重荷をおろしたい話

人は自分について、どこまで話せる事が「なんでも話せる」仲なのだろうか。

私は現在感じることや思うこと、近況についてならば、話すことができる。割と。たぶん。7割くらい。

7割はどうなのだろう。
いや、人には秘密にしたいことがあるもんだから、7割も話せたら充分じゃないだろうか。ミステリアスな人はモテるって言うし、その要素として3割は秘密にしておきたい。敢えて。

では、過去についてはどうか。
思い出話や自分の学生時代の話、社会人になってからの話なんかであれば、いくらでも話せる。しかし私は、こと「実家」「自分の育った家」について、あまりにも他人に話したくなさ過ぎて、30を過ぎた今でも、全くほとんどの人に話せたことがない。
信頼する親友にも、結婚を考えた元恋人たちにも、飲み屋で盛り上がってなんでか一緒に酒を酌み交わしたおっさんにも。

とにかくこの話題については私は貝なのだ。
海の底の貝。ガッチガチの岩牡蠣。身は小さそうだが。

そんな私がふと色々考えて、自分の人生がこんなにも息苦しいのは、誰にも自分の過去を話せなくて、自分を演じているのでは?私はこんな重荷を死ぬまで背負っていくのか?

しんどっ!!!!楽になりたい!!!

私は何者にもなれないし、私を形成してきた「私」を誰にも話せないなら、私は一生苦しくて本当の意味で孤独なままなんじゃないか。

私なら死ぬほど語りたくない過去を誰かに打ち明けられたら、拒絶するのか?受け止めたいよ。一緒に考えて支えたい。

と、考え、誰かを信じて全部さらけ出して楽になろうと考えた。
それでも口に出して身近な誰かに打ち明ける勇気がまだない臆病者なので、こうしてブログに書いている訳だが。

私のブログを読むことで、自分の生まれや育ちに同じように劣等感や苦しみを感じる人たちにも何か役に立って、1人じゃないんだよ、という一助になれればという思いもある。

ゆっくり時間をかけてにはなるが、書いていきたいと思います。のんびりお付き合いください。


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