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恐怖と背中合わせの

誰かをひたむきに好きになるのは、すごく恐ろしいという話。誰かを好きになることはその瞬間からいつか来るだろう別れに向かって進むことだから。

別れがなくても、大好きな人に辛いことが起これば自分のことのように悲しいし、胸を引き裂かれるような思いをすることもある。好きにならなければそんな思いはしなくていいのに。だから、極力誰かのファンになったり活動を追いかけたりすることは避けてきた。

それでも1度だけ大好きなスポーツ選手がいたことがある。大好きで大好きでいつも応援して、彼女の笑顔が見れると最高に嬉しかった。彼女が大舞台で取り戻しようのない失敗をし、それでもその後諦めずに全ての力を出し切った時など引きつけを起こすほど泣いた。彼女が引退してしまったあと喪失感が酷く、それからそのスポーツをあまり見られなくなってしまった。それほどに好きだった。

私は誰かのファンになる時、好きになりすぎる。そのせいで辛い思いをするくらいなら、あまり誰かを好きにならないようにしよう、そうじゃないと私は別れに耐えられないから。そう決めて浅く広く色々なものを楽しんできたのに、それなのに、そんな私がうっかりKinKiKidsを好きになってしまった。後戻りすることなどすっかり忘れて、もうどっぷりと頭のてっぺんまで沼の底だ。

これはダメだ、この好きはダメだ。こんなに好きになってしまったら、彼らを失った時どれだけ辛い思いをするか、そんなことはわかってるのに全く止められない。好きで好きで、失うことの恐ろしさと同時に大好きな誰かがいるキラキラした日常がそこにある。ここまで来てしまったら後戻りできるわけがないのだけど、まだ少しだけこの気持ちが冷めてくれないだろうかなどと思ってる自分もいる。悪あがきだ。そんな悪あがきをしながら気付いたらもう一ヶ月を超えた。もし一時の気の迷いならとっくに冷めてるころだ。要するにもう手遅れなのだ。

わかってる、私は今幸せだ。今までだって幸せだったけれど、こんな風に毎日何かを楽しみにして、彼らの活動に一喜一憂する楽しさったらない。こんなにも楽しいことがあったのだと、大好きだったスポーツ選手を応援していた日々を思い出す。

私は基本的に後ろ向きな人間なので、この先必ず彼らとの別れはくるだろうなと思っている。そしてその時私の胸はどれほど引き裂かれるだろう。彼らを好きだと思う度に、そのいつか来る別れを思い戦々恐々とする。けれど同時にこれほど別れを恐ろしいと思うほど、大好きな彼らに出会えたことを幸せだと思う。もし彼らを好きになるきっかけになった夜に戻れるとしても、私はきっと同じことを繰り返すだろう。例えどんなに辛くても出会えた幸せを噛み締めて生きていきたいから。

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