長屋の花見

   ― 清明の頃 ―

角界と落語界は、歴史と身体の重みはとても比べ様がないけれど、興行形態が整ってからの在り様は似ている。師弟関係、一門の括り、階級による序列、伝統と興行の相克、等々で親近感を覚えるのか、相撲好きの噺家は多い。
一方、角界と大きく違う点といえば、落語界は階級が下がらないこと、そして協会から支給される給料に階級差がないこと(0円)、であろうか。稀に真打昇進問題への批判で、「真打は相撲でいえば横綱、それが大勢いるのはいかがなものか」、と仰る方がいる。ぜんぜん的外れ。まぁ、真打が幕内で二ッ目が十両とすれば、例える対象としては満更おかしくもない。特に、「十両に上がった時が相撲人生で一番嬉しい」のは共感できる。おそらく、白い締め込みで土俵に上がるのと黒い紋付を着て高座に上がるのは、感慨が近いのではなかろうか。
ただし、落語界の真打制度は相撲よりゴルフのプロ制度に近い気がする。協会が身分保障をする程度にしか機能しない。トーナメントプロになるかレッスンプロになるか、はたまた純粋に好きでいたいため他にたつきの道を探すかは、それぞれの資質に応じて、自分で考えるしかないのである。

    この国の行楽
私はコアな相撲ファンではなく、また詳しいというわけでもない。しかし学ぶべきところはあるに違いないと、歌舞伎や人形浄瑠璃を観に行くのと同じ意図を持って、同業者を誘って行ってみた。学ぶべきというより得るものは確かにあった。それも、自腹を切って行ったから見つかったように思う。
人はお金を払うと、元を取ろうとして熱心になる。そしてその熱意は金額に比例する。分不相応に見栄を張って枡席を買ってしまった自分は、きっとあっちこっちを見て回り、取組を凝視するに違いないと思っていた……ら、さにあらずであった。
うだうだとビールなんぞを呑み、駄弁り、思い出したように土俵に目を向ける、といった按配で、そういう自分に驚きつつ、見えてきたものがあった。それは我々の仕事にも直結していた。その空間に身を置くことがとても楽しかったのである。
寄席もきっとそうなのだろう。客席でメモを取りながら聞いて下さる御通家の方も確かにいらっしゃる。しかしほとんどのお客様は、お弁当を食べお茶を呑みながら、一緒に寄席の空気を味わっている。それこそ、俗にいうホール落語ではできにくい寄席の楽しみ方なのである。日本人の行楽は、場の気に浸りにいくものなのだ。光を観る、観光という表現は言い得て妙。だからといって太陽を見つめている奴はいない。
お疑いの方は思い出して頂きたい。海水浴に行って真剣に泳いでいるだろうか? 花見に行って桜を見つめ歌を詠んでいるだろうか? 海岸で寝転がり、樹の下で宴会をやっている人が大多数のはずだ。
毎年シーズンになると、騒ぐだけの花見を否定的に捉えた論評を散見するけれど、伝統的な正しいスタイルなのである。花を見上げることすらしなくたって、ポトマック川畔で「ワンダフル!ビューティフル!」と賛嘆しながら歩くアメリカの皆様(いるのかどうかは知らない)より、間違いなく桜を愛している。
もっとも、「世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」だとか、「桜の樹の下には死体が埋っている」なんてのをみると、眺めるを通り越して、桜の花にきれいなだけではない何か妖艶な危険な匂いを感じ取っている人もおいでのようだ。ただしそれは感性豊な芸術家の事情である。我々には、もうこれしかあるまい。
「酒なくて なんのおのれが 桜かな」

【 貧乏長屋の住人に大家さんから呼び出しがきた。てっきり店賃の催促だと思ってあれやこれや言い訳しようとすると、あにはからんや、花見の誘いだった。
酒を三升、肴は蒲鉾に卵焼きを用意してあると聞いた一同は、大喜びで同意する。実は、番茶を煮出した酒、白い大根の香々を月形に切った蒲鉾、卵焼きは黄色い沢庵と、みんなまがい物だった。それでも乗りかかった舟だと、自棄になって向島に繰り出すことになる。
現地に着いて酒宴が始まったものの、番茶の酒では身体が冷えるばかり。大家の命令で月番が酔っ払うフリをし、音がしては不自然と沢庵を丸呑みさせられる始末。
「これはいい酒ですね、宇治ですか?」
「あたしゃ蒲鉾おろしが好きで……」
「卵焼きの尻尾でないとこ」
そんな会話が続くうち、一人が茶碗をみて叫ぶ。
「大家さん、近々長屋にいい事がありますよ」
「ほうっ、そんなことがわかるかい? 」
「ええ。ほら、酒柱が立ってる」 】

寄席は正月の一日から十日までを初席、十一日から二十日までを二之席と呼び、下席から通常の興行が始まる。日本の季節物は先取りをよしとするので、早いところでは一月の末にはこの噺が高座にかかる。でも、やっぱり本物の桜が咲く時分にならないと、特有の浮ついた雰囲気は出てこない気がする。筋立てや登場人物がいかにも落語らしくできているし、実際に桜の花は出てこないからいつ演ってもよさそうなものだが、それを花見の情景だと信じ込んで頂くためには、芸の力に加え、お客様が寄席に入っていらっしゃるまでに浴びて纏っている空気の力は不可欠なのだ。
それをこちらサイドで何とか補強しようと、散った花びらが茶碗の中に落ちてくるという演出があったそうである。きれいなアイデアだが普及しなかった。
思いついた噺家がどなたなのか寡聞にして知らないが、もしかしたら、「時そば」で竹輪麩の薄さを強調する台詞「月が透けて見えらぁ」に影響されたのであろうか。
この一言は文学的な名演出だと評されている。私もそう思う。ただ、それは蕎麦の噺だから名台詞なのであって、月見の噺であったなら、茶碗の花びらと同じだったかもしれない。日本人が伝えたいことを直接表現しないという大原則は、落語にもあてはまるようだ。

