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ありたい姿でいられるように…

信州の実家ではお盆は8月だし、終戦記念日があったり、家族の命日があったり、両親二人の誕生日も八月で。この季節、「あちら側の世界」の扉が開くような、なんとなくいつもより近くに「あちら側の世界」を感じる。

占星術を勉強してその感覚が間違っていなかったことがわかった。私の出生図(生まれながらのホロスコープ)は、獅子座から乙女座にかけて12ハウス。太陽が12ハウスを通過する8月は意識がそこに向かうのも自然なことのような気がする。12ハウスは目に見えない世界。あちら側の世界との関係のエリアだ。

友人…と言うほど仲が良かったわけでもないし、知り合い…ではちょっと遠い気がする、仲間…といってもいいかもしれないけど、それほど活動を共にしたわけではない、でも、年に数回顔を合わせていた、どう説明していいのかわからないけど、仲間のひとり、が、今、危篤状態。彼の息子さんのフェイスブックの書き込みで知った。

自発呼吸ありの意識不明
いわゆる…眠ったままの状態なんだと思う。
あちらの世界とこちらの世界の間を漂っているような感じなのだろう。もしかしたら肉体に戻りたくても戻れなくなってしまったのかもしれない。肉体に戻ったとしたら、たいへんなリハビリ生活が待っている。家族の支えが必要だ。あちらの世界に行ってしまったら、もうこちらに戻ってくることはできない。

私の祖父も、脳卒中ではなかったけれど、亡くなる前の数か月、混濁した意識状態だった。入院中、付き添いベッドで深夜も付き添うことができたから、数回、付き添ったことがある。死期が近付いたある日、寝言なのか、よくわからないけれど、
「お迎えが来たからこの服を貸してくれないか」とお願いされたことがある。
私はその時白い服を着ていて、何かの気配を感じた気がした。あちらの世界からのお迎えというのは本当に白装束なんだなってその時思った。まぼゆい光の中、白い服を着た人たちが雲に乗り阿弥陀如来と一緒に、祖父をお迎えに来たように感じた。

こちらの世界にいるものとしては、なんとなく、元気に回復してね。とか、また、一緒に〇〇しよう!とか、こちら側の願いを口にするけど、果たしてそれが良いことなのかどうか、わからなくなってしまった。

「安らかで自身のありたい姿でいられるよう、お祈りいただけますと幸いです。」

彼は息子さんのことを「俺と違って本当にできた息子」とよく話してくれたけど、息子さんの言葉を読んで、本当にその通りだなって思った。

あちらを選ぶのもこちらにいるのも、彼の意思にかかっていて、安らかで、ありたい姿でいられるようにお祈りする、彼がしたいようにできるように祈ることが必要なことだと思った。

そして…あちらでもなく、ことらでもなく、中間地点もあるんだなと、ぼんやり感じたりもした…


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