台風の目のしたで
今、台風の目の中の下にいるらしい。
いや、正確には台風の目がはるか上空を通過中らしい。
数十年に一度の大雨が嘘みたいにやんで、風もピタッとやんでる。
もう日付が変わるのになんでか寝れなくて、部屋で天井をなんともなく眺めてる。仰向けの体制で文書書くのは初めてだからこのままやってみる。
今天井を眺めていて、思い浮かんだのは名古屋でひとり単身赴任ライフを送っている父のこと。
私はもう小さかったあの頃みたいに風の音にいちいちビビらないし、終わらない雨の音に泣き出すこともなくなった。
それでも、数十年に一度の大雨の中ではそれなりに不安になるし、今は台風の目のしたにいるらしくて、穏やかすぎる外の天気にそわそわしてる。
今日は予定してたことは全部キャンセルになって、家で久しぶりに母と妹とゆっくり過ごせた。
父はどうだろう。
子どもの頃、親は強くて、大人で、なんでも知ってて、なんでもできると思ってた。マリオのスター状態みたいに、無敵でなんでも解決してくれる存在だと思ってた。
子どもの頃の親の年齢に近づく過程で、親だって、大人だって、悩んだりさみしくなったり、社会の波に揉まれながら葛藤する人間だって知った。
特に父は多くを語らず気ままにのんびりとにかくマイペースに過ごすタイプで、私の習い事にも進路にも、口出ししたりすることは一回もなかった。そんで、今思い返してみると、感情をさらけ出すこともめったになかった。特に負の感情はこれまで数回だけ起こった夫婦喧嘩でしかみたことがない。
だけど2年前、一回だけ、父が心の内側を見せてくれたことがある。
それは父の単身赴任先の名古屋に遊びに行って、行きつけという串焼き屋さんに呑みにふたりで行った時。そのお店は地域に根ざした、人情あふれる場所だった。
そこで私の生活とか、名古屋の美味しいものとか、たわいもない会話をしてたんだけど。帰り際に、ここのお店はいいお店だねって言った私に、
初めて単身赴任した時、友だちもいないし、仕事から家に帰っても家族はいないし、寂しくて毎日ここに通ってたんだよね。でも毎日呑むほどお金はなかったから、いつもおかわり自由のキャベツとビールだけ頼んで何時間も居座ってた。
と、ポツリと話してくれた。
父は、東京で働いてた時は毎日お客さんとの付き合いでほぼ毎日呑んできて、帰りは終電ならいい方で、タクシーで帰ってくることも多くて結局いつも一時過ぎに寝てた。
朝は家族の誰よりも早く5時半に起きて、洗濯物を回して、母を起こして、7時には仕事に向かって。
そんな生活をしてた父が初めて単身赴任をして、夜7時には家に帰れるし、朝は会社が近いから8時に出れば間に合うと電話で話してくれた時、心底安心した。
東京の暮らしはあまりに過酷すぎて、遠くない未来に死んじゃうんじゃないかと子どもながらに怖かったから。
だけどそんな風に単身赴任ライフを楽しそうに話してくれる裏で父もきっと色々苦しんだりしてたんだということ、そしてそのことに今まで気付かず単身赴任ライフに簡単に憧れたり、軽々しく羨ましいって言ってみたりしていた自分をこの時すごく恥ずかしく思った。なにより、父をもっと大事にしたいと心から思った。
父は私たち家族の生活を支えるために働いていて、父が家にいないことが当たり前になってしまっている私たちの生活は、遠い地でひとり暮らす父によって支えられている。そのことを父はどう思ってるんだろう。
そもそも、父に私の父親でいることを幸せだと思ってもらえているんだろうか。支えてもらってばかりで、支えてあげられたことなんて一度もない。
こんな大雨の中、父はどう過ごしているんだろう。寂しくないかな。怖くないかな。
いや、寂しいし怖いだろうな。
今は、台風のなかだだっ広い3LDKの家でひとりすごす父の姿を想像することしかできないけど、父の生活の中に、心の中に私たち家族がちゃんといられるように、近いうちに会いに行こうと思う。
そんなことを決めた台風の夜。記録。
私の頭の中をそのまま書き出したからしっちゃかめっちゃかだけど、今日のこの宣言は大事にしたいから、ここに、記録。
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