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深夜に出されたオムレツを、文句をいいつつ食べるのも悪くない。

あああああ、もうムリだ…。
せっかく「8日間、連続投稿おめでとうございます!」っていうメッセージが出るほど、noteを書き続けられていたのに。あまりのこころのダメージに、「365日まいにちnoteを書いてみよう」とおもっていた目標があっけなくポキっと折れてしまった。
さっさときもちを切り替えて、ちょっとだけnoteを書こう。
そう思いもしたのだけど、どうにもこうにもパソコンに向かうきもちになれなかった。

うちの親は、過保護・過干渉だ。

おばあちゃんの家でいくつかのお菓子を出されても、「あなたはこれが好きでしょ」と取り分けてくれ、そしてわたしは「これがほしい」と言えなかった。またそれは、言ってはいけないような気もしていた。

そして、長女であるわたしは、いつのまにか「ここはこういう行動をとるべきだろうか」「お茶を出すべきところかな」など、空気を読むのが大の得意になってしまって、そして、家でくらすことが苦痛で苦痛でたまらなくなった。

中学生だったか、高校生だっただろうか。V6のいのっちが好きで、いのっちが出るドラマが21時からあるから、それまでは勉強をがんばろう、と部屋に閉じこもった。いのっちのドラマを見るためにがんばったのだ。
そして、楽しみにしていた21時がやってきた。「あああああー、いのっちが見れる!」とウキウキしながら階段を降りると、そこにはテレビの前に寝そべっている母がいた。
「え、テレビ見てる・・・」
テレビを楽しんでいる母に、見たいドラマがあるから見せて! と言えずに急いで2階に駆け上がった。2階にもうひとつあるテレビでは、弟が別の番組を楽しんでいた。
「こっちもテレビ見てる・・・・・!!!」

ショックでショックでたまらなかった。
あれほど楽しみにしていたTV番組が見られない。それを楽しみに、それをごほうびとして、勉強をがんばったのに、見られない・・・。

あまりのショックにわたしは、泣いた。

高校を卒業してからは、ほぼずっと一人暮らしをしていた。
実家に帰るのは、1年のうち数日程度で、あまり居心地のよくない実家では多くの時間を過ごさなかった。

いろんな流れがあって、おととしから実家で暮らし始めた。
もう20年の月日がたち、いろんな経験をしてはきたけれど、実家でのわたしのふるまいはそれほど大きくは変わらなかった。
「〜するべき」みたいなきもちは薄れてきてはいるけれど、暮らしのなかでがまんすることも多かった。

家族とはいえ、離れて暮らしていた時間のほうがずっと長い。仕事のしかたや生活のリズム、たいせつにしている価値観もちがうなかで、すりあわせるというよりは、がまんしたり工夫したりすることのほうが多かった。
もちろん、家族側もそれはおなじかもしれない。

だけど、それがつもりつもって、爆発した。

ここにいることが、いやでいやでたまらなかった。
いい年こいて、わがままを言っているようにも感じた。
それでも、親に本音を言う気になんてなれなかったし、本音をはなしてこれ以上傷つきたくもなかった。そうして、こころを閉ざしているうちに、どんどん、本音がこころのなかにたまってきてしまって、わたしだけががまんしている、と被害者みたいに感じてしまった。

胸が、からだが、張り裂けそうで、どうしようもなかったから、図書館で借りていて読み始めていた本を読みすすめた。

親が次々と変わるおんなのこのはなしだ。
「父親ってこういうものなんじゃないか」と、なんとなく想像して入学式の日のあさ、カツ丼をつくるお父さん、というか、森宮さん。父親像を想像してカツ丼を食べさせるのに、朝から油ものはきつい、とじぶんは軽い朝食を準備する。なんとも身勝手だ。
受験勉強でたいへんだから、と、夜食にオムライスをつくり、そのオムライスに小さい字で「今日はよく寝て、本番に備えよう。合格できると信じてリラックスしながらがんばって!」と長々とメッセージを書く森宮さん。

一生懸命、「親とはこういうものなんじゃないか」と、想像できうる的外れな愛情を全力で与え続ける森宮さん。

愛されてるな。

当の本人は、ありがためいわくだ。
わかる。絶対的にめいわくだ。ありがたいとはおもえない。
それはいまのわたしがほしいものじゃないんだけど。
そう思いつつも、ありがたく受け取る。

血のつながった親子じゃないからなのか、遠慮しつつ、気を遣いつつ、暮らしているようすは、圧倒的な愛で満たされているのがわかって、涙があふれてきた。

ありがためいわく。
それはいまのわたしがほしいものじゃないんだけど。

それは、血がつながった家族と暮らすいまのわたしでも感じることだった。与えるほうは必死なのだ。精一杯のいろんなかたちで与えてくれるのだけど、それが重くて、そして変にこころがからまって、上手に受け取れなくなっていた。

張り裂けそうでどうしようもなかったからだが、ページをめくるうちに緩んでくるのがわかった。

ほんとうは、受け入れてほしかった。
いろんなことをはなして、良かったねって聞いてほしかった。
それおもしろそうだねって言ってほしかった。
ほんとうは、もっともっと話したかったんだ。

どんな親子だって、こじれるときはこじれてしまう。
思い描く、理想の家族である必要はないし、いやなことはいやだと言ってもいい。がまんして、わかりあわなくたっていいんだ。

いろんな愛のかたちがあるんだもんな。

深夜に出されたオムレツを、文句を言いながら食べるのも悪くないな、と思って本を閉じた。


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