    花に嵐
若い時分に初めて渡った海外、オーストラリアで反対の時期にその季節を迎えたことがある。彼の地にはジャカランダという花が咲く。ラベンダーと藤を混ぜたような色の花だ。樹木に咲くから桜のような佇まいで、写真に写すとピンクになり、本当に桜みたいに見える。私の働いていたジャパニーズレストランの板前さんは、観光客や企業の新しい駐在員が来ると、必ず寿司バーのカウンター越しに「ジャカランダが咲くとね、シドニーも春なんですよ」と呟き、遠い眼になっていた。
ジャカランダには気の毒ながら、その眼に映っていたのは今を盛りと咲き誇る彼等ではなく、遠い日の桜だったのだろう。
 日本人が桜に惹かれるのは、一部の方々が仰るような「パッと咲いてパッ散る潔さが日本人の美意識に訴える」といった理に勝った理由ではないと思う。単純に「身体の底のほうに摺り込まれている」からじゃあるまいか。
 それは、ランドセルを背負い母に手を引かれて眺めた思い出……ではない。なんたって「三日見ぬ間の桜かな」である。入学式が満開や散り際にあたった人はそうそういない。それなのに多くの日本人が、過去の体験してきた事象にも拘らず、自分の時はそうだったと信じ込んでいる(実は私も)。玩具の自動車を追いかけるアヒルの雛並みの摺り込みである。
 そのおめでたくも幸せな摺り込みの景色、入学や進学の緊張感、温いような冷たいような春先の風、多角的な感覚と一緒に沈んでいた記憶が、記憶と一緒に沈んでいた多角的な感覚が、桜の咲く頃に甦ってくるのだと思う。

     ソメイヨシノの悲しみ
 我々のムズ痒い記憶の中にある桜は。ほとんどがソメイヨシノである。在原業平が「世の中に……」と嘆息したのはもちろん、西行法師が下で死にたいと白々しく詠んだ花も、おそらくは本居宣長いうところの「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う」山桜花であろう。梶井基次郎が「……死体が埋っている」と心の平衡を求め出したあたりが品種交代の境目か。
 ソメイヨシノは江戸で作られた園芸品種で、意外に新しい。伊豆諸島から房総半島もしくは三浦半島に渡ってきたオオシマザクラが土着のヤマザクラに出会って生まれた父親と、エドヒガンザクラの間に偶然できたのだそうだ。そして、全国にあるすべての樹がその一本のクローンである。
 興醒めになったらご容赦頂きたい。小学校の校庭にあった桜はきれいだと思っていたのに、歳を経るにしたがってわだかまりを覚えるようになった。普通の花を素直にきれいだと感じる此の頃では、桜だけが見ていて辛くなってきた。それは都会の公園など、アスファルトで覆われた地面にあるせいだと思っていた。檻の中で愛想をふりまく動物達を見るのと同じなのだと考えていた。しかし、どうやらそうではなくて、ソメイヨシノの爛漫さがせつないのだ。
彼らは一代雑種の宿命で、寿命が短く、さらには子孫を残せないと聞く。樹木が花を咲かすのは、人間にドンチャン騒ぎの憂さ晴らしをさせるためではなく、受粉受精のために決まってる。それなのに、いくら頑張っても命を伝える術はなく、ひたすら背伸びを続けて、今やつま先で舞台に立っている。私は、ゴツゴツした木肌が道化師のダブダブの服の中を覗き見るようで辛い。そして、艶やかに明るく咲いた花が悲しい。そんなに笑わなくてもいいじゃないか……と。
秋の代表的な樹花であるキンモクセイも、自分では子孫を残せないらしい。彼らが香りを発散するのも、散歩している人間に秋を報せるためではなかろう。ところが、国内のキンモクセイはほとんど雄株。彼らという表現は、あまりに哀しくも正しいのである。(見えない)彼女に届け!(正確には花粉を運ぶ虫に届け! )と頑張っているうちに、あんな強い香りを身につけてしまったと想像される。救いなのは、どうもキンモクセイ達は、もとより雌雄別株のお陰か、自分達の置かれた状況に気付いていないようだ。まぁそうでなくてはあの甘い匂いは出せまい。ソメイヨシノにも、そんな能天気さがあったら、もしくはもっと不真面目に咲く花で、悪態をつきながら見上げられたら、どんなに楽であろうか。
幼い頃に通った道を細く感じるように、思い出の中の木は小さく感じるものだという。でも、道はさておき、もしかしたら、桜は本当に小さくなっているかもしれない。ソメイヨシノの寿命は短く人間と同じくらいだそう。ランドセルを背負って見上げていたとすれば、当時が壮年で今や老年である。
帰省して親が小さく見えた時には、あの頃の、あの桜にも声をかけてみてはどうだろう。きっと、下を向いて、咲いて、待っていてくれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?