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働きながら漫画家になってみた〜世界に羽ばたく鳥の物語:四コマ漫画『見つけて鶴のさと』誕生秘話〜

はじめに

こんにちは!

毎日拭えない暑さですね。

アイスクリームを

ノンストップで

食べてしまいそうな自分を制して

アイスノンを首に巻き

「よしっ!」

と気合を入れている、Umiです。

今日は現在鋭意執筆中の

四コマ漫画「見つけて鶴のさと」

が生まれるまでのエピソードを書きます。

バクマン。に憧れて

漫画やアニメが好きな方は

聞いたことがあるでしょうか。

「バクマン。」とは、

10年ほど前に

週刊少年ジャンプで連載していた

原作:大場つぐみ先生、

作画:小畑健先生

による漫画のタイトルです。

お二人の作品でもう一つ、

世界的に有名な

「DEATH NOTE」

がありますが、

ご覧になった方は

どちらの作品も

自分の中の

あらゆる感情が激しく

うつろう瞬間を

体験したのではないでしょうか。

私自身も

その一人であります。

さらに、

「DEATH NOTE」からの

「バクマン。」という

作品の世界観がまるで違うものが

世に送り出された時は、

本当に同じ方が書かれたのかと

疑ってしまうほどの衝撃、

また意外性がありました。

「バクマン。」のストーリーを

簡単に話すと、

画力のある少年と

作家志望の少年が

タッグを組んで

少年漫画誌の連載漫画家、

さらにアニメ化を目指して

様々な荒波を超えていく内容です。

ネタバレが怖いので、

すごくプレーンに書きました。

是非、まだ読んだり、

見たりしてない方は

現物をご覧ください!

面白いです!

