お血脈

― 立春の頃 ―

節分は季節の分かれ目だから、春夏秋冬すべてにある。その中で立春の前だけ残っているのは、おそらく昔の人が一年の初めと捉えていたせいだろう。当時の正月はみんなで一斉に歳をとる節目であって、不定期な陰暦ではしっくりしなかったのではあるまいか。そうなれば前日の節分は大晦日と同じ意味を持ってくる。
一年の禍を消して新しい年を迎えたいのは人情だ。豆をぶつけて歳の変り目に入り込む魔(ま)を滅(め)っし、歳の数だけ食べてその一年をマメに暮らす。いずれにしても、その禍や魔を象徴するのが鬼ということになる。いつもながら損な役回りで気の毒な鬼たちだが、たまには違ったポジションで登場し、先入観を覆す仲間もいる。
私の好きな童話「泣いた赤おに」に、「ココロノヤサシイオニノウチデス」という一節がある。最近は歳のせいか涙腺が緩んできて、「オチャモワカシテゴザイマス」なんてくだりにかかるともういけない。友達のため悪者になる青鬼も粋である。
とはいうものの、その程度で驚いてもらっては困る。ウルトラリアリズムの落語になるとそんなものでは済まないのだ。「死ぬなら今」という噺では、閻魔大王を筆頭に赤鬼青鬼と地獄のスタッフ全員が賄賂にもらった贋金を使って逮捕されてしまう。
「地獄に恐い奴がいなくなった。さぁ、死ぬなら今! 」
誰しも避けたいところ、辛い境遇の代名詞になっている地獄へ行くチャンスだと勧めているのだ。ポジティヴなんだかネガティヴなんだかよく分からない。
斜に構え、既存の枠や価値観に囚われないで世の中を描くのが落語だと言われるが、野暮を承知で解説すれば、「鬼にだっていい奴もいる」とか「地獄だって捨てたもんじゃない」とかを突き抜け、我々が暮らす世間も同じなのだと告げている。

【「牛に引かれて善光寺参り」でお馴染み、昔から信濃の善光寺は大変な賑わいだった。
特に、代々伝わる血脈の御印は霊験あらたかだと大人気。なんでもこれを額に押し戴くと、誰でも極楽往生できるという。
困ったのは閻魔大王。みんな極楽へ行ったもんで、地獄は人手不足になってしまったのだ。仕方なく、その血脈の御印を盗む計略を立てた。地獄だから泥棒には不自由しない。ねずみ小僧にしようかルパンにしようかと悩んだ挙句、地獄釜のボイラー係りをしている石川五右衛門に白羽の矢が立った。
さすがに大泥棒、難なく盗み出したまではよかったのだけれど、五右衛門は芝居の「絶景かな、絶景かな~」でご承知のように、ちょっと大仰なところがある。
その御印を手に取り、「ありがてぇ、かっちけ(忝)ねぇ~!」と大見得を切る。そして思わず額に押し戴いたものだから、自分も極楽へ行っちまった。】

この噺のタイトルは「お血脈(けちみゃく)」。普通は「けつみゃく」と読み、競馬の記事なんかで「貴重な血脈を伝える」と遣う。仏事にはこういう読みが結構あって、結願も「けつがん」ではなく「けちがん」だ。これは札所廻りなどが成就することを指す。その成就の「じょう」「じゅ」も、仮に「成績優秀で就活に困らない」とあれば、「せい」「しゅう」と読むだろう。

