ひかげのしま(1)

なぜこんな絶海の孤島に本棚が。

本棚と言うには大袈裟だが、岩の割れ目に明らかに人工物とわかる金属板や木材で本が濡れないように囲まれていた。この辺りは広大な日陰で虫も寄り付かぬ岸壁…いや「木壁(後述する)」なのでこんな棚でも数年は持つかもしれない。本の内訳はたわいの無い図鑑や通俗的な科学書、あとはどっかの船の航海記録などだった。濡れて乾いて紙が波打っている。人の匂いに飢えた俺でも、めくる気にもならない。
ただその中に1冊手書きのノートがあり、それだけが俺の興味を引き付けた。

『この場所を私より後に訪れた者のために』
とある。

『私がここにいる今は西暦2009年の7月、おそらくは16日である。日付が正確にわかる装置は持っていない。日本の横浜から太平洋赤道付近に航行。船名は葉挺丸。何らかのトラブルで座礁し、この島に流れ着いたのは私1人のようだ。ようだというのは、これも確認する術がないのである。』

…なんだ。俺と同じような立場じゃないか。本棚があり、人がいるなら助かるかもと膨らんだ期待から空気が抜けていくのを感じた。

『流れ着いたのはこの島のずっと南の方であったらしい。らしいというのはここが北半球なのか南半球なのかさえ正確には分からず(星図に不勉強であったことを悔やむ)方角が判然としないのだ。仮に南とする。そこから海岸伝いに西回りで4日歩いてきた。つまり岸壁を右手に歩いてきたのである。』

…なんだか細かいというか、理屈っぽい文章だ。

『右手はずっと岸壁に太い木の根っこが絡まった急坂だった。ところどころ少しだけ緑が見えたが食料にはなりそうもない。実際、動物どころか昆虫の姿も見えない。時折鳥が飛んでいくのみである。海にまで侵入している木の根の絡まった岩を踏みながら岸を回り込んでここまで来て、足が止まった。これを読む人は今、同じものを見ているであろう。』

ああ同じだ。俺もここで足が止まっちまった。一体これはどうなってるんだ?

『今見えているものを正直に書く。木の壁だ。本当は「幹」なのだろうが広大すぎて壁にしか見えない。視界の右半分が木の壁。左半分が海と空である。壁は全く木らしく、垂直に空に伸び、信じ難いことに上は雲を突き抜けている。そして(こちらの方がさらに信じ難いことだが)幹の外周は何百メートル、いや何キロになるかの想像もつかない。一体こんな「一本木」が存在可能なのだろうか?』

……。

『この木、これが仮に一本木だとするなら今まで見てきた根っこは全てこの巨大な一本木のものであろう。森ではなかったのだ。返す返すも信じ難いがこの島はまるで「狭い鉢植え」のように地面いっぱいに巨木を養っている。
しかし世界一高いと言われるセイタカユーカリでもせいぜい150メートルのはずだ。幹の外周だっていかなる巨木でも数十メートル。この一本木は高さ太さともにあまりに規格外である。』

…どうやらこれの筆者は植物学者かなんからしい。確かにこの木の巨大さはオドロキだよ。俺もそう思う。でもよ、もっとこう…あるだろう、他に書くことが。助けを呼ぶとか、何食って生き延びてるとか。

『私が最も疑問なのは、一体この一本木は重さ何万トンになるのかということである。』

……。

『そんな重さになって、如何にして自重を支えるのか。また地面がその重さに耐えうるのか。風や地震にはどうか。』
『同時に、如何にして雲に届かんとする高さにまで水を吸い上げるのか。蒸発作用だけでなくこの一本木独特の給水方法があるのか。もしそうならこれは植物の常識、いや限界を考え直さねばならぬだろう』

