迎えた衣笠さんを思い浮かべて今朝、うまれた詩がこちらです↓↓↓

………

コップのふちからヨガアケル。】

なみなみと満ちる水面に
みえる光の糸

あと一滴、あと一滴と
降り注ぐしずくに

あふれ出しそうにゆれる
きわきわの一筋の線

きわきわのふちから
息をふきかけるように
水面をゆらす風

コップの水平線から
ひょっこり顔を出す
夜明けのしらせ

あさがきた!あさがきた!
あたらしいあさがきた!

なにかが始まる予感
なにかで満ち溢れる予感

きわきわの際からうまれた
全くべつものの、でも、
どこか懐かしい

"おはようさん"
のこえととも

あふれだすひかりの水

"おはようさん"
"おはようさん"と

コップのふちからヨガアケル
コップのふちからヨガアケル

.......


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