特に、

「題材として扱われているのは、

大場先生、小畑先生と

お二人を取り巻く世界そのものなのでは?」

と、

下手に勘ぐりながら

物語の展開を追っていくのは

より一層、

楽しいものがありました。

ストーリーは虚構でも

現実のドラマを背景に

漫画に投影されているのではないか

というような妄想は

現実と虚構のブレンドを

味わっているような気分です。

きっと、

飲み干すのは一瞬ですよ。

そして、

作品を見るほどに

心がダンシング・ベイビーのように

小躍りを繰り返し、

最後まで見通すや否や、

自分の中にあった一種の種が

かぶっている土から

うねりをあげて

発芽しました。

「やらなくちゃ!」

私の脳裏には、

いつぞやの

友達と交わした

「二人でいつか

漫画が描けたらいいね!」

の「いつか」が

「今だ!」と思った瞬間でした。

私たちの

「バックマン。」のはじまりです。笑

Junとの出会い

遡ること、

今から十数年前。

学生の頃、

演劇部で一緒に

活動していたJunとは

とても気の合う

仲の良い友達でした。

ある日、

一緒に帰ろうと

先を歩いている彼女に

声をかけようとした時、

彼女が肩から掛けている

妙に重そうな

ショルダーバッグに

目が留まりました。

後ろから

「Jun。

重そうだね。

その鞄の中、

何が入っているの?」

と声をかけると、

私の生きる糧と、

夢と希望が詰まっている

とそっと鞄に手をあて

静かに答えてくれました。

その時彼女の鞄には

スケッチブックや筆記用具

漫画の原稿などが

入っていたようです。

同じように

物語を創作したいという

漠然とした夢を抱いていた私は

彼女のその言葉で

「二人でいつか

漫画が描けたらいいね。」

と自然に言葉がこぼれたことを

今でも覚えています。

ハバネロな世界に生きて

ところが、

就活シーズンになると

Junも私も

夢だけでは食べていけないことを

痛感します。

二人とも奨学生。

安定した収入を確保していかないと

返済していくことができません。

夢より現実

就職活動をはじめると

たちまちに

夢の話はしなくなりました。

夢を具現化できるほどの

知恵もない、

技術もない、

お金もない、

権力もない、

世の中を変えるほどのビジョンもない、

何もない。

ただ、

種だけを宿して

私たちはそこから約10年間

お互いの日々に邁進しました。

機が熟す

30を過ぎた頃。

自分の今後の人生も視野に

転職をしました。

とても条件よく転職ができたものの

待っていたのは

燃え尽き症候群」。

あの頃は

圧力から急に解放され

灰みたいになっていたと思います。

ダイビング中に急浮上してはいけないのと

同じようなものでしょうか。

圧力というのは

自分が知らないところで

体の中に溶け込むようです。

精神的な圧迫感も

自分を俯瞰せず、

心を置き去りにすればするほど

強くなるようです。

その状態から

我を振り返り、

自分の信念のもと

純真な一路を歩いていれば

きっと灰色の空を見ることもなく

美味しい空気を

晴れた心で

吸い込んでいたことでしょう。

しかし

看過ごせない

自分の過ちに

気づいた時、

その一点の曇りは

突如

空全体に広がって

辺りを暗闇に変える。

その時

夏目漱石の「こころ」を

思い出しました。

かつては意味不明だった

「先生」の自死の理由が

とても身近に感じるような

心持ちになりました。

自分が軽蔑している

忌み嫌っている人がいたとして、

何かの縁に触れたことで、

振り返れば自分もそれなんだと

気づいた時、

言い表し難い、

自己蔑視からの喪失感に

苛まれることを知りました。

そこからしばらくは

灰色で彩られた

虚無の世界の住人です。

灰色の海には音がなく

押し寄せてくるのは

強迫の波でした。

頭では

誰かを悲しませることだと

わかっていても、

夜になると

ぐるぐる、ぐるぐる

ぐるぐると、

不合理なことが

頭の中を

滑走していく。

今までの

生活、

仕事、

人間関係、

全部がどうでもよくなって

答えを出す

一歩手前まで

思い詰めました。

しかし

世界は灰色でも

唯一正常だったのが、

なぜか耳と舌。

耳が正常だと気づいたのは

私に先じて

同じように

灰色の景色を見ていた

10年来の友、

Mちゃんのおかげです。

Mちゃんとは

フランクに

平坦な気持ちで

自分を偽らず

灰色の話をしました。

それに対してMちゃんは

経験したことを踏まえて

色々な考えや思いを

吐露してくれました。

その内容を

咀嚼していうなら

「人に

期待値を持つと

実際の反応によって

自分よがりに

相手に対しての、

裏切り感や

見限り感が

生まれる。

それが

自分の情緒を乱す。

自分を含めて、

人に期待せず、

目の前にあらわれた事実を

対処していく方が

疲れない。

そして、

自分ができることを

一つずつやっていくことで

風を受けても

そこに立っていられる

自分になる」

というようなことを

言っていたと思います。

こうして

耳から入った情報が

思考につながり

正常に機能している感覚器が

まだあったと知れた時は

とても嬉しかったです。

これが

「生きてる」って実感

なのでしょうか。

私は風を受けても

そこに立っていられる人になりたい。

そのために

目の前のことを

着々と取り組もうと思えるように

なりました。

そして、

もう一つの舌はというと、

正直

一番頼りない

諦めている器官の代表でありました。

訳あって、

左舌の真半分が

麻痺した状態。

こんな状態が7年続くと、

この一生ではもう

全身全霊で

「美味しい」と

言う日はこないのだろうと

思っていました。

しかし、

美食家の友人Sちゃんのおかげで

実は

舌の感覚が

研ぎ澄まされていたことを知るのです。

ある日

「京風イタリアンを食べに行こう」と

連れて行ってくれた先で

向かい風が

顔を直撃するような

「食」との出会いがありました。

