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アンチパシーについて

アンチについて、文章を書かなくてはいけない、
文章講座のテーマが「アンチについて」なのだけど
私には「アンチ」というものが存在しないからどうにも書けない!
というつぶやきを見つけた。

私にはアンチというものがないから書けない・・・

本当にアンチがないのだろうか・・・
アンチなんてない!って言ってるけど
本当は自分の気持ちに気が付いていないだけなんじゃない?

という疑いの気持ちと同時に
「アンチ」というものがそれなりにある自分が
心が狭い人に感じられ悲しくなってしまった。

とはいえ、人って
生まれた時は快不快のどちらかしかない
赤ちゃんは快不快で生きているわけで、
わたしたちのすごくシンプルなところ、
生きる力ってそこから来ているのだと思う。

ただ、成長しているうちに、快不快の間の境界線はぼんやりしてくる
不快だけど。。。まいっか
心地良いけど。。。なんかちがう
極端に心地よい(好き)、極端に心地悪い(嫌い)なもの以外は
「どちらでも良い」となって、どんどん、「どちらでも良い」の領域が
ひろがっている気がする。

そんなことを考えていたら
私がアンチパシーについて書きたくなってしまった。
ので、今、これを書いている。

面白いなって思うのが文章を読む時だ。

自分が良く読むブログは
シンパシー、共感的、好きだから読む場合

アンチパシー、反感、嫌いだから、読みたくなる場合
好きだから読みたいだけじゃない
嫌い・・・だから読みたい。
嫌い・・・だけど、読みたい。
アンチパシーだから読みたいというケースがある。

最近ちょうどそんな心の中に気が付いたのだ。

何年も前から読み続けている某占い師さんのブログ
ものすごく、基本的というか、単純明快で
獅子座はこうです。
土星はこうです。
芸能人の〇〇さんが活動休止になった理由は
こうです。みたいな、一般的でわかりやすいもの。

最初は、基本に忠実で勉強になるな~
と思いながら読んでいたのですが、
あるときから
「ん?なんか違うくない?」という反感の気持ちが
むくむくと芽生えはじめたのでした。

「え?それしか?もっと深い読みはできないの?」とか、
心の中で批判している自分がいたのでした。

でも、どうして、それでも、ずっと読み続けるのかというと、
某占い師さんの文章を通して
「自分だったらこう思う」とか
「自分だったらこういう場合こう読む」という
自分なりの考えが生れてくるから。


だから、決してその占い師さんのことが嫌いなわけじゃない。
ほぼ、毎日更新しているし、何年も前からスタイルが全く変わらないし
むしろ、いつかお会いしてみたい気もする。

不思議なことに
アンチパシーだけどシンパシーなのである。

また、その方とは別
まったく違うタイプの方で
名の知れた有名な占星術家の方のブログ
その方が有名になる少し前から読んでいた。

その方はけっこう厳しいものの見方をして、ぱしっとはっきりと
本音で文章を書く方で、最初の頃は読んでいて爽快だった。
さばさばしてて、ずばっと言い切る気持ちよさと
カリスマ性を感じる、だから、この人の言うことは正しい!
って思ってしまう。ファンも多い。
でも自分で星をよめるようになり、
私なりの読み方ができるようになってきたら
その方のブログを読むのが苦しくなってきてしまった。

おそらく、その方社会に対しての怒りや個人的な気分のようなものを
読んでいて受けてしまうからだ。読んでいて「ごめんなさい・・」って
なぜか謝りたくなる時もある。

とても参考になることもあるので、今でもたまに読むのだけど
最後まで読むと具合が悪くなってしまうこともしばしば。

この占星術家の方とは会いたいと思わない。
すごいと思うし、共感することもあるのだけれど
こわい。。。

で、ここまで書いて。。。
どこに落としどころをもっていこうかな
ってところだけど、

わたしにとって「アンチパシー」「反感」てとっても大事な心の動きなんだなって思った。
アンチがあるから「自分の考え」が生れる。

人と人の出会いと一緒で、ブログにせよ、映画も音楽や芸術作品も
この世の中にはものすごくたくさんのものがある。
その中で出会えるのは奇跡だと思う。

だから、読み続けているものや、たとえ「アンチ」だとしても気になる作品て、自分を知る大切なものなんだって思ったのでした。

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