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ゴスペラーズにみる個性と調和。

「それ、どうにかならないの?」
とか言われたりしないのだろうか。

アカペラなどでハモるとき、あまりにもビブラートがかかった特色のある声だと、5人の声が重なったときにバランスがわるくなったりしないのだろうか。
あまりの特徴的な声に、ふとおもった。

いとこに誘われてゴスペラーズのコンサートに行ってきた。
じぶんでチケットをとって、ゴスペラーズのコンサートにいくことはないのだけれど、山口県内で開催されるコンサートには誘ってもらうと参加することがある。

コンサートに行くようになって、すこしずつメンバーの顔と名前もわかるようになってきた。ゴスペラーズにくわしくなくて、ゴスペラーズといえば『ひとり』だし、それをメインでうたう村上さんやウィスキーのCMに使われていた曲でメインでうたっていたのは黒沢さん。

よく知らなかったときは、このおふたりがメインなのかなとおもってた。
・・・ら、どうやらちがうらしい。
5人みんながメインを歌う。
1曲のなかでもメインで歌うひとはつぎつぎと変わっていくのだ。

ゴスペラーズのメンバーは『ひとり』をメインで歌うサングラスの村上さん、『ミモザ』や『ウィスキー』でメインで歌う黒沢さん、低音ボイスがさいこうにかっこいい北山さん、よくのびるさわやかな声の酒井さん、そして、昭和を彷彿とさせるマイクパフォーマンスの安岡さんの5人だ。

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ゴスペラーズといえば、アカペラ。
当然、生で聴くアカペラはもう鳥肌がたつほどさいこうだし、音のなかにとろけてしまいそうになる。これは他のアーティストのライブではなかなかないかもしれない。

そして、もうひとつ。
ゴスペラーズといえば、踊る。
そう、ゴスペラーズは、踊る。踊るのだ。
それも、フォーメーションがちゃんと組まれていて、5人が入れ替わり立ち替わり踊る。歌いながら。ハモりながら、踊るのだ。
うたっておどってハモれる40代なんてそうそういないんじゃないか。

ダンスのクオリティはさておき、いや、とてもいいです。ファンに殺されそうだからこれ以上はやめておくけど、とても、愛おしくなるダンス。
投げキッスも、ウィンクもしてくれちゃう。
いとこが『会いに行けるアイドル』的な感じで、追っかけまわしているのもなんだか納得がいく。

そんな愛すべきゴスペラーズ。
そのハモリにきもちよくこころとからだを委ねていると、ものすごおおおくビブラートが効いた声が、調和されたハモリのなかから異色を放って聞こえてきた。

「おまえ、その歌い方どうにかならないの?」
なんて言われたりしないのだろうか。

ハモリといえば、調和。心地いいハーモニーを作り出すためには、個性を全面に出してしまったらバランスが崩れてしまうんじゃないだろうかとおもったのだ。それで、25年間続いているこの5人のなかで、そんなふうに歌い方について言われたりとかしないのだろうかとおもったのだ。

いや、ちがう。すぐに思った。
5人が色とりどりだからこそ、この調和の世界がつくられるのだ。

あまりにも特色のある声に、一瞬浮かんできた疑問は、すぐに目の前で繰り広げられるハーモニーによって否定された。
「調和のために個性を出してはダメ」なのではなく、「個性があるからこそそれぞれの特徴を活かし合うことで調和がとれる」のだ。

それだけでは成り立たない低音ボイスも、ベースやボイスパーカッションでリズムや安定感を与えるし、ビブラートの効いた声もその声だからこそ生きてくる曲やメロディがある。それぞれに特徴があるからこそ、それを埋め合うようにして、調和したハーモニーが織りなされる。

日本人は、空気をよむのが得意なひとがおおくて、和を重んじるがゆえに自己主張や個性はあまり出さないほうがいいように教育されてきた。
でも、みんなができることや得意なことがちがうからこそ、組織として成り立つ。できることがあれば、苦手なことだってあって、できることや得意なことで補い合っていけば調和がとれていくのだ。

そんなふうに、調和がとれていくためには、得意なことをアピールしたらいい。じぶんを消して、隠してしまうんじゃなく。
なにがすきで、なにが得意か。
もっとじぶんを表現すれば、調和の世界に一歩近づけるのではないだろうか。


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