…何を言ってるんだコイツは。どこまで植物バカなのか。俺はお前の常識を疑いたい。俺の空腹も既に限界を超えているのだ。

『問題は栄養である。』

そう、それ。栄養。

『これだけの巨木を養いうるリンやカリウムがこの小さな孤島にあるとも認めがたい。』

……木の話か。

『時折行き交う鳥のフンしか栄養と呼べるものは無さそうだ。そこで私にひとつの…これは大胆な、あまりにも飛躍した想像ではあるが…仮説が浮かび上がってきた。あるいは孤独に耐えかねた妄想と言われるかも知れない。が、数日ここで冷静に考察し、これ以外に考えられないのだ。』

いいからさっさと言え。

『それはこの巨木が、「中空の円筒」であるという仮説である』

…?。

『周知の通り大木の幹の中心部は死んだ細胞壁の塊に過ぎない。』

俺には周知じゃねえよンな事。

『大木は外側へ外側へと成長する。その痕跡が年輪だ。この巨木は外に広がるにつれ年輪の中心部がどんどん崩れて中空になっているのではないだろうか。』

…なんでだよ。

『その根拠は、そう考えることでこの巨木が必要とする水の量がだいぶ減る上に、自重も軽くなるからである。また中空の構造物は衝撃に強くなる(竹を考えれば良い)。だとすれはこの常識外れの巨木が、風にも地震にも倒れず存在しうる可能性がまだしも現実的になりはしないだろうか』

…理屈はそうなるのか?…しかし、中が、空っぽとは…。

『この仮説を証明するには方法はひとつしかない。非常にシンプルな方法だが』

おい。

『私はその仮説と証明方法を思いついてからこの方、この巨木の皮を剥き、干し編んでロープを作ることに一日の大半を費やしている。と言って巨木の足元のここではその「一日の大半」が日陰な訳だが…しかし反対側だったら一日中日向で喉の乾きに耐えられなかったであろう。紐はなかなか乾かないが、それでも200メートルはできたようだ』

まさかこいつ。

『私はこれから、この巨木に登ってみようと思う』

あーあ。
信じらんねえ。
なんでそうなる。

というかこのオッサン(会ったことは無いがオッサンに決まってる)人間社会に帰ろうという気が全く無いんだな。木の皮を編んでロープだって?どうせならイカダでも作れよ。

『残念ながらこの巨木から取れるのは皮が精一杯である。枝ははるか高くに(見えないがおそらくは)あり、流木もない。この硬い生きた幹を削り取るなど到底及びもつかない。』

ああそうかい。

『片手にナイフ、もう片手にハサミを持ち(ピッケルでもあればと思うがそれこそ無いものねだりだろう)、ダブルアックスの要領で登ろうと思う。幹に柔らかい箇所があったらなるべくハーケン(魚の骨を干したものだが…)を残していく。これを読む者がもしいたら、私の成功のために祈って欲しい。では失礼する。2009年7月(もう8月かも知れぬ)某日。日本人。箕面 春展』

…なんだ。名前が読めねえよ。

ノートはここまでだった。このオッサン(シュンテンと呼ぶか。読めないような名前の奴が悪いんだ)、ホントにこの木に取り付いたのか?ほとんど垂直じゃないか。表面も硬いし、刃物を刺したってそう安定するとは思えない。いくらも登らないうちに落っこちて死んだんじゃないのか…。

ただ俺が気になったのは、このノートの残りが引きちぎられていることだった。

シュンテンはノートの残りを持って登り始めたんだ。何故か?決まってる。この巨木の「中」を見てそれを書き記すためだ。この引きちぎった跡がシュンテンの登攀決行を俺に確信させた。

…ったく、バカじゃなかろうか。

ただいいことも書いてあった。木の皮をこそいでロープが編めるってことだ。この辺の魚は人間を恐れない(人間なんか見たことないんだろう)から、ロープで網かタモが作れれば食いもんはだいぶ助かる。俺は早速、網作りに取り掛かった。

(ひかげのしま1 了。続く)


たくさんのサポートを戴いており、イラストももう一通り送ったような気がするので…どんなお礼がいいですかねえ?考え中(._.)