    漢字は外国語
こんな風に音読みだけで何種類もある一番大きな理由は、漢字が日本に入ってきた時代の関係から、『漢音』と『呉音』を併用しているためだ(組み合わす字によって読みが変わり共存している「執」「雑」等のタイプは入声(にっしょう)も関り、話が長くなるので今回はふれない)。ある時期から漢音を正式としたのだが、より古い呉音で定着した言葉も多く、その最も顕著な例が仏教用語なのである。
同じ正義の味方でも、月光仮面は「げっこうかめん」なのに、月光菩薩は「がっこうぼさつ」である。荘厳な佇まいなら「そうごん」で、『恭しく尊前を荘厳し~』なら「しょうごん」であろう。厄介なのは開眼で、下に手術と来れば「かいがん」、下が供養なら「かいげん」と読まざるを得ない。スポーツや芸事で目覚めた場合は微妙だ。
日本人は器用なのかアバウトなのか何も考えていないのか、この幾つもある読み方を、意識しないで巧みに使いこなしている。関西大学と関西学院大学に至っては、同じ字の並びを読み分けている。
困るのはこういった定番や固有名詞ではなく、意味も使われる場も同じ場合。一番拮抗しているのは「重複」であろう。個人的には「じゅうふく」のほうが重複している感じがして好きなのだが、明らかに「ちょうふく」派の牙城だな、と感付いた時にはそれに倣っている。無節操で申し訳ない。まぁ、いずれにしてもたいした問題ではあるまい。ただし言葉も習俗と似ていて、自分の知っているものが正解だと信じ込む傾向が見られる。
誰かが発足を「はっそく」と読もうものなら「それはほっそくと読むんだよ」と嬉しそうに訂正する人がいる。「知っていてもつい間違えちゃうんだよねぇ」と、いかにも鷹揚げに付け加えたりする。これらは間違いとは言えないだろう。そもそも中国語を日本語にする際に時代と地域と伝達経路が違い、さらにそれがくずれたものなのだから、「はっ」でも「ほっ」でも五十歩百歩である。

    ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い
バンクーバーオリンピックの時にスキー競技が行なわれたウィスラーという山は、「笛を吹くもの」、つまり笛のホイッスルが語源、従来の読みならホイッスラーである。ホイットニー・ヒューストンを最近はウィッニー・ヒューストンと呼ぶのに似ている。「これからは笛をウィッスルと言いましょう」とはならないにしても、ウィッスルと発音している人に「間違い」とは言えまい。
また、名前ついでに言えば画家ゴッホの名は、長い間ヴィンセントと書かれていた。上だけ英語読みにしていたようだ。今はいくらかでもオランダ語に近づけて、フィンセント・ファン(バンクーバーのバンも元はファン)・ゴッホ(英語読みならゴウらしい)としている。乱暴の謗りは免れないだろうが、漢字をアルファベットに置き換えれば、この英語と蘭語が漢音と呉音の説明には適している。江戸時代よりあった蘭語と、開国前後に入ってきた英語の違いだ。例えば、コップ酒は屋台で受け皿に溢れるほど注いでもらって口からお迎えにいくもので、カップ酒なら競馬帰りの親父がオケラ街道の自販機の前でグチを言いながら呷るものと相場が決まっている。
しかし、綴りの違いは若干あれど(蘭KOP・英CUP)二つは同じ言葉だ。中国の国土と民族を考えれば、オランダとイギリスは隣の省みたいなものである(……益々乱暴になってきた)。呉音が朝鮮半島経由で入って来た経緯を加味すれば、まんざら無理筋の対比でもないと思う。英語同士は発音の表記の問題だし、ラムネとレモネード、ローマ字の綴り方ヘボン式に名を残すヘボン博士とオードリー・ヘップバーンなど、違いすぎ面白すぎが目立ち、論点がずれて比較対象には不適当だ。
日本語だって時代やら方言やらで違う。外国人が鮭の切り身が入った弁当を「サケ弁」と言ったって間違いとは言えない。日本語としては正しい。それでも、やっぱり「シャケ弁」のほうが旨そうだなぁ、と思うだけだ。「はっそく」と「ほっそく」の関係はその程度のもんではあるまいか。