瞬間的に

舌に触れた食材群が

私を異次元に誘う。

日本庭園に来たのか、

美術館に来たのか、

アミューズメントパークに来たのか、

クラシカルな

伝統の影を落とす風貌の館に来たのか、

縁側の縁に座っているのか、、、、

そんな

異世界のパラレルワールドを

舌に乗せ、

五感の目が覚めるように

私の世界は色づきはじめました。

心で涙を流しながら

口をまごまごと動かし、

渾身の

「美味しい」

を、

その時はじめて体験。

この時、

失ったからこそ

鋭敏に

研ぎ澄まされる感覚もあることを知り、

これまた

「生きている」という実感を得たのです。

今では食べること

味わうことが

大事な時間です。

そんな食の楽しみ方を覚えた頃

色づいた世界が

おかしいことに気づきます。

「解像度が上がっている。」

テレビで言うところの

2Kの解像度が8Kになったような感覚です。

世界がこんなに

眩しいものとは

思いませんでした。

眩しいので、

自分の身の周りくらいは

過ごしやすい色にしようと思い

部屋の装飾を完全統一。

そしたら

見渡す限り白かグレー。

結局

私は灰色の世界が

別に嫌いではなかったようです。

そんな滑稽な現象を眼前に

私は心の底から

笑えるようになりました。

愛せるようになりました。

そんなこんなで、

色を取り戻したら

今度は

働くモチベーションが必要だと思い

大きな買い物を試みます。

さてなんでしょう。

・・・・・・・

それは

「マンション」です。

東京都23区内に○○千万の

新築マンション(分譲)を購入。

少し前なら

こんな突飛なこと

思いつきませんでしたが

大事なものが何かわかった途端、

大胆に行動できる

世界線にきてしまったようです。

そして

時間に追われていた日々から

一転して

私のリズムは

好転します。

自分軸で

やりたいことを書き出したら

創作活動に辿りつき、

創作のヒントのために

映画鑑賞、配信映像鑑賞に

浸りまくりました。

そこで出会ったのが

先に話した

「バクマン。」

です。

私はJunに連絡しました。

「不格好でもいいから

はじめよう!」

そして

昨年2021年の5月。

物語の制作プロジェクト始動!

働きながらは大変だ

制作を開始してから

気づいたことは

働いている二人が

呼吸を合わせて

一つのものを作るには

リズムが大事と言うことでした。

しばらく

お互いの自由時間で

プロット、

ネーム、

原稿を仕上げていたのですが、

なかなか作品が前に進まず

「週一で一緒にやろう」と

毎週土曜の午前中を

漫画の時間と決めて

Google meetで繋ぎながら

お互い黙々と

書き(描き)続けました。

働きながらでも

リズムを掴むことができれば、

1年経つ頃には

週一で

2話ずつ

リリースができるくらいまでに

物語が進み

今年2022年6月25日から

リリース開始!

正直

ここまでやれるとは思ってませんでした。

でも、

やってみないと

なんでもわからないものですね。

二人で漫画描くとこうなる

私が原作を担当し

作画をJunが描いているのですが

如何せん、

私に画力がない。

そのため

作品の雰囲気を伝える時は

とても苦悩しました。

頭の中のイメージを

絵(ネーム)にして

言葉で

「1コマ目はこうして、あーして」

と言い続け、

Junはその意図を汲み

描き起こしてくれます。

本当にJunには

頭が上がりません。

だって

この絵が

ネーム1
1話目のネーム


この絵になるんですよ↓↓↓

原稿1
1話目の原稿

神業です。

これからの物語

「見つけて鶴のさと」は

現在、16話までを

noteのマガジンで展開中です。

四コマなのに続きもの、、

と言うコンセプトなので、

是非、

1話から読んでみていただけると嬉しいです。

(無理なく執筆し続けたら

こんな作風になりました。笑)

毎週土曜日の8時半くらいに

最新作をアップしてますので、

よかったら、

マガジンフォロー

よろしくお願いいたします。

さいごに

この言葉で創作家になった

創作意欲が生まれてからと言うもの

インスピレーションを得るための

インプットで

映画をよく見るようになりました。

ある日

「天使にラブソング2」を

見返した日のこと。

ウーピー・ゴールドバーグ扮する、

ひとりのシスター(デロリス)が

詩人リルケの言葉を引用し

私を創作家にしました。

「リルケはね、こういったの。  

もし朝、あなたが目が覚めて、

あなたが物語を書くことしか

考えられないなら、

あなたは、すでに作家だってね。」

そこから私は

誰がなんと言おうと

創作家です。

連続創作家

創作活動をはじめてからと言うもの

noteの執筆活動に

意欲的に取り組むように

なりました。

最初に夢を抱いたあの頃は

こんなに便利な

プラットフォームは

一つもありません。

note以外にも

様々な発信媒体があることを

踏まえると

今では誰でも

夢に挑戦する舞台

そして機会が

増えたのではないでしょうか。

私は物語を見たり読んだり書いたりと

「物語」が大好きなので

これからも

創作できるものは

無尽蔵に生成していきたいと

思っています。

夢は「連続起業家」ならぬ

「連続創作家」!!!

さいごのさいごに

noteのスタッフ様、

自由に創作していい場所を設けてくださり

本当にありがとうございます。

これからもこの時機を無駄にせず

たくさん利用して

指と作文の筋肉を

身につけて参ります!

そして、

ここまで読んでくださった

「見つけて鶴のさと」ファン

と思われる皆様(笑)

心からの

最大の敬愛を込めて

「ありがとうございます。」

世界に羽ばたく漫画にするまで

描き続けます。

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。

2022年8月16日 Umi


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