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フランク・ザッパ 『A Token of His Extreme』 DVDのライナーノート 後半

このテキストは、2013年の6月にリリースされたフランク・ザッパのDVD『A Token of His Extreme(彼の過激さの証)』の国内盤ライナーノートのための原稿です。元の原稿は実際のライナーよりも1000文字近く長く、これをカットしたものを使用しました。現在『A Token of His Extreme』の国内盤は絶版になっているようで、店頭在庫もほとんど無いようです。一応このタイミングを待って、カットする前のオリジナル原稿を投稿することにしました。これはそのパート2です。後半はアニメーターのブルース・ビックフォードについて触れていますが、このDVDが出た2年後になんと本人が来日することになり、それまでよくわからなかった事が多く明らかになりしました。
ちなみに上の写真はこのDVDのバンドのスタート時のパプリシティー・フォトで、真ん中に本作には登場しないジェフ・シモンズがいます。ジェフ・シモンズは74年7月3日の公演を最後にバンドからいなくなります。しかしながらジェフがいる頃からすでにライヴショーの番組制作のプランがあったようで、バンドが演奏しているシーンのフォトセッションが行われました。この時の写真は「ROXY & ELSEWHERE」のジャケット中面に使用されています。


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ビックフォード・ウィップス・イット・アウト、ザッパかディズ二ーか

そして本作においてマザーズのメンバーと同等もしくはそれ以上に重要な存在が、クレイ・アニメを制作したブルース・ビックフォードです。前述のザッパ来日時のインタビューでは出会って5年くらいになると発言していましたが、バイオグラフには、1972年公開のザッパの映画『200 Motels』を観て、73年にザッパに会い、74年の6月からザッパとの仕事をスタートさせたとあります。『200 Motels』の劇中のアニメは長年ザッパ周辺のグラフィックを手がけたカル・シェンケルによるもので、それを観てからの流れという点で、ビジュアル感覚的にもあらかじめザッパとは親和性が高いセンスの持ち主だったということが伺えます。ビックフォードは同時期にディズ二ーにも売り込んだらしいですが、「気持ちが悪い」という理由で断られています。ビックフォードは1947年2月11日シアトル生まれ。幼いころから絵が好きで、17歳のときに初めてクレイを使ったアニメーションを制作します。ベトナム戦争従軍を経て、60年代後半より自宅でクレイや線画による作品制作を開始。あらゆるものが誕生し、変容し、殺し合いながら消滅と出現を繰り返す映像のイメージは、自身の従軍体験や、兄弟が事故や自殺で命を落とすという幾分複雑な家族事情が反映されていると言えるかもしれません。
ザッパとの仕事は映画『ベイビー・スネイクス』制作の79年頃まで継続しました。ザッパがパトロン的存在としてブルースに作品制作の自由を与え、ザッパが自身の映像作品のためのパーツとして、イメージにリンクするアニメーションをピックアップするという形態が、2人の仕事の主な関係性だろうと思われます。シーンによってはザッパがアイデアを出し、指定のテーマで制作するケースもあるので、ゆるやかなコラボレーションでもあるとも言えますが、ザッパが自分のバンドメンバーに出すような細かいディレクションはおそらく無いでしょう。最終的に編集するのはザッパです。ザッパはビックフォードとの仕事について「いつ終わるのかわからない、途中でどうなるのかもわからない」とコメントしていますが、そんな行方不明のプロセスを楽しんでいるフシもあります。本作収録の「インカ・ローズ」はまさにその好例。学校の教室やギターを弾くザッパ等の具象的なモティーフが、高速度でメタモルフォーズしグニャグニャと抽象化する、陽気な悪夢の様に時間が継ぎ接ぎされた映像は、極めて現実的な歌詞を持つ歌が、非現実的なまでに高精度なアレンジと演奏で同時進行していくザッパの曲想を、実に的確に視覚化しているではありませんか。それにしても、もし前述の「1時間のTV番組」が76年初頭の時点でNHKで放送されていたら、わが国におけるブルース・ビックフォードの認知と評価は大きく変わったのでしょうか?。それは神と粘土のみぞ知る、であります。

「ア・トークン・オブ・ヒズ・エクストリーム」ヴァリエーションズ

その「インカ・ローズ」はザッパ中期の決定的代表曲ですが、アルバム『ワン・サイズ・フィッツ・オール』収録の同曲は、本作収録のテイクにオーバーダビングを施し、中間のギターソロを9月のヘルシンキ公演のものと差し替えて完成させています。アルバムのためのベーシック・トラックとしてはもう1曲「フロレンティン・ポーゲン 」も本作のバージョンが採用されています。KCETでの演奏は、ブートレグも含めて様々なコンテンツの元になっており、最も代表的なものは、ビデオとしては1982年にリリースされた『ダブ・ルーム・スペシャル』です。この作品は本作をベースにして、1981年のバンドのパフォーマンスや編集スタジオでの楽屋落ち的なやりとりが挿入され、本作の50%近くを共有しています。この作品が先にパッケージとして世に出たため、本作はそのための素材となってしまった感がなきにしもあらずです。また『ダブ・ルーム~』にはサントラ盤としてCDヴァージョンがあり、簡単に内容を整理すると①本作に未収録の「アプロキシメイト」「コズミック・デブリー」が『ダブ・ルーム~』収録。②「モンタナ」は『ダブ・ルーム~』ではカットされていたギター・ソロが本作には収録、③CDには両DVDには未収のオープニングとして演奏された「ア・トークン・オブ・マイ・エクストリーム」が収録。2枚のDVDと1枚のCDで、KCETでのレパートリーが網羅されるわけですね。フー。


ボーナス・フォー・ザ・ワールド

本作にはボーナス・コンテンツとして、ザッパ出演時の『マイク・ダグラス・ショー』が収録されています。番組の収録は76年10月26日、11月11日にオンエア。ザッパはこの番組内で本作について語っており、「人類史上最高の映像」という紹介で2分間ほど「インカ・ローズ」の演奏とアニメの一部が放送されています。コメントの通りなら本作はアメリカではこの時初めて放送されたことになります。前述のウルフマン・ジャックの番組の件が気になりますが、『マイク・ダグラス・ショー』はCBSネットワークの放送で、放送の規模からすれば「初めて全米の人が見た」レベルの話と考えてよいでしょう。番組内のバンドをバックに一人ポツンと立って「ブラック・ナプキンズ」を演奏するザッパの姿はなかなか貴重です。ここでのビッグバンド風アレンジは、この番組収録の2ヶ月後にホーンセクションを従えておこなわれるニューヨーク公演でのバージョンを予感させ、非常に興味深いです。この公演は後に『ザッパ・イン・ニューヨーク」としてアルバム化されますが、同作は、アフター・ディスクリート期のマネージメントの混乱を経て、マザーズというバンド名の使用をやめ、ザッパとバンドの関係性も大きく変化し、活動が次のモードに移行していく気配を強く感じさせました。ザッパ自身の中でも74年当時のようなバンド・スピリットの時代は終わりを告げていたのかもしれません。ザッパの全盛期がいつだってかまわないのだけれど。
 さて、解説はここまで。ザッパ本人や関係者の間でも評価が高い1974年8月27日のマザーズ。映像で見ることの出来るザッパのパフォーマンスとしてはこれがベスト。たっぷりまとめて73分間。後は見るべし!。ボブ・ラディックのマスタリングでサウンドも向上。聴くべし!。

2013年5月 梅村昇史(梅デ研 or UMDK)

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