     訛りの来し方
ところで、シャケという方言(訛り)が全国区になったのは、東京の方言、江戸の訛りであったことが大きな要因だと思われる。落語界に入ってその江戸弁を遣うようになり、驚いたのは郷里の房総弁との酷似だった。
お馴染み「まんじゅうこわい」の中に、「朝飯のおかずなんざぁ決まってらぁ、おつけに納豆に香々」という台詞が出てくる。我々は子供の頃そう聴き、そう言って育った。それを都会に出るにあたり、苦労して味噌汁にお新香と直したのだ。まさか仕事としてまた遣うようになるとは思わなかった。
それ以外にも、七味唐辛子を七色と呼ぶところ、大概が「てぇげぇ」になるような訛り方などそっくりである。単語だけじゃなく、文法上の間違いまで同じで、「まだ来(こ)ない」を「まだきねぇ」と言う。「行って来(こ)よう」は「行ってきよう」だ。
 俗にいう江戸っ子、特に落語に出て来るのはだいたい大工や左官(鮭がシャケになるように、左官はシャカンとなる)などの職人さんだ。普請が多く男手を必要としていたせいだが、そのため江戸は圧倒的に女性の数が少なく、江戸中期まで家庭を持てる男は多くなかったという。だから岡場所や博打場や一膳飯屋が発達し、我々が喋る江戸庶民の暮しの容が構築されたのである。当然二世や三世は生まれにくく、働き手は近郷近在から二男や三男が出て来て補充されていた。
 千葉県、当時の安房・上総・下総は江戸に近いというか、下総は江戸に侵食されていたくらいだし、天領に加え旗本の知行所や御家人の給地が結構あって(与力給地は九割以上)、他国領より江戸へ出やすかった。知行所を持つ旗本など儀見習いを兼ねた女中も調達しており、鬼平こと長谷川平蔵や水戸黄門の宿敵? 柳沢吉保の母親は、いずれも奉公に上がった采地の上総娘である。他は推して知るべしだろう。
 また、米が豊富な江戸では「江戸患い」こと脚気が流行する。当時の人にとって、白米を腹いっぱい食べられるというのは夢のような暮らしで、まだビタミンB群云々は解明されていなかった。将軍でさえ罹患したのだから、庶民の無知は責められまい。田舎に戻れば粗食になって嫌でも治るのだが、脚がむくむ病気ゆえ田舎まで帰り着くのすら難かしい。その面でも江戸湾と利根川の水路を持つ房総は有利だった。
 財政困窮と右の理由から、江戸中期を過ぎると遠国の大名屋敷は雑用係の若い衆を国元から呼ばずに近郊の民に頼り始め、しまいには武家奉公人も口入屋(人宿)に斡旋させた。上総に代理店ができ、江戸の房総弁率が高くなっていった。
ちなみに、若い衆は「わけぇし」と発音する。以前、「町内の若い衆」という演目を「ちょうないのわかいしゅう」と言ったら、東京出身らしき先輩に「江戸弁ではわかいしって言うんだ」と誇らしげに訂正された。私よりずっと年下の先輩である。「それじゃあ中途半端なんだよ、わけぇしってんだ。こちとらネイティヴでぇ!」と、心の中で叫びつつ、「ハイ、ありがとうございます」と頭を下げた。
後日その話をグリーンカード(アメリカ永住権)を持つ先輩噺家にしたところ、「ウンウン、わかるわかる」と頷いて、自分の体験談を語ってくれた。
ある日楽屋でアメリカンフットボールの話題になり、「どこのファンだったんですか?」と訊かれたのだそうだ。先輩は、ニューイングランド・ペイトリオッツと口から出そうになってフッと思った。(こんな発音をして、アメリカ帰りのイヤラシイ奴と思われたら嫌だなぁ)……(そうだ、たしかパトリオットゲームという映画があったっけ、よしっ)、明るく答えた。
「パトリオッツだよ」
すると、尋ねた後輩が苦笑しながらこう言ったそうである。
「兄さん、発音悪いなぁ。それはペイトリオッツっていうんですよ」

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